どんな世界にも光と影は存在します。
不埒な輩というのは、
僕らからそう遠くないところに立っていて、
僕らを騙そうと常に悪知恵をめぐらしているわけです。
mixi が理想郷だなんて信じている人は、
それほどいないとは思うのですが、
だからといって100%「悪の巣窟」でもないわけです。
goo ブログで文章を書くようになってから3年ほどたちますが、
幸いなことに不快な経験をしたことは、ほとんどありません。
社会的にインパクトが強いことを書いていないからでしょうね。
それにもかかわらず、
毎日 50人以上 (IP 数から推定) のかたに
読んでいただいているわけで、
ありがたいことこの上なしです。
赤裸々なことを書いているとはいえ、
個人情報についてはできるだけ配慮しているつもりでいます。
読者の大半が「リアルな知人」だと想定していますが、
現実世界でお会いしたことがない読者がいるかもしれません。
そして、その中には、
残念ながら「悪意ある読者」もいるかもしれない。
僕は男なので、女性に比べれば
ネット経由の性的被害に遭う可能性は低いといえます。
それでも、顔の見えない不埒な輩が何を考えているかは、
まったくもってうかがい知ることができません。
失敗を恐れては何もできなくなってしまいますが、
失敗をまったく想定せずにことを運ぶというのは
「大人」のすることではないように思えます。
ブログやSNSは、僕にとって身近なツールであり、
時に喜びと安らぎを与えてくれる場所でもあります。
しかし、すべての人々が同じように考えているわけではない。
僕のような凡人であっても、
自らに不利益となることはブログで書かない、
という程度の智慧は持っています。
言葉を巧みに操ることで、
自分の姿を歪曲して見せることができる人は、
この世に大勢存在することでしょう。
僕は言葉の力を信じていますが、
それは同時に「言葉の限界」を認めることでもあります。
言葉が万能であるならば、
絵画や彫刻、写真、音楽といった芸術は、
すべて文学の前にひれ伏すことになります。
もちろん、そんなことはありませんよね。
音楽に魂を揺さぶられ、一枚の絵画に釘付けになり、
荘厳な仏像に圧倒され、鋭い構図の写真に感動する。
そんな経験を、僕ですらしたことがあるのですから。
言葉は、僕らの姿を正しくは映してくれない。
でも、一見ゆがんで見える「言葉の中のわたくし」には、
ある種の真実が潜んでいるかもしれない。
そういう曖昧さを、きちんと自分の中に持てる人って、
僕はかっこいいなぁと思うのです。
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