宮城県に入り、山元町の津波の爪痕に相対しました。
爪痕と言うにはあまりにも悲惨な惨状です。駅も跡形無く流されています。
一直線に伸びた線路の周辺には、有ったであろう建物の跡形すら有りません。
駅前だったんでしょうが、僅かにホームだけが潮風にさらされていました。
二人の老夫婦に出会いました。
買い物に出かけていて、命は助かったものの、三日後に我が家に戻って辺り一面の惨状に涙も出なかったそうです。
この街だけでも300人以上が亡くなり、自衛隊の死体搜索が完了するまでは後片付けも出来なかったそうです。
基礎だけが残った我が家の敷地で、除草や野菜作りをしていました。
現状この辺一体は住んではいけない地域になっているそうです。
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