これはだめだ!

自信喪失、無気力な日本に”喝!”、反日、侮日に反撃、一矢を報いる。

韓国の旅客船事故を笑えない理研STAP細胞問題、共に露になった現実からの逃避と無責任さ

2014-04-20 | 安全保障

               靖国神社に集う人 
               参拝することによって、
               時にも所にも左右されない何かを感じるのだろう。

船長真っ先に脱出、未熟な経験の浅い女性航海士が操船

   

 沈没した船は日本から韓国へ売却された後、最上部分に客室を増設したため高い場所が重くなり船のバランスが悪くなっていただけでなく、積載していた貨物の固定が甘かった可能性があるという。現場の海域は韓国国内では2番目に危険な難所であったにもかかわらず、事故当時、船長は休憩中で、操船していたのは入社約5ヶ月の若い女性の3等航海士であった。

  緊急事態発生時、船員の誘導が無かったとか、船長乗組員がわれ先と脱出したと報道されている。乗っていた学生は、楽しいはずの修学旅行であったが一転、“奈落の底”へ落とされてしまった。事故は外国には一切関係なく、韓国人が起こしたものであり、他国を責めるわけには行かない。韓国の“民度”がしからしめたものである。

 関係者の未熟さ、判断ミス、政治の対応のまずさ、決断力の無さなど危機管理の深刻な問題が浮き彫りになった。

 “遺体”がすべて収容されるまでには長期間を要するが、この間も南北朝鮮の緊張した関係が変わることはない。北朝鮮の体制がいつ崩壊してもおかしくない状況にある。大統領は反日政策を続けていれば支持率安定で安泰などという暢気なことが通用しなくなった。大統領も韓国民も執拗な反日侮日政策が自国に利益をもたらさないことを悟るだろう。

理研・笹井氏の記者会見、一門一答 (4月17日読売新聞朝刊)  
   

   4月16日、理研の笹井氏が記者会見した。1月に研究成果を発表したときの浮かれた様子とは打って変わって慎重な言い回しで、逃げの姿勢が見え見えだ。

 自分が「論文全体を見る責任者であった」としながら、論文作成の2ヶ月前からタッチし、しかも生のデータに接したことも無く、実験ノートを見たこともなかったなどと自己弁護をしている。責任がないと言わぬばかりの無責任さ、まさしく敵前逃亡、裏切り者だ。

 しかも主要関係者の中で一番最後の記者会見となった。これは、他の人の記者会見を観察し態度決定をしたと勘ぐられる狡猾さ、世渡り上手である。「笹井さんに功名心はなかったか」と問われれば「依頼を受けて共著者になった」と答えた。図星だから(?)「あった」とは答えられない。

 山梨大の若山輝彦教授はインターネットで論文がおかしいと指摘されるや否や、さっさと論文を撤回すべきと逃げだした。野衣理事長は組織のトップとして重い使命と責任があるが、先の会見では若い未熟な研究者がやったことなど他人事のように言うに至っては、晩節を汚すもの。その分野ではそれぞれ一流と目される人物がこの体たらくである。これでは日本のお先は真っ暗だ。韓国の旅客船の沈没事故を笑えない。

精神の空虚さ、陶酔による現実からの逃避
 日本の宴会やバーティでは、客同士の人間的交流のかわりに、たくさんの料理と美しい調度品、時にはギクシャクした人間的交流を和やかにする魅惑的なホステスや芸者がそこにいる。この職業専門的技能を持った宴会や“パーティー運営の専門家”によって宴会やバーティがスムーズに運んでいく。表面的な豪華さとは裏腹に、その表面を一皮剥いでみれば、その下には空疎な人間関係が存在している。

 魅惑的なホステスや芸者がいるパーティーや宴席は、一種の精神的な麻酔作用があり酒が一種の麻酔剤であることは、そこに集まった者は皆知っている。ホステスの甘い“ささやき”や魅惑的な振る舞い、芸者が奏でる三味線の音や舞なども精神的な陶酔作用を引き起こす。この場にいるホステスや芸者は、男たちに心理的な陶酔を引き起こす役目を持っている。

 彼女たちは、一流の心理学者よりも優れた男性心理を洞察することのできる専門家である。もし、男がホステスや芸者に退屈すれば、彼女はその場を去り、また別の女性がそこに現われるといった類である。このような心理的な手練手管によって、彼女たちは男たちに自分自身を忘れさせてしまうという陶酔効果を与えるのである。男にとってパーティ-や宴席で美女や美味い料理にとり囲まれている瞬問は、ひと時の忘我の境である。

 そこで男は、自分の人生で直面しているたくさんの現実間題をすっかりと忘.れ去ることができる。しかし酔いがさめてみれば、同じ問題はそのままで存在している。パーティーや宴会に出たからといって、人生の問題を解決したことにはならない。

