また、数日ブログを休ませてもらいます。楽しみにしている方、しばらくの間、我慢してください。
ブルース・ウィリス主演の「16ブロック」を見ました。TSUTAYAでレンタルですね。
やはり、面白かった。老刑事のシブい演技が似合っていました。ブルース・ウィリスも老刑事の役に取り組む事に楽しんでやっているとの事でした。(インタビューで言ってました。)
Tシャツにチノパンのファッションではなくて、ヨレヨレのスーツ姿にプックリと出たお腹と、アル中の一歩手前の演技、渋くていい映画でした。特典メニューには、エンディングの違うストーリーが用意されていました。ふーん、なるほどね。二種類のエンディングが用意されてあった訳かー!やはり採用された方のエンディングの方が私は好きですね。
それでは、また!
やはり、面白かった。老刑事のシブい演技が似合っていました。ブルース・ウィリスも老刑事の役に取り組む事に楽しんでやっているとの事でした。(インタビューで言ってました。)
Tシャツにチノパンのファッションではなくて、ヨレヨレのスーツ姿にプックリと出たお腹と、アル中の一歩手前の演技、渋くていい映画でした。特典メニューには、エンディングの違うストーリーが用意されていました。ふーん、なるほどね。二種類のエンディングが用意されてあった訳かー!やはり採用された方のエンディングの方が私は好きですね。
それでは、また!
昨日は、南区の桜十三夜という、レストランにお食事に行きました。
個性的な主人の性格とは、裏腹に、繊細で素材をいかしたスタンダードな和食と、ステーキなんかをだしてくれます。私とは、もう20年くらいの付き合いで、美味しい食事とお酒を出してくれます。
場所は、長住二丁目の信号を少し、大池の方に行って左側です。
美味しいよ。ぜひ行ってみてね!
私と、ご主人とは、映画や音楽の話をよくします。昔、ロバート・デ・ニーロにちなんでロバート・ブラザーズというコンビを結成しました。ちなみに、ご主人が、ロバート・デ・ブニーロ(笑)で、私めは、ロバート・ハーン(笑)です。もうひとり、3番目の弟がいまして、そいつの名は
・・・・・・・・・・・ロバート・テビチ(爆笑)です。
もし、桜十三夜に行く事があったら、
「ロバート・ハーンさんのブログを読んで来ました。」
といって来店すると、もれなく、ご主人のモンゴリアンチョップ(爆笑)と私のモンゴリアンバーベキュー(爆笑)がもらえます。
個性的な主人の性格とは、裏腹に、繊細で素材をいかしたスタンダードな和食と、ステーキなんかをだしてくれます。私とは、もう20年くらいの付き合いで、美味しい食事とお酒を出してくれます。
場所は、長住二丁目の信号を少し、大池の方に行って左側です。
美味しいよ。ぜひ行ってみてね!
私と、ご主人とは、映画や音楽の話をよくします。昔、ロバート・デ・ニーロにちなんでロバート・ブラザーズというコンビを結成しました。ちなみに、ご主人が、ロバート・デ・ブニーロ(笑)で、私めは、ロバート・ハーン(笑)です。もうひとり、3番目の弟がいまして、そいつの名は
・・・・・・・・・・・ロバート・テビチ(爆笑)です。
もし、桜十三夜に行く事があったら、
「ロバート・ハーンさんのブログを読んで来ました。」
といって来店すると、もれなく、ご主人のモンゴリアンチョップ(爆笑)と私のモンゴリアンバーベキュー(爆笑)がもらえます。
凱旋門を後にしてからの続きです。 それでは、どうぞ!
