シエナの第9弾では、20年前に初めてシエナを訪問した時の街並みの写真を集めてみました。
主な見どころであるドゥオーモやカンポ広場などを除くといくつかある大きな教会(サン・ドメニコ教会、サン・フランチェスコ教会など)も
当時は内部の撮影禁止(その後の訪問で撮影は実施)でしたが、それでもシエナの街並みの優雅さ、美しさは十分に楽しむことが出来ました。
なかでもシエナの旧市街の周辺を取り囲むように存在する泉の一つ、ブランダの泉の美しさは特に記憶に残っています。
シエナの第9弾では、20年前に初めてシエナを訪問した時の街並みの写真を集めてみました。
主な見どころであるドゥオーモやカンポ広場などを除くといくつかある大きな教会(サン・ドメニコ教会、サン・フランチェスコ教会など)も
当時は内部の撮影禁止(その後の訪問で撮影は実施)でしたが、それでもシエナの街並みの優雅さ、美しさは十分に楽しむことが出来ました。
なかでもシエナの旧市街の周辺を取り囲むように存在する泉の一つ、ブランダの泉の美しさは特に記憶に残っています。
フィレンツェの際23弾ではスカルツォの回廊をご紹介します。
サンマルコ修道院の建つサンマルコ広場から修道院の左手のカミッロ・カヴール通りを少し進んだ所にあるスカルツォの回廊は、
サンマルコ修道院の人気の陰に隠れて訪問する観光客も少ない小さな回廊ですが、聖ヨハネ洗礼者聖徒会の修道院の小さな入り口を入って
直ぐの所にあります。この回廊には聖ヨハネの生涯のエピソードを描いた16点を含むモノトーンのフレスコ画が描かれています。作者は
フィレンツェ出身の画家アンドレア・デル・サルトで、1509年頃~1523年にかけて描かれたものです。
天上からの光が差し込む下で、モノトーンのフレスコ画は静かに崇高な雰囲気を醸し出しています。じっくりと鑑賞するための椅子も
いくつか用意されていました。
グッビオの第1弾ではサンタゴスティーノ教会をご紹介します。
インジーノ山の麓に広がるグッビオの旧市街を取り囲む城壁の東の端、ロマーナ門を出てすぐの所に建つ聖アウグスティノ隠者修道会の
一部としてサンタゴスティーノ教会は13世紀の中ごろに建設が始まり、18世紀に再建されています。レンガ造りのシンプルなファザードは
1790年まで遡ることが出来るそうです。
教会の内部は単身廊となっており、左右には礼拝堂が並んでいます。主祭壇にはヴェントゥーラ・メルリーニ作と言われる15世紀末の木製の十字架が
掲げられ、その上部には最後の審判、後陣には全面に渡ってヒッポの聖アウグスティノス(354-430)の生涯の物語がフレスコ画として描かれています。
スポレートの第18弾では、旧市街の旧サンタガタ修道院内に設立されている国立考古学博物館をご紹介します。
博物館は1985年に設立され、古代ローマ時代までさかのぼるローマ劇場も敷地内に包含しています。博物館の1階には
紀元前千年紀からローマ時代以前まで、ウンブリア人の重要な定住地となったスポレートの都市の発展のさまざまな段階の
出土品が展示されています。特に中期青銅器時代 (2 世紀半ば) における人間の存在の最初の証拠や、 7 ~ 6 世紀の副葬品によって
証明されるウンブリア期の集落の発展などが目を引きます。
また2 階には、古代にサビニの領土の一部であったにもかかわらず、スポレートと文化的に密接な関係があったヴァルネリーナ地域
からの出土品が展示されています。
ローマ劇場は紀元前1世紀にに建てられ、部分的に後の建物に組み込まれましたが、中世に部分的に解体されました。 しかし1950 年代に
始まった計画的な修復作業により、階段が復元され、複合施設全体が復元されています。
ローマの第59弾では、第58弾に引き続いてバルベリーニ宮(国立古典絵画館の写真を取り揃えました。
1633年に完成したフィレンツェの貴族バルベリーニ家の私邸を利用した、ローマにある美術館として、1949年に国立古典絵画館として
一般の公開が始まっています。
読書するマグダラのマリア…ピエロ・ディ・コジモ
ヘンリー8世の肖像…ハンス・ホルバイン
ステファノ4世・コロンナの肖像…ブロンズィーノ
キリストの洗礼、羊飼いの崇拝…エル・グレコ
我アルカディアにあり…グエルチーノ
