丹羽中国大使、10月にも交代へ…政府方針
政府は18日、丹羽宇一郎中国大使(73)を10月にも交代させる方針を固めた。
外務省は9月8日に会期末を迎える今国会の閉会後に幹部や主要国大使の人事異動を行う予定で、丹羽氏もその一環として交代させる。後任には、外務省の西宮(にしみや)伸一外務審議官(経済担当)(60)を起用する方向で最終調整している。丹羽氏は民主党政権が掲げる「脱官僚依存」の象徴として、菅政権発足直後の2010年6月に任命された。伊藤忠商事の社長や会長として、中国との貿易・投資に積極的に取り組み、中国政府や経済界との人脈も豊富なことから、起用された。当時、外相だった岡田副総理が主導して決めた。
しかし、就任から3か月後の同年9月、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する事件が発生。その後、中国がレアアース(希土類)の対日輸出を規制して圧力をかけるなど、日中関係は極度に悪化した。丹羽氏に期待された、日中間で経済外交を進める環境が損なわれた。
(2012年8月19日04時18分 読売新聞)
商売人が国益を守ることが出来ないことはわかりきったことだ。科挙という官僚になるための試験制度を有する歴史を持ち、共産党独裁の中国は官尊民卑の社会である。商売人が日本国を代表して中国政府にものを言えると思うのが土台間違いである。こんな売国奴を特命全権大使とした民主党政権が領土喪失の元凶である。
(参照)国辱外交の始まり、世界の笑いもの商売人の中国大使起用 2010年06月12日 10時32分14秒
(参照)朝貢外交の始まりか、新中国大使に伊藤忠・丹羽宇一郎の起用 2010年06月06日 18時08分01秒
日本は領土問題にどう向き合ってきたのか
鳩山由紀夫だけではない歴代の政府や与野党は内向き議論に明け暮れ、「日本列島は日本人だけのものではない」との配慮から有効な対外政策を打ち出せなかった。政府の竹島、北方領土及び尖閣諸島問題への対応を振り返ってみる。
その1 竹島問題
竹島の領有権が日本側にあると決着したのは、サンフランシスコ平和条約である。この条約で日本が放棄した領土がきまった。平和条約を巡る米韓のやり取りを見てみる。
★★★竹島の帰属に関する連合国の最終案★★★
1951年米ダレス・韓国ヤン会談では韓国側は竹島が韓国の領域に組み込まれるよう要望したが、アメリカ政府から韓国に対する正式な回答は、韓国の領土に竹島は含まれなかった。
以下、FRUS1951年6巻1203ページ下の[小文字の文章]から抜粋である。
「この通常無人島である岩島は、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。」(FRUS1951年6巻1203ページ)とある。
★★★ディーン・ラスク国務次官補から韓国への書簡★★★
米ディーン・ラスク国務次官補が韓国大使宛に1951年8月10日に発した書簡には「我々は日本との平和条約に関する韓国側要請を受理した。独島を権利放棄の中に含めるようとの要請に関しては、応ずることは出来ない。我々への情報によれば独島は朝鮮の一部と扱われたことは一度もなく、1905年以降島根県隠岐島司の所管にある」とある。 この時点では、米国は竹島を日本領と見なしている。
★★★サンフランシスコ平和条約★★★
サンフランシスコ平和条約(1951年9月8日締結、1952年4月28日発効)し、その第2条では領土権の放棄が書かれてある。GHQの最終決定により、竹島が朝鮮領から除外され、代わりに巨文島が韓国領となった。
第2条【領土権の放棄】
(a) 日本国は,朝鮮の独立を承認して,済州島,巨文島及ぴ鬱陵島を含む朝鮮に対するすべての権利,権原及び請求権を放棄する。
(b) 日本国は,台湾及ぴ膨湖諸島に対するすべての権利,権原及ぴ請求権を放棄する。
