とみしゅう日記

ゴッド・ファーザーとは関係なく

偽ブランド品購入、成人の45%が容認 内閣府調査 (朝日新聞) - goo ニュース

ブランド品というものを、最近は若干意識するようになりました。
例えば、いま使っているカバンは PORTER です。
その前に使っていたのは、アニエス・ベー。
ちなみに、アニエスの腕時計も持っています。

個人的に好きなブランドはクレージュなのですが、基本的に女性ものしか作っていないようなので、自分で所有することはありません。

ブランドとは、ある商品を他の商品と差別化するために使う「冠」のようなものだと思っています。
僕は腕時計が好きですが、ノーブランドで1,000程度で売られているものよりも、カシオやシチズン、セイコーなどといった国内メーカーのもののほうが質が良さそうな気がします。
さらに、各メーカーが持つブランドの中でも、たとえばG-SHOCK=スポーティー、オリエント・スター=気品といったイメージがありますよね。
そういったイメージ(高品質というのも一種のイメージ)に対して、僕らはお金を払うわけですよ。

ところが、もしそのブランドが偽物であったとしたらどうなるか。

そのことを知らずに買っていたとしたら、もちろんそれが発覚しない限りはさして問題はないでしょうね。
やけに壊れやすいなあ、とか思うことはあるでしょうけれど。
もし、そのことが発覚したら(誰かに指摘された、とかで)、それは結構ショックだと思うんです。
見抜けなかった自分のふがいなさとか、販売店のいい加減な管理体制への不満とか、そういうものが入り交ざった気分になるんだろうなぁ。
ま、でも実物が気に入っていれば、「仕方ないか」と諦めて使うことになるんでしょう。
「実はこれ、偽物なんだよ」とネタにできる場合もあるでしょうし。

でも、分かっていて偽物を買う、という感覚は理解に苦しみます。
かつて流行した「サザエボン」のように、誰が見ても偽物だと判るものであれば、「あぁ、シャレで買ったのか」ということが第三者的にも明らかですから、あとはそのセンスに対する評価になるわけです。
でも、一見しただけではすぐに判らないような偽ブランド品を、「安いから」という理由で確信犯的に買ってしまう、というのはどういう了見なんでしょうか。
他社に対する見栄、というところが優先されているからなのかなぁ。

見栄を張る、ということを否定するわけではありません。
自分だって、お気に入りのグッズを誰かに褒めてもらえるのは嬉しいですから。
でも、そういうものは「さりげなく」やることであって、あからさまに「どうよ?」てな感じで見せ付けられたら、誰だって見てみぬ振りしてやろうと思うんじゃないですか。

だいたい、もし自分が作り手であるとしたら(というか、誰しも何らかの形で生産者であるはずなのですが)、こういう偽物によって自分の作っている本物が駆逐されてしまうとしたら…などと想像したら、できるだけ偽者には手を出したくないと思うんじゃないでしょうか。
まあ、自分自身が偽物ブランドの作り手だとしたら、特に問題はないのかもしれませんけれど。

僕はゲームが好きですが、アクション・ゲームはあまり得意ではありません。
そんな僕でも、バッキバキに硬派なアクション・ゲームである「メタルギア・ソリッド」というシリーズは、けっこう買っています。
なぜか? それはこのゲームのプロデューサーである小島秀夫さんの才能を、高く評価しているからです。
自分ではうまくクリアできないけれども、このシリーズに込められている独創性やゲーム性は、実に素晴らしいと思うのです。
ですから、僕はこのゲームを買うのです。
小島秀夫が、これからも新しいゲームを作り続けていけるように。

テレビゲームなんて、なくったって生きていける代物です。
「たかがゲーム」です。
だからこそ、その世界において素晴らしい作品を作り続けている人々を、僕は尊敬しているのです。
正直に言えば、中古ゲームを買ったことも何度かあります。
定価の半分以下ですから、お金がないときは重宝します。
でも、現在のシステムでは、中古ゲームの利益が製作者に還元されません。
販売店の方々の生活を無視するわけではないけれども、作り手がいなくなってしまったら、そもそも販売するものもなくなってしまうわけです。

いい歳した大人が、延々と立ち読みを続けている姿は、実にみっともないと思います。
少ない小遣いでやりくりするのは大変でしょうけれども、そういう姿を子どもに見せることは、教育上もよろしくないのではないでしょうか。
漫画を読むこと自体を罪悪視する気はまったくなく、むしろ「たかが漫画」と雑に扱うことのほうが問題だと思っています。

すべての仕組みが完璧なわけではないけれども、やっぱり「いいもの」に対しては相応の対価が払われるべきではないでしょうか。
それが、ひいては自分自身のプライドに繋がると思うのです。

プライドという言葉は、皮肉的な意味で使われることもありますが、僕はポジティブなイメージで使っています。
だって「私は何のプライドもない卑屈な人間ですが、あなたが好きです」なんて言われたら、ちっとも嬉しくないですもの。

これもよくブログで書いている話ですが、僕は自分のことを「もてない人間」と思うことは、できるだけやめるようにしています。
かつて自分が好きになって、お付き合いをしてきた女性に対して失礼ですから。
これも、僕のプライドのひとつです。

自分が楽しく生きるためであれば、他人を騙しても裏切ってもいい。
それもまた、ある人間にとってのプライドなのかもしれません。
そういう人間と友達になりたくはありませんが。

自分のブランドをどうやって作り上げていくか、という観点があってもいいのかなぁ、なんてことを思っています。
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