先のBlog、武漢ウイルスと経済崩壊(2)では、この30年間のデフレに潜む心理を推察してみた。しかし、今回の営業自粛では、当面のお金が工面できない事態が多発し、経済崩壊という現実が突きつけられている。その対応策の一つとして、全国民を対象に10万円の特別定額給付が決定した。
この給付金の直接の目的は、自粛のために収入が激減した人々の救済であろう。放置すれば、倒産・失業を招き、社会不安を伴う深刻な事態になりかねない。金額の多寡は別に、方向性は正しい。一方、収入が減らない人は、「もらうのは申し訳ない、返金・辞退したい」などと考えるかもしれない。しかし、そうしてはならない。この給付金には、消費を高めるという目的もあるからである。10万円を国庫に返せば、その分消費が消えるだけである。貯金も意味がない。早々に、今まで消費を控えていたことに使う、これが必要である。気持ちが許さないならば、切迫した事情のある団体や個人に寄付すればよい。
実は今回のコロナショックまでも長くデフレが続いていた。これには、アベノミクスの3本の矢なる政策がとられていた。すなわち、金融政策(低金利や量的緩和)、財政政策(政府支出や公共事業)、成長戦略(成長産業への投資誘導)である。これに従い、法人税減税、消費税増税、規制緩和(エネルギー・農業・医療分野の外資への開放、外国人労働者の雇用促進、観光ビザ緩和、人材派遣規制の緩和など)を実行してきた。そのために国債を発行し、いわゆる国の借金は1200兆円にも達した。国民の気持ちを奮起させようと、一億総活躍などと歯の浮くような掛け声も上げてきた。しかし、個人消費の回復やデフレの脱却を果たす運びにはならなかった。
これらの施策を見るに、貨幣の量を増やして流通を促進するように制度を変えれば、その恩恵が個々人にまで行き渡るという理論建てである。国民に負託された政府が使途の方向性を示し、有能な官僚が有識者の意見を承りながら法律や予算を組み立てた。しかし、山上で撒かれたお金は河を下るうちに淀み、河口で待つ個人には届かない。一部を富ませ一部を貧させ、弱者は競争の敗者として切り捨てられる。切り捨てられた人々が行うはずだった個人消費は消えてしまう。その一方で財政健全化に拘り、消費を抑える消費増税という矛盾した政策を強行してきた。
今回の給付金は、これらの政策と方法論がまったく異なる。つまり、個人に直にお金を渡して使ってもらおうというのである。この長所は、方法が単純明快で、国民すべてに平等に恩恵があることである。特に生活困窮者にとっては、命を救う施策ともなる。政府の人気は上がり、国民は幸せを実感できるはずである。この際だから、今後は定期的に給付してはどうか。毎年12兆円(GDPの2%)を現金給付すれば、2%のインフレ目標も達成できるだろう。定期的な給付を躊躇するなら、慶事の際にお祝い金を配る手もある。例えば、平成から令和への御世替わりなどは、国民全員にご祝儀を出す良い機会であった。
仮に毎年支給するとして、その予算はどうするのか。それは、今回の給付金に倣い、国債で賄えばよい。国債では、「国の借金」が増えるという心配もあろう。しかし、国内貨幣は政府の発行する信用通貨である。消費が過熱して生産が間に合わずインフレになるのでなければ、貨幣は増やし続けることができる。増やすことで経済規模も拡大する。減らしたければ、日銀に買い取らせれば済む話である。今までも異次元の財政出動で国債を発行し続けてきたではないか。どうしても国債発行を控えたければ、12兆円分の政府支出を控えればよい。但しそうすると、議員先生方やお役人様の予算分配に伴う利権が消えてしまうことになるが・・。
政府は財政健全化(いわゆる国の借金1200兆円の解消)に強く拘ってきた。これに照らすと、今回の給付金は国債を発行して国民に直接お金を渡すわけで、思い切った政策転換である。国民が喜び、その経済効果が実証されれば、継続することが経済成長にもつながる(方法が単純なので、管理費用の節約にもなる)。あわせて、せっかく増やしたお金を淀ませないことも肝要である。消費税という消費を抑える施策を中止し、お金の分布の歪みを修正する徴税制度を設けることである。
今回の臨時の現金給付は、この政策が消費を上げてデフレ脱却を促すことを証明する良い機会になる。政権担当者に今後も続ける気になってもらうためには、すぐさま使うことが肝要である。