 これと同じような雰囲気は、今回のスタップ細胞を巡る問題だけでなく、日本社会のあらゆる場所に漂っている。たくさんの人が忙しく動きまわり音楽が聞こえ、空気のなかにはひとつの電撃的な刺激が漂っている場がある。ダンスやコンサート、パチンコもそうである。あの騒音のなかで会場に集う人、パチンコ台に向かう人は、一種の忘我の境地に浸っている。また競馬場の雑踏、競輪場の雑踏・・・・-すべてが一種の麻酔作用をもって、人生の問題を一瞬忘却させてしまう陶酔効果を生みだしている。  

 しかしこれは、人間存在の基本に潜む空虚な空洞を単に一時的に被い隠す作用にすぎないのである。自分の現実を直面しようとはしない。人生に対する真撃な態度が存在しなければ、偽りのない何ものかをつかみとっていくことは不可能である。
 理化学研究所の対応や科学関係者の反応には、日本人の精神の空虚さと陶酔による現実からの逃避のようなもの、無責任さが見て取れる。

一匹狼になれず、孤立するだけの強靱さがない
 日本人は、誰もが、寄る辺ない一匹狼にはなりたくないと考え勝ちである。だから、ひたすら杜会の基準に黙って追従していくことになる。しかし、この社会的な基準そのものが、非常に間違った情報によって歪まされているかもしれないのである。そこには、一般的であるよりも、むしろ正しく、たとえ孤独であっても、一匹狼であろうとする姿勢がない。どのような環境においても、自分が正しいと思うことは正しいと発言する勇気がない。自分一人だけで杜会と対立し対抗することを恐ろしいと思いこみ、流れに身を任せて何等恥じない。

 正しいと信ずることのためにたった一人で一匹狼となって社会と立ち向かう時、それが正しいことであるならば、そのような行動を貫くべきなのである。

 常識的な発想からいえば、このような孤立した意見をもって社会と対立するという考え方は、常識はずれということになる。だから、日本の社会では、一個人が杜会全体と争う姿はあまり見られない。一匹狼的な考え方が、真実性と呼びうるものであるかもしれない。そこには、杜会に対して孤立するだけの個人としての強靱さが求められる。もし、こうした個人としての孤立状態が、異常心理や非遣徳的なもの、ばかばかしい考え方を基礎としている、と考えるのであれば、それはナンセンスに終わってしまう。

 科学の世界においては、一般的であるよりも、むしろ孤独な正しさを選ぶべきなのだ。理化学研究所とその上層部は、杜会一般に共通するようなポピュラー・一般的な行動をとった。だが、ポピュラー・一般的であることは、必ずしも道徳的にみて正しいことではない場合が多く存在する。

 極端な話になるが、仮に一人の娘が非常にポピュラーな女性であるとしたならば、彼女はどの男性とでもベツドに赴いてセックスしなければならないことになってしまう。だから、一般的な行動が必ずしも道徳的といえない。

 日本の社会では道徳性においては、全てが相対的な価値しかもちえないように見える。この道徳性に従えば、正しいということも状況しだいであるし、だれに対して正しいのかというように、その相対する個人によっても正しさの価値が変化する。

 自分の目の前にいる人間が自分より社会的に高い人間か自分と同等の人間か、または自分より目下の人間であるかによって、正しさの基準もまた相対的に変化してくるからなのである。

 しかし、「正義」とは、絶対的な基準なのであり、だれに対してもそれは同じ原則が適用できるものなのである。道徳性に関する抽象的概念がそこに存在している。

 ところが日本では、権威ある人や目上の人に対しての正義、目下の人に対しての正義、金持ちに対しての正義、貧乏人に対しての正義というふうに、正義そのものの概念についても相対的な価値の変動が行なわれている。

 スタップ細胞に関する論文の問題が指摘されるや否や、小保方さんが研究のリーダーに就いたときから誰もがわかっていたことを、恰も最近気付いたように装いながら吹聴し、責任を若い、未熟な、女性、東大出ではない、私学出身者に責任を負わせ、他は皆、蜘蛛の子を散らすが如く逃げてしまった。メンツや縄張り意識、正義ぶった仮面に隠された我欲が一挙に噴出した。

 道徳性は個人の人格に基づいたものではない。正義は、その時の状況や時の流れに従って変わったのだ。

 スタップ細胞問題は、研究に関わっていた人や科学界が研究成果発表時に見させた一時の陶酔、陶酔から醒めた後の逃避、無責任さ、精神の空虚さとや一匹狼になり孤立するだけの強靱さがない日本人のひ弱な体質を問うている。


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