(C) 日本国は,千島列島並びに日本国が千九百五年九月五日のポーツマス条約の結果として主権を獲得した樺太の一部及びこれに近接する諸島に対するすべての権利,権原及ぴ請求権を放棄する。 (以下、略)
★★★ブッシュ政権は竹島を韓国領と改めた★★★
米国に地名委員会がある。同委員会は1890年の大統領令及び1947年の法律により設置されたもので、外国を含め、地名に関する政策を扱う。2008年、ブッシュ大統領は訪韓する直前に、韓国大使と会談した。ブッシュ大統領はこの後、ライス国務長官に竹島について検討するよう指示し、同島を「韓国領」に改めた。米国地名委員会は今日でも竹島を、韓国側の名称である「独島」と記載している。
この動きに対して産経新聞 (2008年7月31日)によると、「町村官房長官は記者会見で、“米政府の一機関のやることに、あれこれ過度に反応することはない”と述べ、直ちに米政府の記述の変更を求めたりせず、事態を静観する考えを示した」と、福田首相が抗議を行う可能性については「ない。なぜ必要なのか」と述べている。
町村信孝官房長官のこの発言は重大な過ちである。これは「米国一機関のやっていること」と片付けられるような小さな動きではないし、米国がどのように判断するかは竹島の帰属に深刻な影響を与えるものである。
北方領土問題を抱える北海道選出の国会議員である町村信孝は沼津生まれで東京育ち、親父の地盤をついた2世議員で北方領土から逃げてきた道民の苦難の歴史など分からない・・・・父親・町村金五は北海道知事を務めた人物・・・・・の領土問題について認識がこの程度である。北海道選出の官房長の認識がこの程度であるから領土問題に毅然と対処できない。領土は守れない。これは政治家が国家や歴史についての関心のなさを示すものである。もっとも「日本列島は日本人だけのものではない」と公言する愚か者が首相になる国である。他はおして知るべしである。
その2 北方領土
★★★国論の分裂と一貫性を書く日本側の姿勢★★★
北方領土の地図・・・・サンフランシスコ平和条約をどうとらえるか
地図1 サンフランシスコ平和条約
英語表記のもの
地図2 吉田全権の受諾演説における北方領土・千島列島の定義
地図3 最近の外務省の見解(ホームページ)
戦後、北方領土に関して日本政府が見解を明らかにしたのは、サンフランシスコ平和条約の受諾に際して吉田茂首相が行った演説である。この中で「千島列島及び南樺太の地域は日本が侵略によつて奪取したものだとのソ連全権の主張に対しては抗議いたします。日本開国の当時、千島南部の二島、択捉、国後両島が日本領であることについては、帝政ロシアも何ら異議を挿さまなかつたのであります。ただ得撫以北の北千島諸島と樺太南部は、当時日露両国人の混住の地でありました。1875年5月7日日露両国政府は、平和的な外交交渉を通じて樺太南部は露領とし、その代償として北千島諸島は日本領とすることに話合をつけたのであります。名は代償でありますが、事実は樺太南部を譲渡して交渉の妥結を計つたのであります。その後樺太南部は1905年9月5日ルーズヴェルトアメリカ合衆国大統領の仲介によつて結ばれたポーツマス平和条約で日本領となつたのであります。 千島列島及び樺太南部は、日本降伏直後の1945年9月20日一方的にソ連領に収容されたのであります。また、日本の本土たる北海道の一部を構成する色丹島及び歯舞諸島も終戦当時たまたま日本兵営が存在したためにソ連軍に占領されたままであります。」と述べている。
これによると国後、択捉は日本が放棄した千島列島にふくまれるということになる。以後の日本政府の見解は吉田首相の見解に基づいているが、外国は条文にある「千島列島」全体を英語表記の「kurile lilands」で表記し、南千島、北千島と列島を南北に分けたとらえ方をしていない。
第二次世界大戦が終結した日を外国は9月2日を大戦終結の日としている。日本では天皇陛下が終戦の詔勅を読んだ8月15日とするのか、東京湾の戦艦ミズリー号で降伏文書に調印した9月2日とするのか明確ではない。これによっても北方領土のとらえ方が諸外国と異なってくる。
