
我が国における国柄の保守を謳う政治家の筆頭である安倍首相が、安易に「自由と民主主義」を高唱して憚らない。安倍首相の対米外交は明治の開国期、米英に 追従した薩長の流れをくむかのようであり、我が国の国柄における民主主義とは如何なるものか。首相の事由や民主主義の礼賛がそれらの深い考察に基づいたものとは思われない。
これに対して、近代日本を代表する言論人である徳富蘇峰(1886~1957)は、敗戦直後の占領期に記した数々の著書の中で、徹底した皇室中心主義の立場から安易な民主主義の受容に対して根源的な批判を加え無条件降伏への憤り、昭和天皇への苦言から東條、近衛らへの批判と大戦の行方を見誤った悔悟の念を赤裸々に語っている。
1946年、中国から共産党の野坂参三が帰国し、食糧メーデーでは参加者が天皇に面会を求めて「米よこせ」と叫び、極東軍事裁判も始まり騒然としていた。徳富蘇峰は貴族院議員を辞し、文化勲章も返上して熱海に蟄居、未曾有の敗北の原因を探り、役所や軍の腐敗を厳しく指弾した。勝てば官軍、負ければ賊かと東京裁判に疑問を呈し、皇室の存続を願う一方、昭和天皇の退位が必要と説き、マッカーサーの米国化政策から日本をどう護るべきか、復活の道を探っていた。現在の日本にも通ずる極めて重要な所見を披瀝している。
以下、『徳富蘇峰 終戦後日記Ⅱ「蘇峰夢物語続編」』から引用する。
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共産党の妄動、逆に天皇制を支持す
後世の歴史家が、即今人心動揺の際に於て、我が皇室制度を支持するに、最も効果的のものを数えるならば、皇室制打倒を絶叫する共産党を、第一に置くであろう。この場合に於ては、野坂参三や徳田球一の徒は、楠木正成以上の忠臣であったと、その動機を除外し、効果のみを考察する時に於ては、言わざるを得ないであろう。それ程迄にも共産党の軽挙妄動は、逆効果が著明であった。
日本には、キリスト教程の、活ける勢力ある宗教が無い。部分的にいえば、日本の仏教、神道、その他各派の宗教、及び宗教者の申には、欧米のそれに比して、優るとも劣らなき者も、あるであろう。但だ概括的に論ずれば、遺憾ながら、とても比較にはならない。しからば日本に於て、いわばローマ法王の代りに、大なる秩序の象徴となるものなきやといえば、それが即ち皇室である。今ま仮りに、ローマ法王の膝下である、伊太利国民の、ローマ法王に対する心理的状態と、日本国民の我が皇室に対する、心理的状態とを比較すれば、これ亦た同時の論ではない。如何にローマ法王が、セント・ピーター(聖ペテロ)以来、天国の鍵を握っているとしても、我が万世一系の天皇に対する、我が国民の心からなる敬愛とは、同日の論でない。
この点は、如何に皮相のみを観察する外国人でも、苟(いやしく)も日本に関心を持つ程の者は、到底見逃がす事は出来ない。そこでソ聯とか支那とかは、この国民の、この国家の、大なる錨ともいうべきものを、日本より取り去らんと欲する所以であり、また米英諸国が、この船を適当の場所に繋ぎ止むるには、この錨が必要であると、認むる所以である。要するにソ聯や支那は、皇室を根本的に、日本から取り去らん事を期待し、米英諸国は、皇室を米英風に同化せしめて、これによって日本を、彼等の思う通りに、その仕組を改めしめんと、欲するものであろう。而して共産党が、ソ聯等の意思を承けて、やる事やら否やは姑(しばら)く措き、余りに猛烈に騒ぐからして、ここ迄は米英諸国は、皇室の事には我れ関せず焉の態度を以て、莅(のぞ)みたるものが、洞ケ峠を下って、幾分皇室を庇護するかの如き態度を、示し来った所以であろうと、察せらるる。
単に日本を改革するという点からいえば、皇室打倒が、論理的に於て、条理徹底している。しかし日本から皇室を取り去れば、日本は共産主義国となるか、若くは再び旧(も)との軍国主義以上の乱世となるか、二者その両(ふた)つに出でない。それよりも、皇室より権力を奪い、皇室を以て日本国民精神の鎮定剤となし、共産党にも行かず、軍国主義にも行かず、平和的民主的国家として、存立せしめんとするのが、米英といわんよりも、むしろ米国の、今日日本に対して、画く所の政策の、大綱であるまいかと思う。
今日の問題は、如何にして、また如何なる皇室を、存続せしむるかという問題に非ずして、問題は日本に皇室制を保存するか、撤去するかという問題である。憲法の条文に於て、例えば主権が天皇に存するとか、存せないとか。天皇は神聖にして犯す可らずとか、将(ま)た然らずとか。天皇には宣戦構和の大権を与うべしとか、与うべからずとかいう事については、銘々必ず意見を持っている筈だ。しかし今日の場合は、主権論などで、時日を遷延する場合ではない。従来我が国民は、天皇に対して、未だ曽て主権の持主であるか否かを、吟味したる者はない。帝国憲法の出来たのは、漸く明治22年である。我が皇室の出来たのは、神代は姑(しばら)く措き、神武天皇以来としても、二千六百年を超えている。仮りに学者の説の如く、上代の天皇の年齢には、掛け値があって、紀元より四、五百年乃至五、六百年、引き去る必要がありとするも、尚お二千年の歴史がある。
我々は決して、帝国憲法を読んで、初めて日本の皇室が、有難いという事を、知った訳ではない。それで憲法上に於ける天皇の権限などという事は、今日に於ては決して重要の問題ではない。如何に多くの権を、憲法が天皇の為めに保証しても、外国の軍隊が日本に滞在し、マッカーサ元帥が、日本政府に対して、指揮命令権を行使しつつある今日に於ては、天皇の権が多いからとて、得でもなく、少ないたからとて、損でもない。
