とみしゅう日記

善悪の彼岸

「心」説いた熱血校長体罰 給食粗末に憤り、奈良(共同通信) - goo ニュース

「給食中に茶わんの中でご飯を丸め、ふざけて天井に」放り投げるような子どもを叱りつけて、何が悪いんだろう。
そう思います。

問題は、なぜこんな「取るに足らない」出来事が、報道されてしまったのかという点です。

小学校4年生の子どもに対して、そういうしつけしかできなかった親が、自分を恥じているということであれば、まだ話は判ります。
ただ、それは「体罰」というカテゴリーで語られる話ではなく、「保護者側から考える教育問題」という観点で捉えるべきでしょう。

子どものすることを、全面降伏的に受け入れることが「教育」ではないはずです。
社会で生活していく上で許されないことは、きちんと正すべきだと思います。
そもそも「食べ物を粗末にしない」ということは、学校教育以前の問題でしょう。

この問題に「報道するべき価値」があるとするならば、
・学校側の弁明と子ども側の証言との間に齟齬 (そご) が生じている可能性がある。
・校長が行った「指導」が、明らかに度を越していると思われる。
・子どもが行った粗相の理由に、何らかのやむを得ない事情が関与している。
などの疑惑が生じている場合でしょうか。
この記事を見るかぎりでは、そういった「特殊な事情」は描かれていません。

教師が子どもを叱る。
そんな当たり前のことがいちいち報道されてしまったら、教師は立つ瀬がありません。
そこに何らかの「おかしな雰囲気」が感じられるのであれば、報道すればいい。
ただ、「教師が子どもに手を上げた」という共通項だけですべてをくくってしまうと、結局は子どもの増長を黙認するだけのことになりかねません。

教育という問題は、確かにデリケートです。
明確な指針や答えがあるわけではありません。
ただ、間違いなく言えることは、この粗相をしでかした子どもが、いつかは成人になり、社会で働くようになるということです。
もし、この子どもが単に「しつけられていない」という理由だけで、大人になっても食べ物を粗末にするような態度を続けていたとするなら、他人からまともに信頼されることはないでしょう。
それは、誰にとっても不幸な事態です。

自分以外の他者を思いやる。
それは先天的な資質ではなく、後天的に取得するべき「人間のありかた」ではないかと思います。
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