このブログでも何度か書いていますが(糸井重里さんの受け売りですけどね)、僕らはある場面では「消費者」になり、ある場面では「生産者」になります。
純粋な消費者といえば、就業していない「子ども」くらいのものですかね。
とはいえ、子どもたちが使うお金は「親が稼いだお金」が大半でしょうから、「偽りの消費者」みたいなものでしょうか。
ともあれ、消費者なんて存在は、実際のところ絶対的な立場ではなく、一種の「役名」みたいなものだと、僕は思っています。
リンク先の記事は、店員の超過勤務が火事の原因に関係しているのではないか、と指摘しています。
店員4人で11時間、店を切り盛りするのは無理、というわけですね。
にもかかわらず、この店はその「無理」を押し通してしまった。
なぜでしょう?
[A] 経営状態が思わしくなく、人手を増やすことができない。
[B} 経営はうまくいっているが、経営者が異常にケチだった。
おそらくは、このどちらかでしょう。
店の経営は、当然のことながら「ビジネス」です。
儲けがでないのであれば、店は潰れますし、従業員は失業します。
儲けを出すためには、収入が出費を上回る必要があります。
どんな経営者でも、出費を切り詰めることに知恵を絞らせていることでしょう。
うちの近所に、カラオケボックスがあります。
有名チェーンではありませんから、ひょっとしたら個人経営のところかもしれません。
何度かその店に行ったことがありますが、なんというか「雑な経営」をしている店だなと思いました。
まず、受付の店員から「やる気」が感じられない。
万事、動作が遅いんです。
ソフトドリンクは、ドリンクバーからお好きにどうぞ、という仕組みです。
まあ、これはこれでよいと思います。
ただし、料理はひどいものですけどね。
味のクオリティなど求める場でないことは判っていますが…
部屋はボロボロです。
壁紙もはがれているし、防音も甘い気がします。
通信カラオケ&マイク&スピーカーさえあれば、事足りる。
そういう世界なのかもしれませんが、正直あまり行く気にはなれません。
器によって、食べ物の味は変わる。
これは、皆さんにも同意してもらえると思います。
たとえば、どうやって飲もうと、コーラはコーラです。
缶から直接飲もうと、いったんグラスに移して飲もうと、物質的な変化は大差ないでしょう。
でも、たとえばお客様が来たときに、いきなり缶コーラをドンと置く人はあまりいないはずです。
(酒盛りのときなんかは、「好きにやってね♪」というテンションだからいいとしても)
グラスに注ぐという「ひと手間」が、もてなしの気持ちにつながるわけです。
確かに、ビジネスとは「いかにして稼ぐか」が大切になります。
でも、ビジネスは「作り手」と「買い手」の両方がいなければ成り立ちません。
買い手への「もてなし」の気持ちがない作り手は最低だと思うし、作り手への「感謝」がない買い手も同様に最低だと思います。
もちろん、実際にそうした「もてなし」や「感謝」が表立つことはそれほどないでしょう。
アルバイト店員に、そうした気持ちを持てというのは難しいことかもしれません。
ファーストフード店の対応に、いちいち感動する客もまずいないでしょう。
自分だって、いろんなことを「当たり前」と受け止めて生きてるわけですから。
それでも、時に僕らは、立ち止まって考えてみる必要があります。
安いこと、便利なことの裏側に、はたして何が潜んでいるのだろうか。
新しいことは、すべて「すばらしいこと」につながっているのだろうか。
誰かに親切にされたいのなら、まず自分が誰かに親切にしなさい。
親にそう教わりました。
因果応報だよ、自分がしたことは必ず自分に跳ね返ってくるよ、と
いまある社会が「僕らが選び取ってきたものの結果」であるならば、これからの僕らの振る舞いかたで、これからの社会が変わっていくかもしれない。
一人の力はあまりに小さいけれども、それでも結局は「一人でやれること」から始めていくしかない。
革命は起こせないとは思う。
でも、それでも自分にとっての「よきこと」を信じておこなっていくことでしか、前には進んでいけないような気がします。
この世界は「綺麗なもの」だけで作られているわけではありません。
自分自身もまた「綺麗なもの」だけで作られているわけではないのですから。
それでも、何かしら美しいものを魂に秘めた人間に、僕はなりたいと思います。
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