徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

私・井手純〜大学から帝国ホテル時代④〜

2019-05-31 05:00:00 | 日記
父が医者であった為に、歯医者以外は病院へ行く事はまず無かった。
ある時、体調不良で休んだ時父に診断書を書いてもらい労務課に出すと「これはお父様に書いてもらったものなので適用出来ません。」と言われた。
結果は適用されたのだが一時期、組合問題にまでなった。

私がまだレストラン部に在籍中に、全日空に勤務していた弟の結婚式が帝国ホテルで行われることになった。
帝国ホテルで二番目に大きな宴会場“富士の間”に決まり両殿下も御出席頂くことになった。
案内状発送も終わり、両親と弟は両殿下にご挨拶に伺ったところ殿下から「富士の間はいいね!」とおっしゃって頂き皆喜んでいた。
そんな矢先突然宴会部長から私に呼び出しがかかった。

部長室に行くとレストラン部長も同席してしており、「井手君、大変申し訳ないが当日の宴会場を変更してくれないか?」と言われた。
あまりに突飛な事に返事もできずにいた。
続けて両部長は「実は相撲の千代の富士が大関に昇進して何とか富士の間で昇進祝いをしたいと言ってきたので宴会場を孔雀の間(富士の間より一回り大きい宴会場)に変えてくれ。頼む!」と、二人でその場に土下座された。
まだ下っ端の私は返事もできず、「取りあえず父に話します。」とだけ言い残しその場を後にした。


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私・井手純〜大学から帝国ホテル時代③〜

2019-05-30 05:00:00 | 日記
ホテル時代、仕事も一生懸命やったが遊ぶ方でも、それこそ寝る暇を惜しんで頑張った。
飲む・打つ・買う何でも頑張った。
しかし、飲む方は体質にあまり会わずほどほどであった。
ある時色々付き合っていたが体に変調をきたした。

トイレに行くとたまらない痛みを感じたのである。
「やばい、淋病?」そう思うと流石に親父に言えず、新橋の雑居ビルにあった性病科に飛び込んだ。
先生に相談すると「覚えがあるんなら間違いないね。」と簡単に言われて尿を取らされた。
たいして検査もせずに薬を出され、「3日ほど飲んだらまた来なさい」と言われた。

「実は父が泌尿器科の開業医で高輪にいるんですが流石に言えなくて」と言うと、先生は突然言葉遣いまで変わり「ちょっと待って・・・こっちの方がいいかな?」と言い「これを1週間飲めば大丈夫ですから。」と別の薬に替えられた。
数年後、父にその話をすると「そんなもんだ」と少し怖い声で「医者にも色々いるからな・・」と言った。
それ以来何かあると、何でも相談出来るようになった。
後にカナダに行くときも向こうで女遊びをした時の注意点を教えてくれた。
親父との距離が近づいたなと感じた。

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私・井手純〜大学時代の思い出・サイパン②〜

2019-05-29 05:00:00 | 日記
浜辺で中年の夫妻と一緒に片言の英語で仲良くなった。
ご主人はグアムのアメリカ軍の大佐であり、父のことを話すと帰りグアムに着いたら連絡しておいでと言ってくれた。
サイパン島に4泊しグアムに着き、大佐に連絡すると迎えに来てくれた。
そして基地の中に連れていってくれた。基地にはB52の大きな尾翼が見えた。
写真を撮ろうとしたら、それだけはダメだと言われた。

その後将校クラブで凄い見たこともない大きなステーキ(多分5~600g)をご馳走になった。
二人共あっという間に平らげたのを見て大佐は大笑いしていた。
覚えているのは、そのことだけで基地のことは殆ど記憶にない。
お世話になった大佐の名前すら覚えていない。
情けない事である。
しかし、父の意には沿わなかったかも知れないが本当にいい経験をさせてもらった。

一緒に行った親友はその旅行がきっかけで大学を中退してなんと旅行会社に入ってしまった。
それが分かったのは父と母がハワイ旅行に行った時の添乗員で偶然にも同乗しており、突然機内で挨拶されたからだった。
父はビックリし、「俺が旅行に行かせたことで彼の人生が変わってしまったな!」と心配していた。
しかし、その頃から海外旅行は爆発的に人気が高まっており、数年後彼は会社を起こして成功した。

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私・井手純〜大学時代の思い出・サイパン①〜

2019-05-28 23:05:24 | 日記
大学2年の時に父から”一度俺が戦ってきた所をみてこないか?”と言ってくれた。
勿論サイパン島の事である。
ラグビー部の親友と二人で生かせてもらうことになった。
その当時、二人共海外旅行はもちろんのこと、飛行機に乗るのも初めてであり夢のようなことだった。

当時はサイパンへの直行便はまだなくグアム経由であった。数年前に父と母でサイパンに戦友の慰霊に行っていた。
パスポートを取り準備万端当日を迎えた。

飛行機に搭乗した時と離陸した時の高揚感は今でも鮮明に覚えている。
何しろ今から50年も前の事で、グアム島もサイパン島も今のように観光地として整備されていなかった。
サイパン島では父の関係の薬屋の駐在員が迎えてくれ、当時では一流のホテルだった。

海辺には当時の日本軍の戦車や砲台の後もまだまだ生々しさを残していた。
日本人の観光客も殆ど見当たらなかった。
父がここで死ぬ思いをしたとは思えないほど、平和な常夏の島だった。
戦時中の話は何度も聞かされていたが、時もたち、私は感慨に耽る事は中々出来なかった。

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私・井手純〜大学から帝国ホテル時代②〜

2019-05-25 05:00:00 | 日記
帝国ホテル入社後、レストラン部に配属になった。
ホテル内には直営レストランが幾つもあった。
まず客室に料理を運ぶルームサービス部に配属となった。

部屋の中まで運ぶこともままあり、結構有名人と出くわす事もあった。
一番の思い出は、夜中1時頃スイートルームからの注文を運んだ時のこと。

部屋に入ると外人が数人で葉巻を吸いながらトランプをしていた。
中のひとりが伝票にサインをしてくれ簡単な英語でトランプを買って来てくれないかと言われた。
「こんな時間に無理」と思いながら奥の大柄な男性と目があった。
なんと当時米国映画界のトップスターの”ジョン・ウェイン”だった。

そして私に向かってウインクをしたのだ。
思わず「イエッサー」と言っていた。
10ドル受け取って部屋を出てホテルの外へ出た。
までは良かったけど、どこで売っているのかわからず焦った。
今のようにコンビニがあるわけでもなく、「でも何とかしなければ」と思い、新橋駅の傍にあった大人のおもちゃの店を思い出し、まっしぐらにそこへ行った。

制服のまま店に入りトランプを見せてもらうと当然すべてヌードトランプだった。
しかし、迷う事無く日本人の物を買い飛んで帰った。

部屋に行き渡すと皆大爆笑でジョン・ウェインに「グッドボーイ」と言われ20ドルのチップを貰った。
いま思うとその20ドル札に彼のサインもらえば良かったなと後悔している。

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