高齢者グループの短歌会でいつも一首鑑賞をやっている。この日は次の短歌
● 生き死にのことたわやすく思う日とあがく日ありて拠りどころなき 葉山潤 作
を鑑賞した。
意味は単純明快:「 生きること、死ぬことを何でもないように思う日とまた反対に、非常にあがく日がある自分だ、どうしょうもないなあ・・・」 である。
今月この歌を鑑賞しようと思ったのにはわけがある。
この会のなかのひとりが数か月まえ、次の歌を持ってこられた。
● 住職の知人のことば 死について問えば「私もこわい」と言いき
● 灰となり終の住み家は暗き墓 無のなかにある魂とは何
彼女は、80歳ほどかしら。
短歌を初めてまだ三年ほど。しかし毎月30から40首作られる。彼女は技巧に走らず、また、感動をそのまま出してうたわれる。(逆に言えば、感動してないのに感動したような詠い方はしない。)
この会のメンバーは、「自分だけの小さな歌集」を作ろう、という意気込みをもっておられて、もうすでに実現したひともいる。
頭のさがる思いがする私。
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