ホロフェルネスの首を斬るユーディット…カラヴァッジョカラヴァッジョの追随者
ヴァニタス…キャンドルライトマスター(カラヴァッジョの追随者)
ベアトリーチェ・チェンチ…グイド・レーニ
アルベロベッロの第11弾では、お土産屋やレストランが並び、観光客にも人気のリオーネ・モンティ地区の様子を
お届けします。
石灰岩を薄く加工した石板を積み上げたとんがり屋根のトゥルッロ(複数形はトゥルッリ)の家並みで人気のアルベロベッロには
トゥルッリの集まる2つのエリアが町の東西に存在していますが、西側の丘に広がっているのが、お土産屋やレストランが並び観光客にも
人気のあるリオーネ・モンティ地区です。リオーネ・モンティ地区はなだらかな丘の斜面に沿って数本の道が並んでいます。
一番の賑わいを見せているモンテ・サンン・ミケーレ通りの先には、1926年建立、伝統的なトゥルッリの屋根と鐘楼を持つサンタントニオ教会が
建っています。東側の主として居住地区のアイア・ピッコラ地区のトゥルッリも屋根の造りは殆ど同じですが、リオーネ・モンティ地区のトゥルッリ
のとんがり屋根には月や太陽、ハートなどの紋章が描かれている家が多いのが特徴です。これらの紋章の正確な意味はよく分かりませんが、キリスト教
が浸透する以前の異教や魔術信仰のシンボルや、魔除けなどの意味があると考えられているようです。
トリノの第13弾では、トリノ王宮の前カステッロ広場に面して建つマダマ宮殿をご紹介します。
遡れば元々は古代ローマの砦だった場所(現在でも地下に遺構が残っています)に14世紀にサヴォイア家につながるアカイエ家が
城を構築し、1640 年代以来 2 人の王室夫人の公邸として使われていました。これが通称マダマ’(マダム)宮の由来となっています。
城塞として建築されていたので、現在正面の豪華なファザードから一転裏に回ると2つの塔を持つ城塞の姿を残しています。
現在この宮殿は改修を経て市立古典博物館として公開されていると共に、「サヴォイア王家の王宮群」として世界遺産の一つとなっています。
美術館は1934年の開館ですが、コレクションは1832年開設の王室美術館まで遡るのだそうです。1階にはゴシックとルネッサンスの作品、
2階はバロックの作品、3階には陶磁器、ガラス製品などが収納されています。
ミラノの第23弾では、サンテウストルジョ大聖堂をご紹介します。
ミラノのドゥオーモの南西方向、ポルタ・ティチネーゼ通りがティチネーゼ門に突き当たるすぐ手前に建つサンテウストルジョ大聖堂は
ミラノに残る初期のキリスト教大聖堂の一つで4世紀の中頃に建てられています。初期の名称は3 人の賢者に由来して「バシリカ トリウム マゴルム」
と呼ばれていましたが、現在教会は4世紀のミラノの司教聖ユーストルギウスに捧げられています。
教会のファザードはレンガ造りで切妻風となっていますが、これは19世紀の半ばに12世紀頃のデザインに基づきネオロマネスク様式に
修復されたものとなっています。
正面から後陣までが70mもの長さがある教会内部は3身廊となっています。主祭壇を飾るのは14世紀末に複数の彫刻家によって制作された
受難のアンコーナとなっています。大理石の多翼祭壇画は、浮き彫りに彫刻された 9 枚のパネルで構成されています。
教会の右手にはルネサンス様式の高貴なプリヴィオ家の礼拝堂があり、使徒聖ヤコブと司教聖ヘンリーの間に子供を持つ聖母が描かれた多翼祭壇画が
飾られています。また教会の右手奥には初期キリスト教の遺跡が残っています。
アスコリ・ピチェーノの第11弾では、サン・セラフィーノ・ダ・ モンテグラナーロ教会をご紹介します。
サン・セラフィーノ・ダ・ モンテグラナーロ教会は、アスコリ・ピチェーノの旧市街から街の北側、トレント川に掛かるソレスタ橋を
渡ったエリアに建つカプチン会の教会(と修道院)です。教会はモンテグラナーロ出身で、17世紀初頭に没し、1767年に教皇
クレメンス13世によって列聖された聖セラフィーノに奉献されています。現在の教会は 1771 年にカプチン会修道士によって再建され
ています。教会の入り口は16世紀の列柱が並び、側面礼拝堂を備えた単身廊の教会内部には、パオロ アウグスト ムッシーニの手による
サン セラフィーノの生涯を表すフレスコ画が飾られています。主祭壇の下には聖 セラフィーノ像と遺骨が入った壺が祀られています。また
