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支流からの眺め

危険物としての集団の支配者

 人々が集団を作る大きな理由は、集団を利用して己の煩悩を満たし怨念を晴らそうという願いだ。集団の支配者がその願いを叶えようとするうちは、支配者は崇敬の対象となる。しかし支配者は、その立場に居ると支配者自身の煩悩や怨念の満足をより重視するようになる。こうなると、支配者は極めて危険な代物となる。

 典型的なのは国の支配者だ。かつては(今も一部の国では)、暴力やその威嚇という露骨な恐怖を使って、支配者による法外な蓄財、恣意的な制度や処罰、性的な放埓などが許された。近代国家となると、少なくとも平常時には、支配者の煩悩を暴力で実現することは困難となった。暴力は表に出なくなり最終的な手段とされる。

 近代国家の支配者が通常利用するのは、法律と洗脳だ。支配者には国民から立法権が信託されている。この立法権を利用し、法の解釈や新法の作成により法律を言い訳や隠れ蓑にし、法的に支配者が国民の行動を拘束するのだ。具体的には、軍事権、警察権、裁判権、徴税権、人事権、行政権などの合法的な行使だ。

 洗脳とは、一部の情報を繰り返して流し、あわせて不都合な情報を遮断し、人々に特定の思考様式を刷り込むことだ。それが集団で共有されると、社会常識や社会通念(思い込み)となる。こうなると、人々の思考が固定化され、逆らうことすら思いつかず支配者の意向に従うようになる。

 支配者による暴力、法律、洗脳に抗する手段は何か。他の権威(君主、聖職者)、対抗勢力(敵対国、国内の野党)、情報公開(多様な手段、表現の自由)、法的制度(憲法、公選制)などだ。何より構成員の「支配者は危険物」という認識が重要になる。その言動がもっともらしい時の方が逆に危険だ。

 支配者の危険性は国に限らず全ての集団に共通する。支配者の心構えとしては、己の煩悩を抑え、より高い清廉さを自己に課すことだ。まして国を預かる者には、それがより必要になる。世の会社員はコンプラ講習を強制されている。片や、「上級国民」の政治家や官僚はどうなっているのか。(続く)

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