昭和30年代の頃から私どもの自宅によく来られ父といろいろ話されていた。
とても温和な方で、しかしながら命令とはいえ従わなければならなかった苦しみが父には感じられていた。
昭和50年代に東京・高輪の自宅が7階建てのマンションになってからは、リビングルームからの眺めを「井手八景」と名付け自筆の書を下さった。
当時はまだ高い建物も少なく、西には富士、南には新幹線、東京湾の船も見え、また夕暮れ時には泉岳寺の鐘の音も聞こえていた。
のちに海上自衛隊幹部学校にて統師学の講義もされていた。その関係もあり、私どもを江田島の元海軍兵学校に連れていってくださったり、また自衛艦や潜水艦”うずしお”にも載せていただけた。
詫間力平(旧姓猪口力平)氏の軍歴はウィキペディアに詳しく掲載されている。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
とても温和な方で、しかしながら命令とはいえ従わなければならなかった苦しみが父には感じられていた。
昭和50年代に東京・高輪の自宅が7階建てのマンションになってからは、リビングルームからの眺めを「井手八景」と名付け自筆の書を下さった。
当時はまだ高い建物も少なく、西には富士、南には新幹線、東京湾の船も見え、また夕暮れ時には泉岳寺の鐘の音も聞こえていた。
のちに海上自衛隊幹部学校にて統師学の講義もされていた。その関係もあり、私どもを江田島の元海軍兵学校に連れていってくださったり、また自衛艦や潜水艦”うずしお”にも載せていただけた。
詫間力平(旧姓猪口力平)氏の軍歴はウィキペディアに詳しく掲載されている。
徳川おてんば姫(東京キララ社)
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