健康回復のための解毒法を以前記事にしたが
私の食生活は、ほぼ純和食、メインは無農薬玄米に無農薬野菜、天然魚、タンパク質は魚より野菜から多く取り、加えて無農薬では取り切れない分を農薬を使っている野菜も摂取する、肉、小麦粉、揚げ物、などは取らない、和食の少量の油、嗜好品としてたまに牛乳、お菓子は、和菓子、せんべいなどを取る、ケーキ、クッキーやスナック菓子のような加工品は取らない
これらの摂取基準は、実践による経験から来ている
「心の声」に素直に耳を傾けていると、何が自分にとって有害かを教えてくれる
食べ物は、食べたときに食べ物ではなく、食べ物と感じないほどまずいを超えてしまっているレベルのものもある
つまり、理屈ではなく「自分の味覚」が発する信号を感じ取っていたら、今のような食生活に自然になった
解毒に力を入れた食生活を続けるためか、身体に有害な物への感受性が強くなってきたと思われる
30年間フィリピンのルバング島のジャングルで野性的な生活を余儀なくされていた、小野田寛郎氏も同じようなことを著書の中で記していた
著者 小野田寛郎(おのだ・ひろお)
株式会社PHP研究所
<著者略歴>
小野田寛郎(おのだ・ひろお)
大正11年(1922)、和歌山県生まれ。昭和14年(1939)に旧制海南中学卒業後、貿易商社に就職し中国に渡る。昭和19年(1944)9月、陸軍中野学校二俣分校に入校、12月にフィリピンのルバング島に派遣される。以後30年間、作戦解除命令を受けることなく任務を遂行し、昭和49年(1974)に帰還。昭和50年(1975)4月、ブラジルに渡り牧場を経営。昭和59年(1984)、子供たちのキャンプ「小野田自然塾」を開設し、理事長を務める。平成26年(2014)1月、逝去。
故小野田寛郎氏も、戦後の日本を憂慮しておられた
心より哀悼の意を表し、敬意を持って引用させていただく
本書p2 4行~
どうやら自然の中で生活していると、味覚も敏感になるらしい。日本に帰ってきて、久しぶりに鮎の塩焼きを食べてみたら、脂あぶら臭くて食べられなかった。聞くと養殖だという。それならと鳥の唐揚げを頼んだら、今度は糠ぬか臭かった。養鶏所の餌か何かなのだろうか。かろうじてハモだけは昔通りの味でうまかった。養殖できないからだろう。
私は、自分で試行錯誤の末、本来誰にでも備わっている、自分にとって有害な物を選別できる味覚を取る戻せた
最終地点に、伝統的和食があった
調べてゆくと、伝統的和食は、最強の健康食品だったのだ!
もう、食品マトリックスには二度と戻らない
以下のサイトの記事で、私の食べていないものをことごとく羅列していて驚いてしまった、なぜそれらがダメなのか理由も書いている
記事内容は、不正確なところもあるかもしれないが、もし本当のことなら私の味覚は正しかったことになる
たとえ記事が間違っていたとしても、私が食べなくなった食品は、私には合わないことは確かだろう、私の味覚が証明済みである
このページの中の2つのタイトル
「決められた日本人の人生ノート・・・ 2023年9月9日」
「戦後、日本人の食が根本的に変わったという話・・・2023年8月26日」
これ以外の他の記事は、「あらら、何だかなぁ~???」という内容のものもあるので
読まなくて良いと思われる
解毒法はこちら「その1」からはじまる
ラストサムライの小野田寛郎氏のサバイバル法を学ぶシリーズ
食物マトリックスから思いついた世界征服作戦を企てる哀愁のカナリヤ男とは
結論は、和食、特に和食の発酵食品は最強だった 納豆、ぬか漬けなど