一部の祭壇画は画家オスカー・マルツィアーニによる20世紀半ばの作品で、重厚な中性のフレスコ画とは全く異なるパステル調の作品と
なっています。
フォリーニョの第6弾では、サン・フランチェスコ教会をご紹介します。
サン・フランチェスコ教会は元々は13世紀に11世紀末に遡るそれまでの古いサン・マテオ教会を取り込む形で建てられた教会です。
現在同名の広場に面して建つこの教会は、18世紀末に建築家アンドレア ヴィチの設計に基づいて改修され、19世紀半ばに
完成した新古典主義様式の教会となっています。教会の内部は単身廊で、後陣を備えた 4 つの側面礼拝堂が備えられています。
教会は現在フォリーニョの福者アンジェラの聖域となっていて、過去何世紀にもわたって小修道会会員の住居として機能してきているとのことです。
主祭壇には聖フランシスコが聖痕を受けた様子が描かれています。
オストゥーニの第11弾では、旧市街の中に広がる細い通路の写真を集めてみました。
プーリア州のブリンディジ県の海岸から8kmほどの小高い丘の上に広がるオストゥーニの旧市街はプーリア州に点在する白い街の
一つとして知られています。住居も兼ねる白い城壁に囲まれた旧市街の中には、最も高い位置に立つ大聖堂を取り囲むように細い道が
いくつも続いています。複雑な小路に入り込むとまるで迷路のような美しい道や階段の連続に思わず迷子になってしまいそうな感覚に
陥ります。
スルモーナの第2弾では、旧市街の中心ガリバルディ広場に面して建つサンタ・キアラ教会に併設されたヴァルヴァ スルモーナ教区博物館を
ご紹介します。
バロック様式のサンタ キアーラ教会は公開されていませんでしたが、その隣の修道院部分がヴァルヴァ スルモーナ教区博物館として
点数は少ないながらもスルモーナ大聖堂やその他の市の教会、教区から 12 世紀~19 世紀の作品が集められています。
・聖ビアッジョ…木像、15世紀
・聖母子…木像、15世紀
・十字架…木製、15世紀
・釣鐘…ブロンズ、15世紀
・キリストの磔刑…フレスコ画
・福音者ヨハネ、聖パオロ、聖ピエトロ、洗礼者ヨハネ…板絵、16世紀
・聖ジャコモ…油絵(板絵)、16世紀
・キリスト降架…油絵(板絵)、16世紀
・十字架…石(?)、16世紀
・聖母の誕生…油絵、17世紀
・キリストの磔刑…油絵、17世紀
・ご訪問…油絵、18世紀
・聖母子と諸聖人…17~18世紀
・最後の晩餐…フレスコ画
・ピエタ…フレスコ画
タルクィニアの第1弾では、イタリア国鉄のタルクィニア駅から旧市街へのバスが着くカブール広場から程近くに建つ
カテドラーレをご紹介します。
タルクィニアはエトルリア時代のネクロポリスが有名ですが、そちらはまた別の機会にご紹介の予定です。
バスを降りて、すぐ近くの細い道を左に入っていくと直ぐに見えてくるタルクィニアの大聖堂はサンタ マルゲリータ大聖堂の
名前で、聖マルゲリータと聖マルティーノに奉献されています。教会が建立されたのは1260年で、1435年に大聖堂に
昇格しています。残念ながら1643年に火災によって大部分を失った後、再建されさらに19世紀には新古典主義様式に
改修されています。この改修によって内部に新たに9つの追加されたとのことですが、少なくともファザードや、3身廊の
内部は正直に言ってもあまり見所が無いものとなってしまいました。
そんな大聖堂ですが、半円形の後陣部分にはバロック様式の主祭壇が残っており、素晴らしいフレスコ画を見ることが出来ます。
サン・ジミニャーノの第7弾では、城壁に囲まれた旧市街の内外の街並みの写真を取り揃えてみました。
今回の写真は2005年、2006年にフィレンツェから日帰りで訪問した時の物ですが、当時はフィレンツェからのプルマンを
ポッシボンシ駅近くのバス停で降り、道の反対側に来るサン・ジミニャーノ行きのプルマンに乗り換えるというちょっと不安な行程
でしたが、現在はポッシボンシのイタリア国鉄駅の前にしっかりしたバスステーションが出来ているので乗換もかなり楽になっています。
また当時はドゥオーモなど主要な教会の内部が撮影禁止となっていたので、内部の写真は殆どありません。それでもサン・ジミニャーノの
街の魅力は十分に感じられました。