中学生のころ、好きな女の子がいて、
彼女の自宅まで行ったことがありました。
とはいえ、何をするわけでもなく、
遠くから彼女の家を眺めては、
なんとも言えず悶々とした気分になって、
帰ってきた…だけだったんですけどね。
もし、その姿を誰かに見られていたら、
現在なら確実にストーカー扱いになるんでしょうが…
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自己弁護するようですけれども、
これくらいならかわいいほうだと思うんですよ。
実際のストーカー被害というのは、もっと深刻なものでしょうから。
ストーカーという人種は、
結局のところ「自分の気持ち」が大切なんだと思います。
相手側から見た「自分」の評価ができない
(もしくは、ひどくねじ曲がった評価になる)、
ということなのでしょう。
相手のことを「思いやる」ことができなければ、
恋愛など成立するわけがありません。
「思い込む」ことだけが大切であれば、
その対象は人間でなくてよいわけですから。
「思いやり」は、時に「思い上がり」になってしまいます。
そういう厄介なものを抱えてもなお、僕らは誰かを求めている。
そんな切なさや虚しさを知っているからこそ、
愛する人がいる喜びや、
その人への感謝の気持ちが、
湧いてくるはずなのです。
そういう心の流れは、
しかしながら人間が先天的に持ちえるものでは
ないのかもしれません。
広い意味での「教育」が、
僕らを人間たらしめているのでしょうね。
僕だって、えらそうにあれこれ言ってますけれども、
結果的には「誰からも選ばれずに」今に至っているわけです。
現実として、それはきちんと受け止めねばなりません。
その上で、それでもなお、
僕は人が好きだし、「美しい」女性に心惹かれるし、
幸せになりたいと願っているのです。