一番の疑問点は、なぜ女性を「機械」にたとえたのか、という点です。
人間を機械にたとえるという手法は、さして珍しくありません。
たとえば、人間の腎臓を「精密な化学工場」と評することはありますし、緻密な仕事ぶりを称して「精密機械」などとあだ名される人もいることでしょう。
ただ、何かにたとえるということは、ある意味で危険なことだと僕は思います。
卑近な例でいえば、「××さんは、●●さん(主に有名人)に似ているね」という表現。
人と接するときには、これをできるだけやらないようにしています。
有名人に似ていることが嬉しいとは限りません。
たとえ、世間的な評価が高い有名人であったとしても、です。
意図した批判であるとか、あるいはきちんと冗談であることが理解されている状況であるとか、何らかのコンセンサスが取れている場においてのみ、この手の「言い換え」は有効であると思うのです。
翻って、女性を「産む機械、装置」とたとえたこの人物は、はたしてどのような効果を期待したのでしょうか?
女性に「機械としての本分」を果たしてほしい?
子どもの出産というプロセスは、工場の生産プロセスと同じ?
この人は、自分の奥さんや娘さん、あるいは近しい女友達に同じことが言えるのだろうか?
信頼を失うのはたやすいが、信頼を築くのは難しいという「現実」を理解できているのだろうか?
厚生労働大臣という重職にありながら、女性に対して「その程度の」見識しか持っていないことに愕然とさせられます。
辞任うんぬんは、どのみち「政党の力学」で決まることでしょうからさておくとして、猛省のうえ、よほど心改めてから出直されることを望みます。
男も女も、この地球上で暮らす「仲間」なのです。
お互いに対する敬意がなくなければ、滅びの道に一直線なのですよ。
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とみしゅう
hiromu
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