1964年10月10日 日本初のオリンピックが東京で開催された。
当時私は中学2年生であった。
その当時、ボーイスカウトに入っていた私は、なんと開会式の国立競技場におり競技場を取り囲むように立てられた世界中の国旗を揚げるポールの一つの所に立っていた。
残念ながらどこの国の国旗を担当したか記憶にないが、物凄い数の観衆に圧倒され、かなり緊張していた。
合図と共に国旗を周りに合わせながら無事に揚げ、聖火入場を競技場の上から眺めていたのは、今でもはっきりと覚えている。
東京にオリンピックが決まったのは1959年(昭和34年)だった。
敗戦から何とか立ち直ってほんの少し国民が平和を感じることが出来るようになった頃であった。
しかし、今の鉄筋コンクリートビルが立ち並ぶ東京ではなく、ほとんどが平屋のしかも木造住宅でごみごみしていた。
私の子供の頃には、おでん屋が自転車で売りに来たり、豆腐屋の笛の音が聞こえたり夜になると、近所の飼い犬の遠吠えが聞こえたりして静かなものだった。
大晦日には近くのお寺から除夜の鐘も聞こえていた。
そう言えば、火の用心の夜回りも拍子木と一緒に聞いたのを覚えている。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
当時私は中学2年生であった。
その当時、ボーイスカウトに入っていた私は、なんと開会式の国立競技場におり競技場を取り囲むように立てられた世界中の国旗を揚げるポールの一つの所に立っていた。
残念ながらどこの国の国旗を担当したか記憶にないが、物凄い数の観衆に圧倒され、かなり緊張していた。
合図と共に国旗を周りに合わせながら無事に揚げ、聖火入場を競技場の上から眺めていたのは、今でもはっきりと覚えている。
東京にオリンピックが決まったのは1959年(昭和34年)だった。
敗戦から何とか立ち直ってほんの少し国民が平和を感じることが出来るようになった頃であった。
しかし、今の鉄筋コンクリートビルが立ち並ぶ東京ではなく、ほとんどが平屋のしかも木造住宅でごみごみしていた。
私の子供の頃には、おでん屋が自転車で売りに来たり、豆腐屋の笛の音が聞こえたり夜になると、近所の飼い犬の遠吠えが聞こえたりして静かなものだった。
大晦日には近くのお寺から除夜の鐘も聞こえていた。
そう言えば、火の用心の夜回りも拍子木と一緒に聞いたのを覚えている。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
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