凱旋門を後にして、シャンゼリゼ通りを歩いて行く事にしました。
数分間、歩いていると、二人から、
「ちょっと、休みたい。コーヒーでも飲みたい。」
というリクエストにお答えして、シャンゼリゼ通りの歩道のカフェに入りました。
カフェでコーヒーを三つ注文して、静かに飲んでいると、またもや、見知らぬ老婆が私たちの前にやってきました。老婆は、移民の嘆きみたいな事を、ダンボールの紙に書き、それを観光客に示し、いくらかの小銭を寄付名目でせびるのを生業にしているみたいでした。
朝の老婆とやっている事は一緒なんですね。私は。少しのお金でいいのなら、渡しても構わないと思っていたのですが、そこへ、
パリの市警の団体の結婚式の2次会みたいなバスが突然とカフェに乗り付けてきたのです。
制服姿で、かなり酔っ払っているみたいでした。彼らは、花嫁を引き連れ、新婚の旦那さんに、盛んに囃し立て、カフェの中に入っていきました。
最後に入って行こうとした、若い警察官が、歩道のカフェにいる私たちと、物乞いしている老婆を見つけて、ダンボール紙に書いている、何がしらかのフランス語を読み、激しく老婆に詰め寄り、私たちの方に向かって、ダンボール紙を取り上げ、縦半分に、ダンボール紙をゆっくりと引き裂きました。
(これが、私の、旅の不思議な経験です。私が西洋の国を旅行していると、必ず、書類であるとか、フランスの場合、ダンボール紙ね。それを、私の方に向かって、ゆっくりと紙を引き裂くのです。この場合、老婆に向かって引き裂くべきなのですが、私の目を見ながらゆっくりと引き裂きました。オーストラリアの時もそうでした。ゆっくりと、本当にゆっくりと紙を縦に引き裂くのです。引き裂いている本人は、薄笑いを浮かべて、私の目を見ながら引き裂くのです。これには、何か訳でもあるのでしょうか?
同じ経験をした方がおられるのであれば、ご連絡下さい。不気味な薄笑いを浮かべて、用紙であるとか、ダンボール紙であるとか、私の方に向かって笑いながら縦に引き裂くのです。気持ち悪い旅の経験の一つです。何か理由があるのであれば、知りたいのです。)
老婆は、朝の老婆と同じように、何がしらかの捨てゼリフを言ってまたもや、シャンゼリゼ通りを逃げるように歩いて遠ざかって行きました。
観光に力を入れているパリの市警が観光客相手に物乞いをしてくる人達を、観光客から追い払うのは、当然と言えば当然なのでしょうが、なにがしらかの不安を感じて速めにカフェをでました。ちょっと神経質かもしれませんが、そのくらい用心していたほうが良いと思いました。帰りは、地下鉄に乗って帰りたいと、同行の奥さんが言ったので、私達は地下鉄を探す事にしました。20分ほど迷ったあげく地下鉄の駅を見つけ出しました。この時は同行の奥さんが頑張ってくれました。この奥さんは、海外旅行に行く事が趣味で旅先では必ず地下鉄に乗るのだそうです。私は、外国で地下鉄に乗った事がないので、と言うよりあまり海外旅行に行った事も無いほうなので、奥さんにお任せしました。パリの地下鉄は、福岡の地下鉄に比べて狭いという印象がありますね。この後に行く、ロンドン、ニューヨーク、弟の結婚式で行った東京もそうですけれど、少し狭くてコンパクトに作られています。福岡の地下鉄が広いのでしょうね。地下鉄の歴史が長いヨーロッパでは、そのたたずまいが、非常によく使い込まれていて、コンパクトな作りと歴史のなかで培われた心地よさがあり、非常に良い印象でした。列車は近代化されており、座席は小さいのです。私は、観光施設を見るより、人々が日頃の生活の中で慣れ親しんでいる、地下鉄であったり、橋であったり、歩道の敷石であったり、そんな、小さな事が、何百年と使われ続けているのだろうか?と旅行中に考えたりする事が好きなのです。
私たちの自由時間の観光は、夕暮れ時に地下鉄に乗ってホテルに着き終わりました。
・・・・・つづく
