徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

私・井手純~手術⑥~

2020-01-31 05:00:00 | 日記
先生は手際よく傷口を触り始めた。
しかし、これからが地獄だった。
何しろ6時間以上も時間が経っていたので、当然のこと麻酔は完全に切れており麻酔無しでの管抜きとなったのである。
時間的にはほんの10分ぐらいだったのだが、管が抜かれるまでは恐ろしい痛さだった。
しかし管が抜かれると噓のように痛みは無くなった。
チラッとしか見れなかったが管は太さ2~3ミリで長さは約20センチぐらいであった。
その後傷口を先生は親指で約20分体重をかけて抑えつずけた。
これもかなりの苦痛を感じた。
日をまたいでやっと終わった。
その頃は痛みは噓のようになくなった。
体が動かせる様になったのが本当にありがたかった。
何よりもトイレに行けるようになったのが助かった。
翌日リハビリをしたが、痛みは無く普通に歩けるようになった。
明日退院できることになった。
約2週間後に今度は右足の手術をする事となり日程も決まり退院した。

私・井手純~手術⑤~

2020-01-29 05:00:00 | 日記
身体にメスをいれられたことの無い自分としては未知の異様な感覚だった。
動脈硬化で細くなった血管を広げているのだろうと想像した。
時間的にはよく分からなかったが長く感じた。
20分ぐらいだったと思う。
先生の動きが止まり、手術は終わった。
ブルーシートとステンレスのアーチが取り払われ、いつの間にか運ばれて来た私のベッドに数人がかりで移動された。
その後隣りの部屋に移された。
そこで別の先生が約20分、管を差し込んだ所を親指でかなりの力で押さえ続けられた。
先生に聞くとかなり前から血液がサラサラになる薬を飲んでいた為に血が止まるまで抑えなければならないと言う事だった。
この時は先生の体重をかけて親指で押さえつけていたのでかなり痛かった。
その後血が止まったのを確認され、ベッドに寝たまま自分の病室に運ばれた。
病室に着くと先生からこれからの説明があった。
”まず6時間手術した左足は絶対に動かさない事。
そして6時間後に今差し込んである管を抜きに来ます。”と言われた。
時計を見ると夕方の5時だった。
この6時間は寝返りはおろか身動きの出来ない長くキツイ時間だった。
何度も時計を見た。
あと4時間、あと2時間、あと1時間と・・・・

6時間たち夜の11時になった。
なかなか先生は来なかった。
腰が重く本当にきつかった。
11時半頃看護師さんが心配して来てくれた。
”先生はもうすぐ来ますよ。”
そう言ってくれた。
10分後に”遅くなって申し訳ありません。
これから管を抜きますから。
”これで楽になると思いなんとなくホットした。

私・井手純~手術④~

2020-01-27 05:00:00 | 日記
一度目の手術。
手術着に着替えていた私は、看護師さんの言われるまま自力で手術台に横になった。
天井を見ると以前の手術の跡か、血の跡らしきものが一つ目に入った。
恐らく以前の患者さんのものと思われ、体が固くなった。
周りでは助手の人や看護師さんたちがテキパキと動いていた。
そのうち私の頭の上にアーチ状のステンレスの枠がかけられ、その上からブルーシートをかけられた。
視界は目の前のブルーシートで完全に塞がれた。
看護師さんから名前と生年月日を聞かれ、答えると担当の先生から”井手さんこれから(専門用語)の手術に入ります。”
と言われ、手術が始まった。
まず足のつけ根に局部麻酔を打たれた。
とにかく、何も見えない状況で麻酔を打つ時の痛みと、麻酔が効き始めてからの先生の動きを想像するしか無かった。
付け根部分からつま先への動脈に管らしきものがグイグイと差し込まれて行く鈍痛感覚があり、その管をまるで水道管の詰まったカルキ抜きをしている感じで
ガリガリと動かされた。
痛みはそれ程ないものの、思わず腰に力が入った。

私・井手純~手術③~

2020-01-24 05:00:00 | 日記
7月22日に入院し手術は25日であった。
とにかく私としては、手術台に上がることは、生まれてこのかた初めての事なので不安と期待でいっぱいだった。
しかし足が痛くて20~30メートル休み休みでないと歩けなかったのが、治るという嬉しさの方が大きかった。

手術日は決まっていたが、入院日は混んでいたので4日前であった。
その間毎日検査ばかりで、尚且つ点滴のくだをつけられトイレに行くのも面倒だった。
友人の見舞いに行ったときにその様な姿を見ていたことはあっても、いざ自分がそうなってしまうと情けなかった。
いよいよ車椅子に乗り、手術室に着き、手術台に上がると緊張して動機が高まった。
担当の先生は淡々とした口調でこれから行う手術の説明をしてくれた。
ここまで来たら昔の人が言っていた”嫁にいった晩で相手の言い成り”の心境であった。

私・井手純~手術②~

2020-01-22 05:00:00 | 日記
市川にある循環器専門の病院に紹介状を書いてもらい、行くことになった。
私の父は開業医だったので、子供の頃より他の病院に行くことがなかった。
紹介を受けた病院は、家から20キロほど離れた最新の機器を揃えた病院とのことだった。
車の運転には支障が無かったので1人で行った。
手続きをして約2時間待ってやっと順番がきた。(勿論、予約を入れておいたのだが)
周りを見ると、自分が若く感じるほど高齢者が多かった。
先生に問診を受けて、その後4時間後にCTを撮って貰い、また2時間待ち、再度先生に話を聞くことが出来た。
結局約8時間病院にいた。
翌日、自分の足のレントゲン撮影を見ながら先生の説明を聞いた。
結論は”足梗塞”という事で、すぐに手術が必要との事だった。
原因は動脈硬化で、若い頃からの不摂生であった。
すぐに入院という訳には行かず、2週間後でないと混んでいて入れないとの事。
また、すぐに手術は出来ず入院から4日後に手術という事になった。
突然のことに只々驚嘆するのみであった。