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【スピリチュアリズムの12の救い】(2)愛する人とは死後も会うことができる

2010-12-20 00:14:37 | 高森光季>スピリチュアリズムの12の救い

 愛する人と死別するということは、大きな悲しみです。
 けれども、人間の魂は死を超えて生き続けます。ですから、死別は束の間の別れであって、絶望ではありません。

 この世に別れを告げた魂は、別の世界へ移行します。そして魂は、地上に生きていた時の個人性を持ち続けます。残してきた愛する人たちのことを心配し続ける場合もあります。
 しかるべき手段を使えば、別の世界へ移行した魂と、この世に残り続けている人たちの間に、交信ができる場合があります。優秀な霊媒(なかなかいませんが)を通せば、まるで生きていた時と同じような仕方で、会話をすることもできます。
 これは近代スピリチュアリズムの運動の中で、多くの人が実際に慰めを得た体験でした。優秀な霊媒によってこの世を去った魂が呼び出され、地上に残した愛する人たちと親しく話す。残された人にとっては、この上ない慰めです。
 ただし、こうした交信は、残された人たちが「死後の生」を確信し、死者たちがこちらに抱いてくれる愛情を実感するために行なわれるものであって、みだりになすべきものではありません。死者の側にせよ生者の側にせよ、相手への過度な執着を持つことは、望ましいことではありません。

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 愛する人と死別することは、確かにこの世で淋しい思いをすることではありますが、絶望することではありません。相手が先に死んでも、自分が先に死んでも、真に愛する人とは、死後の世界で再び巡り会うことができます。
 どれだけの時間を経ていても、問題はありません。肉体を脱ぎ捨てた魂は、自分の姿をある程度自分で作ることができますので、相手にとって一番好ましい姿を取ります。幼い子供は幼いそのままに、恋人は若々しい魅力にあふれた姿をとって、会いに来ます。
 「どのようにして出会うのか」はケースバイケースのようです。死後すぐに出会う人もいれば、しばらく時間がかかる場合もあります。魂同士のレベル(成長度合い)が近く、互いに深く愛し合っている場合はすぐに出会えるでしょう。
 相手が生まれ変わりをしてしまったからもう会えないということもありません。このあたりのことは、スピリチュアリズムでも「奥義」に属する部分ですので、ここではあまり触れませんが。

 愛し合う相手は、同じ「類魂」に属する魂であることが多いようです。類魂のメンバー同士は、一緒に生まれ変わりをして、お互いにとって重要な役割を演じ、手を取り合って成長の道を歩む仲間です。ただし、時には憎んだり傷つけ合ったりする関係を演じる場合もあります。
 逆に、現世で家族や夫婦であっても、魂のレベルでは関係を持たないという場合もあります。そういうケースでは、特に何かの理由で望まない限り、死後に再会することもないでしょう。
 真に愛し合った二人は、向こうの世界へ行っても、その愛の続きを続けることができます。マイヤーズ通信はこう述べています。
 《多くの正常な男女によって経験される純粋で情熱的な愛は、創造的な性格を持っているものである。それは死もその火を消すことのできない想像力の炎を掻き立て燃え立たせるのである。それどころか逆に幻想や形相の世界では、こうした男女は純粋で情熱的な愛を取り戻すことになる。かくして二人は全存在を賭けた創造行為を行なうが、その感受性の高まりのために、二人の自己創造の経験は高次のものとなり、強度を増し、魂の力を増大させる結果となる。地上的想像力や形相の世界には、重たい肉の体を持っていたときは、相思相愛の恋人同士でも手にすることの出来なかった調和と自由がある。》(『不滅への道』第三章)

 子供が幼いうちに先立ってしまうことがあります。こうしたケースでの両親の悲しみは、察するに余りあります。
 しかしそれもまた、魂の旅の一つです。絶望することではありません。わずか数日でこの世を去る魂も、それなりの経験を積んだのであり、その経験は魂にとって必要だったのです。別れがつらいのは人情ですが、魂に死はないのですから、それをひどく悲しむ必要はないのです。
 こうしたケースでは、親にある種の経験を与えるという役割を、子供が自ら引き受けて果たしたという場合もあります。つまり、類魂同士の「互いの成長のために役割を果たす」関係だったのかもしれません。
 真の恋人同士と同様、真に魂で結ばれ、愛し合う親子は、死後に必ず再会します。そして実現されなかった親子の愛情生活を心ゆくまで楽しむこともできます。

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 死別を悲しむことは、人間として致し方ありませんが、長く悲嘆に沈み続けることはよくありません。それは自らの生を傷めることであると同時に、新しい世界に赴いた魂を不必要に地上に引き留めることになるからです。他界した魂の幸福を祈ることはよいことですが、自分の悲しみを訴えることはエゴであり、よくありません。

 死は魂を損なうことがないように、愛情も損なうことがありません。「愛は永遠」というのは、単なるセンチメンタルな文学表現ではないのです。
 愛する人と死別しても、必ず再会することができる。それは大いなる救いではないでしょうか。

《私ども霊界の者が是非とも提供しなければならない証は、愛が不滅であること、死は愛し合う者の仲を裂くことはできないこと、物的束縛から脱した霊は二度と死に囚われることがないということです。》(シルバー・バーチの霊訓1 149頁)


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