荻原浩さんの『僕たちの戦争』を読みました。うん、ようやく読みました。
もうすでに映像化もされていたみたいだし、今更感はかなり高いのですが、書店で目に付いてしまったのだから仕方ない。私が読むタイミングは「今」だったのでしょう。ご縁・ご縁。
物語は戦記物であり入れ替わり・タイムスリップなSFでありと、所謂「よくある」パターンではありました。しかしそれだけでは終わらないのが荻原さんの凄さ。「よくある」話がこの作家さんの手にかかると、グッと心を掴んでしまうものになります。とても面白いけどとても切ない…。
現代のフリーター・尾島健太と、昭和19年の「海の若鷲」に憧れる飛行術練習生の石庭吾一。ともに19歳の二人が、サーフィン中に大波に呑まれた瞬間と、飛行練習中に操縦を誤って海に墜落した瞬間に入れ替わってしまう。それぞれ迷い込んでしまった世界に順応しながらも、お互いに元の世界に戻ろうと画策する。
健太が平和な世に帰りたがるのは分かるけど、吾一が昭和20年に敗戦を迎えることを知った上で、昭和19年に帰ろうとする…。まずこう考える吾一は凄いと思う。そして今よくいるタイプの健太だって、戦時中の環境に順応して「吾一」らしく振る舞う姿にも考えさせられます。
状況を受け入れて、できることをきちんとやる。誰だっていつでも成長することができるんです。
そして、重くなりがちなテーマの作品の中でも、いつもの荻原ワールドは健在でした。
訓練所での厳しい生活を描きながらも、吾一として生きなければならない健太に現代の若者言葉でつぶやかせているのは、荻原さんらしい表現。どんな文学的な言葉で綴られるよりも、伝わってくるものの量とか大きさとかが、これまでに読んだ戦記ものの中でイチバンでした。
健太として生きなければならない吾一の言葉も響きます。とくに現代の街並みを見、若者たちの振る舞いを見た吾一が言った「俺たちはこんな世界のために命を懸けて戦ったのか!?」には、私の頭の中から言葉がなくなりました。逆に読み終えたときは、いろいろと考えさせられました。
考えさせられるラストですが、それから先の物語の展開は読者に委ねられます。好きではない人もいるでしょうが、私は素敵なラストシーンだと感じました。
もうすでに映像化もされていたみたいだし、今更感はかなり高いのですが、書店で目に付いてしまったのだから仕方ない。私が読むタイミングは「今」だったのでしょう。ご縁・ご縁。
物語は戦記物であり入れ替わり・タイムスリップなSFでありと、所謂「よくある」パターンではありました。しかしそれだけでは終わらないのが荻原さんの凄さ。「よくある」話がこの作家さんの手にかかると、グッと心を掴んでしまうものになります。とても面白いけどとても切ない…。
現代のフリーター・尾島健太と、昭和19年の「海の若鷲」に憧れる飛行術練習生の石庭吾一。ともに19歳の二人が、サーフィン中に大波に呑まれた瞬間と、飛行練習中に操縦を誤って海に墜落した瞬間に入れ替わってしまう。それぞれ迷い込んでしまった世界に順応しながらも、お互いに元の世界に戻ろうと画策する。
健太が平和な世に帰りたがるのは分かるけど、吾一が昭和20年に敗戦を迎えることを知った上で、昭和19年に帰ろうとする…。まずこう考える吾一は凄いと思う。そして今よくいるタイプの健太だって、戦時中の環境に順応して「吾一」らしく振る舞う姿にも考えさせられます。
状況を受け入れて、できることをきちんとやる。誰だっていつでも成長することができるんです。
そして、重くなりがちなテーマの作品の中でも、いつもの荻原ワールドは健在でした。
訓練所での厳しい生活を描きながらも、吾一として生きなければならない健太に現代の若者言葉でつぶやかせているのは、荻原さんらしい表現。どんな文学的な言葉で綴られるよりも、伝わってくるものの量とか大きさとかが、これまでに読んだ戦記ものの中でイチバンでした。
健太として生きなければならない吾一の言葉も響きます。とくに現代の街並みを見、若者たちの振る舞いを見た吾一が言った「俺たちはこんな世界のために命を懸けて戦ったのか!?」には、私の頭の中から言葉がなくなりました。逆に読み終えたときは、いろいろと考えさせられました。
考えさせられるラストですが、それから先の物語の展開は読者に委ねられます。好きではない人もいるでしょうが、私は素敵なラストシーンだと感じました。