父、井手次郎は大正6年3月井手徳一の十一人兄弟の次男として九州佐賀に生まれる。
高校の時、東京に家族全員で目白に移り住む。
成城高校では当時では珍しかったと思うがアイスホッケーをやっていた。
卒業後、名古屋医大に入学。
医師としての修行を4年間習得する。
昭和16年12月戦争が始まった。
昭和17年9月に卒業後、丸一年間母校の桐原外科教室で、教授はじめ諸先輩より応急処置、臨床、手術などをみっちり教え込まれる機会を得られたので、第一線部隊に出ても外科的治療にはそれ程当惑することはないだろうと自負していた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
高校の時、東京に家族全員で目白に移り住む。
成城高校では当時では珍しかったと思うがアイスホッケーをやっていた。
卒業後、名古屋医大に入学。
医師としての修行を4年間習得する。
昭和16年12月戦争が始まった。
昭和17年9月に卒業後、丸一年間母校の桐原外科教室で、教授はじめ諸先輩より応急処置、臨床、手術などをみっちり教え込まれる機会を得られたので、第一線部隊に出ても外科的治療にはそれ程当惑することはないだろうと自負していた。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
ドナルド・キーン氏が語学将校たちとの往復書簡をまとめた「昨日の戦地から」に、真珠湾に抑留後、帰国された「軍医ジロー・イデ」氏の手紙が紹介されています。
文中に「佐賀」とあり、同郷ということで気になって検索してみたところ、こちらにたどり着きました。
井手次郎氏の手紙に、戦争に翻弄された数多くの人々のことを、そしてなによりも生きることの大切さを改めて思いました。