戦後出版された文部省検定済教科書帝国書院の地図帳を見ると、日ソ間の国境線は歯舞諸島、色丹島、国後島、択捉島がソ連側になるように引かれたり、国境線が無かったりと日本政府が日ソの国境に関する一貫した姿勢を貫いてきたとはいえない。
戦争状態の終了についてはサンフランシスコ平和条約では「この条約の効力が発効する日」となっている。日本では「終戦」「敗戦」「戦争状態の終了」について政府が、国民に正確な解釈を示したことがない。民主党政権になって外務大臣がロシア側に“不法に占拠している”との主旨の発言をしたことがあるが、下記の政府の国会答弁を照らし合わせれば、外務大臣という閣僚レベルの人物が北方領土問題の経緯や戦争状態の終了などことの経緯を正確に把握していない ことがわかる。
★★★北方領土の範囲、北方領土をロシアが支配することは不当か否か関する政府見解★★★
★★日ソ共同宣言の承認を審議した国会での政府見解1956年★★
(昭和31年の政府見解-国会答弁)
昭和31年11月29日 、参議院外務委員会において、下田武三政府委員(条約局長)は梶原茂嘉議院の質問に対して、以下のように、ソ連が北方4島を占領し続ける事は、不法とはいえない と、答えている。
○政府委員(下田武三君) 従来は、これらの島々に対するソ連の占領は戦時占領でございましたことは仰せの通りでございまするが、しかし共同宣言が発効いたしますと、第一項の規定によりまして戦争状態は終了するわけでございますから、その後におきましては、もはや戦時占領でなくなるわけでございます。しからば戦争状態終了後、歯舞、色丹をソ連が引き続き占拠しておることが不法であるかと申しますと、これはこの第九項で、平和条約終了後に引き渡すと、現実の引き渡しが行われるということを日本が認めておるのでありまするから、一定の期限後に日本に返還されることを条件として、それまで事実上ソ連がそこを支配することを日本はまあ認めたわけでございまするから、ソ連の引き続き占拠することが不法なりとは、これまた言えない筋合いであると思います。
それから国後、捉択等につきましては、これも日本はすぐ取り返すといろ主張をやめまして、継続審議で解決するという建前をとっております。従いまして、これにつきましても事実上ソ連が解決がつくまで押えてあるということを、日本は不問に付するという意味合いを持っておるのでありまするから、これもあながち不法占拠だということは言えません。要するに日本はあくまでも日本の領土だという建前を堅持しておりまして、実際上しばらくソ連による占拠を黙認するというのが現在の状態かと思います。
--------------------------------------------------------
★★北方領土の範囲、北方領土をロシアが支配することは不当か否か 1968年★★
(昭和43年、北海道総務部に対する外務省回答)
『帰れ北方領土』北海道百年記念刊行会/編集 北方領土問題部会/発行(昭和43年7月29日)7ページによると、これまで必ずしも明確でなかった「北方領土」という用語の定義等について、道総務部ではかねてから外務省にその見解を質門していたが5月28日、次に掲げる政府の回答を得たとして、
▽「北方領土」の定義
一般に「北方領土」という語が使われる場合には、広義の北方領土と狭義の北方領土とがある。
広義の北方領土は
1 わが国固有の領土としてソ連邦にその返還を要求している地域(国後島、択捉島)。
2 日ソ共同宣言第九項においてソ連邦が日ソ平和条約締結後にわが国に引き渡すことに同意した地域(歯舞群島、色丹島)。
3 わが国がサンフランシスコ平和条約第二条(C)において放棄し、その帰属が未決定の地域(千島列島、南樺太)をいい
狭義の北方領土は
1 前記の1および2のみをさすものと解する。
政府が固有の領土と考えているのは1および2である。
