徳川慶喜log~徳川と宮家と私~

徳川慶喜家に生まれた母久美子の生涯、そして私の人生。

父・井手次郎~精強261空”虎部隊”サイパンに死すとも⑯・敗北の条件①~

2019-09-26 05:00:00 | 日記
昭和18年の半ば過ぎまで死闘を続けたソロモン群島と、東部ニューギニアにおける日米両軍の戦線は、19年に入ってからは、マーシャル、カロリン群島および西部ニューギニアに移り、米軍は特に内南洋方面に加速度的な勢いで進撃を続けて来た。
日本軍は、この不利な体勢を一挙に挽回すべく、陸軍は関東軍より抜粋された機甲部隊をともなった43師団、29師団などの精鋭部隊をマリアナ諸島に派遣して、堅固な防衛体勢をとりつつあった。

一方、海軍は基地航空隊兵力として、一航艦の主力を、サイパン、テニアン、ロタ、グアムの各地に置き、最新鋭機750機を配備、攻勢に転じた米機動部隊、艦船部隊に対して徹底的な打撃をあたえるべき機会を伺っていたのだ。
当時は日本陸海軍はもとより、一般の国民にも、サイパン島は難攻不落の要塞と信じられていたのだ。
それが昭和19年6月11日に始まる機動部隊の空襲、ついで13,14日の二日間にわたる空襲と徹底的な艦砲射撃に引き続き、6月15日未明にはついに米海兵隊、陸軍部隊の上陸を許し、その後僅か三週間あまりで玉砕という、考えられないような経過をたどってしまった。

(父井手次郎の手記を基にしているので、「私」の記載は父井手次郎を指す。)

徳川おてんば姫(東京キララ社)

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