凱旋門を後にして、シャンゼリゼ通りを歩いて行く事にしました。
数分間、歩いていると、二人から、
「ちょっと、休みたい。コーヒーでも飲みたい。」
というリクエストにお答えして、シャンゼリゼ通りの歩道のカフェに入りました。
カフェでコーヒーを三つ注文して、静かに飲んでいると、またもや、見知らぬ老婆が私たちの前にやってきました。老婆は、移民の嘆きみたいな事を、ダンボールの紙に書き、それを観光客に示し、いくらかの小銭を寄付名目でせびるのを生業にしているみたいでした。
朝の老婆とやっている事は一緒なんですね。私は。少しのお金でいいのなら、渡しても構わないと思っていたのですが、そこへ、
パリの市警の団体の結婚式の2次会みたいなバスが突然とカフェに乗り付けてきたのです。
制服姿で、かなり酔っ払っているみたいでした。彼らは、花嫁を引き連れ、新婚の旦那さんに、盛んに囃し立て、カフェの中に入っていきました。
最後に入って行こうとした、若い警察官が、歩道のカフェにいる私たちと、物乞いしている老婆を見つけて、ダンボール紙に書いている、何がしらかのフランス語を読み、激しく老婆に詰め寄り、私たちの方に向かって、ダンボール紙を取り上げ、縦半分に、ダンボール紙をゆっくりと引き裂きました。
(これが、私の、旅の不思議な経験です。私が西洋の国を旅行していると、必ず、書類であるとか、フランスの場合、ダンボール紙ね。それを、私の方に向かって、ゆっくりと紙を引き裂くのです。この場合、老婆に向かって引き裂くべきなのですが、私の目を見ながらゆっくりと引き裂きました。オーストラリアの時もそうでした。ゆっくりと、本当にゆっくりと紙を縦に引き裂くのです。引き裂いている本人は、薄笑いを浮かべて、私の目を見ながら引き裂くのです。これには、何か訳でもあるのでしょうか?
同じ経験をした方がおられるのであれば、ご連絡下さい。不気味な薄笑いを浮かべて、用紙であるとか、ダンボール紙であるとか、私の方に向かって笑いながら縦に引き裂くのです。気持ち悪い旅の経験の一つです。何か理由があるのであれば、知りたいのです。)
老婆は、朝の老婆と同じように、何がしらかの捨てゼリフを言ってまたもや、シャンゼリゼ通りを逃げるように歩いて遠ざかって行きました。
観光に力を入れているパリの市警が観光客相手に物乞いをしてくる人達を、観光客から追い払うのは、当然と言えば当然なのでしょうが、なにがしらかの不安を感じて速めにカフェをでました。ちょっと神経質かもしれませんが、そのくらい用心していたほうが良いと思いました。帰りは、地下鉄に乗って帰りたいと、同行の奥さんが言ったので、私達は地下鉄を探す事にしました。20分ほど迷ったあげく地下鉄の駅を見つけ出しました。この時は同行の奥さんが頑張ってくれました。この奥さんは、海外旅行に行く事が趣味で旅先では必ず地下鉄に乗るのだそうです。私は、外国で地下鉄に乗った事がないので、と言うよりあまり海外旅行に行った事も無いほうなので、奥さんにお任せしました。パリの地下鉄は、福岡の地下鉄に比べて狭いという印象がありますね。この後に行く、ロンドン、ニューヨーク、弟の結婚式で行った東京もそうですけれど、少し狭くてコンパクトに作られています。福岡の地下鉄が広いのでしょうね。地下鉄の歴史が長いヨーロッパでは、そのたたずまいが、非常によく使い込まれていて、コンパクトな作りと歴史のなかで培われた心地よさがあり、非常に良い印象でした。列車は近代化されており、座席は小さいのです。私は、観光施設を見るより、人々が日頃の生活の中で慣れ親しんでいる、地下鉄であったり、橋であったり、歩道の敷石であったり、そんな、小さな事が、何百年と使われ続けているのだろうか?と旅行中に考えたりする事が好きなのです。
私たちの自由時間の観光は、夕暮れ時に地下鉄に乗ってホテルに着き終わりました。
・・・・・つづく
まだ、パリの続きです。凱旋門からね。 では、どうぞ!