▽北方領土の「範囲」前項のとおりに分けて考えるのが適当である。
▽ソ連が①歯舞群島、色丹島②国後島、択捉島③千島列島(得撫島以北占守島まで)南樺太を占拠しているのは不当かどうか。
①歯舞群島、色丹島=これらの島は日ソ共同宣言第九項により日ソ平和条約締結後わが国に引き渡されることになっているので、わが国としても、これら諸島が現実にわが国に引渡されるまでの間は、ソ連邦がこれらの島を現実の施政下においていることを黙認したものと解される。
②国後島、択捉島=両島はわが国固有の領土であり、サンフランシスコ条約においても放棄していない地域であるので、ソ連邦に対してその返還を強く求めているが、これらの返還問題は、日ソ共同宣言によりこんごソ連邦との平和条約締結交渉を行なうさいに継続審議されることになっている。
③千島列島・南樺太=千島列島および南樺太の領土権の最終的帰属は未定であるが、わが国としては、これら地域に対する一切の権利をサンフランシスコ平和条約において放棄しているので、ソ連邦によるこれら地域の占有の合法性の判断は、同条約の当事国たる連合国の態度によって決定されるべきものと考えられる。
北方領土の返還を巡っては百花燎乱、国論が統一されていこなかったし、歴代の自民党政府は日本側の見解を世界に周知徹底する努力を怠ってきた。北海道民を除いて政治家も国民も無関心に近い。
その3 尖閣諸島
尖閣諸島については、政府も与野党も我田引水の域を出ない。比較的、論理的なのが共産党の見解である。 以下、「しんぶん赤旗」2012年8月18日(土)から引用する。
尖閣問題 いま必要なことは 日本共産党の見解と論戦から
沖縄県・尖閣諸島(中国名・釣魚島)の魚釣島に15日、自称中国籍の活動家ら14人が上陸、入管難民法違反容疑で逮捕後、17日、強制送還されました。日本共産党は2010年10月、「尖閣諸島問題 日本の領有は歴史的にも国際法上も正当」との見解を示し、「何よりも重要なことは、日本政府が、尖閣諸島の領有の歴史上、国際法上の正当性について、国際社会および中国政府にたいして、理を尽くして主張することである」と指摘しました。日本政府は「努力する」との答弁にもかかわらず、その形跡はみられません。そして、今日問題が大きくなっています。いまこそ、冷静に理を尽くして日本の領有の正当性を堂々と説くべきです。
---------------------------------------------------------
日本の領有は歴史的にも国際法上も正当――日本共産党の見解
日本の領有と実効支配は正当
尖閣諸島の存在は、古くから日本にも中国にも知られており、中国の明代や清代の文献にも登場します。しかし、日中どちらのにも、同諸島に住民が居住していた記録はありません。日本共産党の「見解」は、「近代にいたるまで尖閣諸島は、いずれの国の領有にも属さず、いずれの国の支配も及んでいない、国際法でいうところの『無主の地』であった」と指摘しています。
その後、尖閣諸島を探検した日本人の古賀辰四郎氏が1885年に同島の貸与願いを申請。日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで、1895年1月の閣議決定で尖閣諸島を日本領に編入しました。「見解」は、「歴史的には、この措置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為である。これは、『無主の地』を領有の意思をもって占有する『先占』にあたり、国際法で正当と認められている領土取得の権原のひとつである」と述べています。
中国側は現在、尖閣諸島の領有権を主張していますが、その最大の問題点は、「中国が1895年から1970年までの75年間、一度も日本の領有に対して異議も抗議もおこなっていないという事実」(見解)です。
侵略による奪取と異なる
中国側は領有権の主張の根拠に、日清戦争(1894~95年)に乗じて日本が不当に尖閣諸島を奪ったという点をあげています。
