令和2年7月30日 富山新聞掲載
大酒のみの花よめさん
氷見市内のある大地主の家に、石川県の能登の大しょう屋からおよめさんが来ました。
大地主の家は、戦国時代から何十代もつづいてきた旧家でした。
自動車もない明治時代のことです。
およめさんは真っ白の花よめいしょうに角かくしをして、馬に横すわりで乗っています。馬の胸には 赤いつながつけられ、それにスズがついています。歩くとシャンシャンシャンと音がします。
よめ入り道具は十台の大八車に乗せられています。おおぜいの人足たちは そろいのはっぴを着て、にぎやかに歌を歌いながら 大八車をひいています。
およめさんの一行は、山をこえ、一日がかりで大地主の家に、とうちゃくしました。
夕方から大地主の家で、お祝いのえんかいが始まりました。
村じゅうの家々から、人々が集まり、広い大地主の家も満員です。
およめさんを正面中央にすわらせ、歌やおどりを交えて、夜をとおしての酒もりです。
およめさんは、お酒をすすめられるままに、ぎょうぎよく飲んでいる すなおな人と思われていました。
花むこさんは、これまで一度も花よめさんと会ったことはありません。今日、はじめて自分のよめさんを見ることができるのです。
しかし、およめさんは角かくしを、深くかむっているため、ほとんどその顔は分かりませんでした。
およめさんも、どの人が自分の夫になる人なのか、えんかい中には分かりませんでした。
朝方になると、村の人びとが少しずつ、帰り始めました。
およめさんについてきた人足の方々は、遠い山道を歩いてきたことと、お酒を飲んだことが重なり、よいつぶれて、ねむりこんでいます。
えんかいが終わり、その家に最後まで残っていたのが、むこさんでした。
それ以後、よめさんとむこさんは、朝、昼、夕食のときに、かかさず酒を飲んでいました。
年月がけいかし、大地主の家は むこさんとよめさんの時代となりました。
よめさんは、かたときもお酒のビンを はなさないで持ち歩くようになりました。
お人よしのむこさんと大酒のみのよめさんは、周囲の人々に「あの田んぼをゆずってくれ、この山林を分けてくれ。」と言われ、分け与えました。
ざいさんは、ほとんどなくなりました。
「このままでは、自分のために、伝統のある大地主の家が、つぶれてしまう、どうしたらよいか。」と、よめさんは なやみました。
思いついたのは、庭にわき出ている水を使って、おいしいお酒を造ることでした。
「あなた、もっとおいしいお酒をつくりたいの、いいかしら。」
「ああ、好きにしていいよ。」
酒を飲むのを忘れて、おいしいお酒造りに、打ち込みました。
そのかいあって、できたお酒は 誰が飲んでもおいしいものでした。大地主の家は、造り酒屋として、大いに栄えていきました。