デパートを出て、私達は、タクシーを捕まえて、凱旋門へと向かいました。パリの街並みを抜けて、シャンゼリゼの大通りを進み、地図を確認しながら凱旋門に到着しました。
母は、感慨深く、無言で凱旋門を眺めていました。母は、あまり風貌が良いほうではありません。美人ではないのです。体格がよく、太っています。今は、年老いて少し小さくなりましたけれど、私たち兄弟の体格が良いのは、間違いなく母の遺伝子です。
私と弟がラグビーで、大きなケガがなかったのも、兄が柔道で活躍できたのも、母が大きくて、その遺伝子を受け継いだのだからと思います。
母は若い頃から、映画が大好きです。特にグレース・ケリーが好きです。モナコ王妃となっていくシンデレラストーリーが大のお気に入りみたいです。どんな映画の女優を見ても、若い頃みた、映画の中のグレース・ケリーには、美しさで見劣りするらしいのです。
凱旋門から、放射状に伸びた道から数枚の写真を撮り、母は満足そうでした。
私は、巨大な構造物にはあまり興味を示さないので、写真は撮らなかったと思います。
旅先で写真を撮るのは、今までも皆無でした。この旅行も2枚か3枚くらいしか私の写真は無いと思います。
凱旋門で母は、
「歴史のある所で、写真が撮れて幸せばい。来て良かったよ。」
私、
「うん、ナポレオンもここば通ったらしいけん。あんたもここに来たっちゃけん。それは、良か事たいね。思い出になったろ?」
母、
「うん。」
気候と天気に恵まれてたので、気持ちよく母も満足していました。
私は、凱旋門に行く事が億劫になっていたのですが、母が本当に幸せそうでしたので、あまり厳しく言うのもあんまりかな?と思いました。凱旋門まで来て良かったな。ちょっと無理するべきかな?と考え凱旋門を後にしました。
・・・・・つづく
デパートを出て、私達は、タクシーを捕まえて、凱旋門へと向かいました。パリの街並みを抜けて、シャンゼリゼの大通りを進み、地図を確認しながら凱旋門に到着しました。
母は、感慨深く、無言で凱旋門を眺めていました。母は、あまり風貌が良いほうではありません。美人ではないのです。体格がよく、太っています。今は、年老いて少し小さくなりましたけれど、私たち兄弟の体格が良いのは、間違いなく母の遺伝子です。
私と弟がラグビーで、大きなケガがなかったのも、兄が柔道で活躍できたのも、母が大きくて、その遺伝子を受け継いだのだからと思います。
母は若い頃から、映画が大好きです。特にグレース・ケリーが好きです。モナコ王妃となっていくシンデレラストーリーが大のお気に入りみたいです。どんな映画の女優を見ても、若い頃みた、映画の中のグレース・ケリーには、美しさで見劣りするらしいのです。
凱旋門から、放射状に伸びた道から数枚の写真を撮り、母は満足そうでした。
私は、巨大な構造物にはあまり興味を示さないので、写真は撮らなかったと思います。
旅先で写真を撮るのは、今までも皆無でした。この旅行も2枚か3枚くらいしか私の写真は無いと思います。
凱旋門で母は、
「歴史のある所で、写真が撮れて幸せばい。来て良かったよ。」
私、
「うん、ナポレオンもここば通ったらしいけん。あんたもここに来たっちゃけん。それは、良か事たいね。思い出になったろ?」
母、
「うん。」
気候と天気に恵まれてたので、気持ちよく母も満足していました。
私は、凱旋門に行く事が億劫になっていたのですが、母が本当に幸せそうでしたので、あまり厳しく言うのもあんまりかな?と思いました。凱旋門まで来て良かったな。ちょっと無理するべきかな?と考え凱旋門を後にしました。
・・・・・つづく