日清戦争で日本は、台湾とその付属島嶼、澎湖列島などを中国から不当に割譲させて、中国への侵略の一歩をすすめました。問題は、尖閣諸島がこの不当に奪取した領域に入るかどうかです。この点について、「見解」は当時の経過を詳細に検討しています。
「見解」は、日清戦争の講和条約(下関条約)の経過からみて、(1)尖閣領有の宣言が交渉開始の2カ月ほど前であること、(2)条約は尖閣について一切言及していないこと、(3)交渉過程で中国側が抗議した事実はないこと、(4)条約締結後の交換公文で台湾付属島嶼に含まれていないこと―をあげ、「日本による尖閣諸島の領有は、日清戦争による台湾・澎湖列島の割譲という侵略主義、領土拡張主義とは性格がまったく異なる、正当な行為であった」としています。
日中とも冷静な対応を
問題は、歴代の日本政府の態度に、1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を中国側に対して主張してこなかった弱点があることです。
領土画定の好機だった1978年の日中平和友好条約締結の際には、中国の(とう)小(しょう)平(へい)副首相が尖閣領有問題の「一時棚上げ」を唱えたのに対し、日本側は領有権を明確な形では主張しませんでした。
1992年に、中国が「領海および接続水域法」で、尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省は口頭で抗議しただけでした。
「見解」は、同時に中国政府にたいしても、「問題が起こった場合、事態をエスカレートさせたり、緊張を高める対応を避け、冷静な言動や対応をおこなうこと」を求めています。
「見解」は、日中両国が、2008年5月の共同声明で「共に努力して、東シナ海を平和・協力・友好の海とする」と合意していることを指摘し、「東アジアの平和と安定に貢献するよう」求めています。
志位委員長「領有の正当性理を尽くし説け」
政府「努力する」と答弁したが…
見解発表後、10月7日の衆院本会議で代表質問に立った志位和夫委員長は、尖閣諸島問題をめぐる党の立場を改めて示すとともに、日本政府の問題点について、「歴代の政府が1972年の日中国交正常化以来、本腰を入れて日本の領有の正当性を主張してきたとはいえない点にある」ことを指摘しました。
志位氏は、(1)78年の日中平和友好条約締結の際、中国の小平副首相が尖閣領有問題の「一時棚上げ」を唱えたのに対し、日本側は領有権を明確な形で主張しなかった(2)92年に中国が「領海法」を決め尖閣諸島を自国領と明記した際にも、外務省が口頭で抗議しただけだった―事例を列挙しました。
10年9月の中国漁船衝突事件後の民主党政権の対応についても、「国内法で粛々と対処する」というだけで、領有の大義を、根拠を示し理をつくして主張する外交活動を行っているとはいえない と批判。「こうした態度を改め、歴史的事実、国際法の道理にそくして尖閣諸島の領有の正当性を、中国政府と国際社会に堂々と主張する外交努力を強めること を求める」とただしました。
菅直人首相(当時)は、尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も疑いのないことだと述べながら、「尖閣諸島をめぐり解決すべき領有権の問題はそもそも存在しない」などと主張。一方で、漁船衝突事件後の自身と温家宝首相との懇談(10月5日のアジア欧州会議)などで、日本の立場は明確に伝えていると述べ、「正しい理解がえられるよう今後とも努力する」と答弁しました。
その後、首相は野田佳彦氏、外相は松本剛明氏、玄葉光一郎氏に代わり、この間、30回以上にわたって日中間の首脳会談・懇談、外相会談(電話も含む)が行われました。しかし首相答弁にもかかわらず、尖閣諸島問題で、突っ込んだやりとりが交わされた形跡はなく、日本政府が国際社会に主張した例も見当たりません。
