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支流からの眺め

智慧とは何か

 2024年2月19日
 「幸福とは何か」(1月31日)では、うまくお金を使うには智慧が要るとした。智慧とは、「自由な立場で物事の道理を理解する能力」だろう。自由な立場とは、自己だけでなく他者の考えや感情から自由になることだ。特定の主義や思想からもだ。その上で、客観的に大局を読み、起こっている事象の本質を冷静に見極める。この能力は、経験や知識によって高まるが、財産や社会的地位、性別や年齢などとは必ずしも関係なさそうだ。

 智慧のある人は、自分の考えや感情をうまく他者に伝え、多数の他者の考えを尊重し謙虚に耳を傾ける。相克があってもそれを受容し、過大な感情的反応をしない。何か絶対的な存在を拠り所としているかもしれない。このような精神の自由と安定の上で、適切な解決策を案出する。もっとも、名案を生み出す知的能力(知恵)だけでは智慧のある人とは言わない(悪知恵という言葉がある)。

 逆に、智慧がない人とはどんな人か。考え方が自己中心的で、他者の真意を誤解・曲解し、物事を深く考えずに単純化したがる。例えば、二元論(敵か味方か、悪いのは相手か自分か、百か零かなどの極端な議論)や単純かつ強引な決めつけである。加えて、感情の表出が強く、その感情に自分も流され、影響(後悔、恨み)が長く続きなかなか回復しない。その一方で、相手の感情には鈍感だ。

 問題は、智慧のある人は争いを避けるが智慧のない人は争うので、実際に社会を動かす人に後者が多くなることだ。だから一層、智慧のない人でも逸脱しないように、智慧の利いた制度設計が必要となる。とりわけお金は危険物で、智慧のない人が扱っても過たないように仕組むことが必要だ。自分勝手に動こうとする通行人が衝突して喧嘩しないよう、往来に信号機を設置するように。

 お金の扱いで特に智慧が必要なのは政治家だ。現代の政治家が目指すべきは、国民を幸せにする社会、自由と信頼と安全のある社会だろう。しかし現実は、懲りずにお金の魅惑に毒され、お金だけで繋がる脆い関係に流されている。最近も政治資金規正法で政界がもめている。いかなる智慧者でも、自らを縛る制度の設計は当事者では無理だ。それは第三者に任せ、政治家本来の仕事に自分の智慧を絞ってもらいたい(続く)。

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