唯だ問題は、日本に皇室制度の存続如何である。これを以て我等は今日の場合は、言いたい事も言わず、飽く迄忍び、飽く迄耐(こ)らえて、我が国民の総ての力を、皇室制度の存続に、全注すべきものと思う。かく考えて、現在の事情を観察すれば、思いがけなく、我等にとって、大なる味方を、共産党の内にといわんよりも、共産党そのものに向って、見出す事の出来たのは、寔(まこと)に意外の僥倖であったと思う。
講談社『徳富蘇峰 終戦後日記Ⅱ「蘇峰夢物語続編」』2006年12月
マッカーサー厚木到着 米国の占領政策開始
千代田区・昭和館の「戦後70年写真展 それぞれの終戦」のポスターの写真
70年前の8月15日 皇居前広場
今はこのような日本人はいない。尤も ”長男夫婦”は避暑地でバカンス,詮なしか。
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皇居前広場、今では中国人の観光スポット
1 東京駅から二重橋に至る通りにある中国農業銀行
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3 中国人の若者、策をまたぎ通路へ出る者も
4 これも中国の若者
5 楠正成の銅像 ガイドの説明を聞く中国人
6 こちらも
7 中国人、明るく元気な人ばかり、声も甲高い
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9 ちらほらと欧米系の人が見える
10 日本人の団体はこのグループのみだった
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“8月15日”をめぐる皇室の動き
天皇陛下は、8月15日の追悼式のお言葉で、「さきの大戦に対する深い反省と共に、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります」と述べられた。
「深い反省」という言葉が、新たに盛り込まれた。先の戦争に対する陛下のお気持ちが反映されたものと言えよう。
陛下は、今年の年頭にあたっての感想でも、
「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と強調されている。あの戦争を知る世代として、陛下の遺族に対する思いには、特別なものがおありだろう。天皇、皇后両陛下は4月、第2次大戦で激戦地となったパラオ共和国のペリリュー島を訪間し、日米の慰霊碑に献花された。
戦後70年の今年、戦争の傷痕と真摯に向き合うお二人の真撃なお姿は、内外に強い印象を与えた。
天皇皇后両陛下の戦禍に真摯に向き合う姿勢には違いはないが、対米配慮や太平洋の島嶼国への進出著しい中国に対する政府の外交活動の一環でもある。
宮内庁は先日、昭和天皇が国民に終戦を伝えた「玉音放送」の録音原盤と音声を公開した。両陛下から「録音盤の再生を検討してみては」と示唆されたためだ。昭和天皇が終戦の「聖断」を下した皇居内の御文庫付属室(地下防空壕)の写真と映像も公開された。床や壁が朽ち果てた現状が、歳月の流れを感じさせる。戦争を直接体験した世代の高齢化が進む。悲惨な記憶を次代に語り継いでいかねばならない。
悲惨な過去を忘れるべきではないが、「不戦の誓い」だけで事足れりとはならない。平和や不戦を希求するが、その世界を創造するために何をすべきかまでは考えない。
敗戦後、皇室は占領軍に庇護され存続し、昭和天皇もそれに応え戦後復興の支えになった。今上天皇は家庭教師であった米国人のバイニング女子に教育を受けて育った根っこの米国の申し子である。米国から見れば”立派な天皇陛下になられました”と賛辞を受けるのだろうか。
70年前の8月15日 皇居前広場
次世代の皇室、このような光景はないであろう。
千代田区・昭和館の「戦後70年写真展 それぞれの終戦」のポスターの写真
米中も「不戦の誓い」に文句をつけまい
8月15日は、70回目の終戦の日だ。310万人の戦没者を哀悼する催しが各地で開かれた。
東京・日本武道館では、天皇、皇后両陛下をお迎えし、政府主催の全国戦没者追悼式が行われた。
天皇皇后両陛下の長男夫婦は終戦の日になると例年、避暑地へ出向き戦没者追悼式などさらさら関心が無い様子。
「売り家と唐様で書く三代目」、皇室一家のあり様は、米占領軍に代わって今も米国の意思を代弁しているかのようである。
徳富蘇峰が危惧した皇室がある。
アー、呑気だね、今年もこの時期に避暑地でお気楽な「次世代」
産経ニュース 2015年8月11日
日本が不戦を誓っても中国の戦う意思を拘束するものではない。8月15日、戦没者追悼式が行われている最中に中国船1隻が尖閣諸島・大正島沖の接続水域内で棒状の物体を海中に投入し、同日午後7時頃には中国海警局の公船3隻が尖閣諸島・魚釣島沖の排他的経済水域内で挑発行動をしている。昨年夏、太平洋・大島沖や伊豆諸島周辺で多数の中国漁船がサンゴ密漁のため襲来したが、これらは、日本の離党を同時多発的に侵入・占拠するための予行演習を実施したものと観察される。中国のあからさまな挑発行動を直視すれば、「不戦の誓い」を内外に宣言しても平和が約束されるものではない。「不戦の誓い」をすれば、中国は喜ぶ。そして「金持ちは喧嘩せず」という。米中は”経済同盟”のような関係にあり、武力を以って戦うことはないと見ておかねばならない。米国は安倍政権が進める憲法の解釈による安保関連法案の成立を期待するが、それ以上、すなわち憲法改正までは望まないであろう。天皇の「不戦の誓い」はその意思にかかわらず、米中の対日戦略に合致しているように観察される。
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