中国側と尖閣問題で議論すると「領土問題の存在」を認めることになるとの恐れから、そもそも踏み込んだ議論を避けているのです。
今年5月13日の日中首脳会談、7月11日の日中外相会談では、尖閣問題が議題に上りました。このうち首脳会談では、温家宝首相から、中国側の主張に言及があり、野田首相は「(尖閣をめぐる問題が)日中関係の大局に影響を与えることは望ましくない」と述べるだけ。両国がそれぞれの立場を主張し、平行線で終わっています。
国際社会で、正しい理解が得られるよう「努力」しているとはとてもいえない状況です。
---------------------------------------------------------
以上、引用終わり
戦後永らく政権の座にあった自民党の事なかれ体質、党として外交安保に関する政策がない民主党や他の泡沫政党の見解はどれも我田引水で、説得力が乏しい。私は共産党員ではないし、共産党の主張に全て賛成するものではない。領土問題など主権に絡むことについての共産党の見解は、他の党と異なり理路整然としている。
対米従属外交のつけ:領土問題はアメリカに振り回されてきた
北方領土、竹島及び尖閣諸島のいずれにおいても何らかの形でアメリカがかかわっている。アメリカのダレスは鳩山一郎首相の“二島返還、他は平和条約締結後に交渉”とする日ソ交渉に横槍を入れ4島返還路線への転換を強制し、日韓、日中間については“話し合いで解決”と傍観者を装っている。日本とこれら各国との領土問題は日米同盟関係と切り離しては考えられない。領土問題はすべて対米従属外交の故に、何らかのかたちで米国に振り回されている。
日米同盟は重要であることを否定するものではないが、歴代の日本政府、外務省は、米国に追随することが外交であるかの姿勢をとってきた。日本として主張すべきことは米国だけでなく世界に向けて毅然と主張すべきである。
無責任マスコミの体質
新聞やNHKは第二次世界大戦集結までは旧軍の手先となり戦意高揚に奔走した。朝日新聞は旧軍以上に軍国主義的な報道をしたが、終戦直後、朝日新聞や読売新聞の労組は右翼的体質を糾弾するストライキを起こしGHQがストライキを中止させたという事件が起こった。以来、一転、自らの過去を清算することもなく平和反戦の旗手のごとく振舞い、米国や中国など“強いもの”の顔色を伺い歪曲・偏向した報道をしている。領土問題を国民に啓蒙することは公共放送であるNHKの使命であるにもかかわらず。NHKは北方領土問題に関しては“NHKスペシャル”で時たま取り上げているが、竹島や尖閣諸島問題に関してはほとんど報道してこなかった。マスコミの体質は場当たりで極めて無責任である。
国民は領土や歴史に無関心
尖閣諸島問題や竹島問題は内なる議論ばかりが繰り返され、ロシアや中国及び韓国に対する明確で力強い外交が打ち出せないまま国家の威信を失っている。政治家は自分の「生活が第一」と選挙目当ての些事瑣末なことに狂奔し海上保安庁法の改正を永らく放置してきた。このため海保の職員は尖閣・魚釣島に上陸した中国人を逮捕できず警察官が逮捕した。“泥縄”の最たるものである。
(参照)5月3日は憲法記念日 自民党 いまさら「憲法草案に国防軍」、「領土保全」とは何だ! 2012年05月03日 14時54分35秒
騒ぐばかりで何一つ効果的な対外政策を与党も野党も打ち出せない。自信を持って解決策を提示できない官僚、専門家、有識者たち。マスコミ各社は視聴率・金儲けのための報道を競い、それらを垂れ流すだけである。国民はマスメディアが提供するログロナンセンス番組に毒されている。国全体が国家や歴史に無関心である。
日本人は韓国人や中国人の自国の歴史や領土に関する知識の量と関心の大きさに及ばない。李明博の「日本の力は落ちた」と公言されるに至っては、国際社会に顔向けきない、恥辱、最大なる侮蔑発言である。日本人は北方領土、尖閣諸島及び竹島など領土と歴史に対する無関心を外国は嘲笑している。