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【仏教って何だろう⑩】仏教の隆盛はなぜ?

2010-07-03 06:21:35 | 高森光季>仏教論1・仏教って何だろう
 結局、初期仏教の教えは「四諦八正道」が中心であるようだ。
 ただ、前にも述べたように、「八正道」とはどうも最大公約数的な教えで、漠然としていて、はっきり言うとインパクトがない。「正しいことをしなさい」だけで大宗教ができるのだろうか。

 仏教がその後大きく発展を遂げていく要因は何だろうか。
 いろいろな説があるようで、たとえば「カースト」を否定したとか、「僧伽(サンギャ)」つまり出家者による「托鉢・修行」共同体が人を惹き付けたとか、瞑想法が優れていたとか、そういった様々な要因があったのだろう。厳しい戒律があるにせよ、身分・学歴・資産に関係なく誰でも加入できる修行共同体というのは、かなり魅力だろう。バラモン教は司祭階級であるバラモンが担うものだったわけだから、そういった特権を廃止して誰もが求道をできるということは、かなり革命的だったに違いない。

 ただ、案外重要だったのは、仏教が意外に穏健主義だったということなのかもしれないと思う。
 確かに仏教は出家を前提とし、様々な厳しい戒律を課した。ただ、ブッダ自身が言ったように、度を超した苦行はいけないとされたし、ジャイナ教に見られるような極端な「非殺生」、つまり地上に出た植物しか食べない(根菜は掘り返すとき土中の虫を殺すかもしれないので食べてはいけない)といった制限もなかった。在俗の信徒も否定されなかった。
 また、ブッダの遺言「自分を拠り所にしろ」にあるように、求道は個々人が行なうものであった。指導をする先達・長老はいたにせよ、祭祀を独占する権力が生まれるような性質のものではなかった。
 出家主義というのは、社会構成員全部がそれをやってしまうと社会が破滅するわけで、そういう意味では危険な過激主義とも言えるけれども(実際そういう批判はあったようだが)、まあ、民衆全員が求道生活に入りたいと思うわけでもないし、戒律による厳しい禁欲生活というハードルがあるから、そう心配することはなかったのだろう。また出家主義は、基本的には世を離れるわけだから、政治的な攪乱要因になる可能性も少なく、為政者から見れば好都合だったと言える。
 結局、個々の求道者が教えを学びつつ瞑想生活をし、外に対しては「八正道」という道徳的行動を賞揚したわけだから、仏教は、社会にとって非常に好適な、危険性のない宗教だったと言えるかもしれない。

 こういう穏健主義は、どうもブッダのさとりと関係があるのではないか。
 ブッダは、「様々な人が様々な業を担いながら、生まれ変わる」のを見た。それは、業による輪廻の巨大な有り様だった。そして、欲や煩悩を捨てて、正しい考え・行ないをすれば、その輪廻からの離脱は「促進」されることを確信した。
 しかし、「魔法の杖の一振り」で、すべての人の輪廻解脱が可能になるわけでもないことも知っていた。つまり、「さとりを得なさい、そうすれば輪廻から解脱する」という命題は、一瞬のうちに起こる機械的な出来事を表現しているのではなく、長い時間がかかる道のり、というか可能性といったものを述べたものなのである。
 「ある行為(修行や秘儀獲得)をして、ある心境・知恵・力を獲得すれば、人は人を超えた存在になれる」という考え方は、一部の宗教が好んで用いるパターンである。魔術ともオカルティズムとも言える。後代の密教などにはこうした考えが強い。
 ところがブッダ自身は、おそらくそう思っていなかった。もちろん「因果律」や「無自性空」といった叡智を学ぶことで、輪廻脱出への道は開けるが、それはすぐに、誰にでもできるものではない。今回で達成する人はごくわずか、数度生まれ変わって達成する人さえ多くはない。ただ自分ができることは、「聞く耳のある人」に教え、少しだけでも後押しをしてあげることだけだ。

 水野弘元氏は、仏教には社会救済の思想があったと述べる。ブッダの理想はまずは「苦の解決」ではあったが、「それ以上のものが」あり、
 《それは何かといえば、個人の人格の完成であり、社会の融和浄化である。……〔さとりの内容としての智慧=漏尽智の段階では〕個人自身の幸福よりも、社会全体の平和幸福を念願するようになって、……個を犠牲にしても全体のために貢献し奉仕するということになる。》
 またまた大家に対して失礼だが、本当かなと思う。確かにブッダはバーラーナシーの鹿野園で、弟子たちに高らかに言っている。
 《多くの人々の利益のために、幸せのために、世間の人々をあわれむために、神々および人間の利益のために、幸せのために、遍歴をなせ。一つの道を二人で行くな。修行僧たちよ。初めも、中間も、終わりも見事であり、意義があり、文句もりっぱである教えを説け。完全で浄らかな清浄行を顕示せよ。》
 しかし、この言葉の後はこう続く。
 《生まれつき目に塵垢が少ない人々もいるが、彼らは教えを聞かなかったために、取り残されている。彼らは教えを知る者どもとなるであろう。》
 また、菩提樹下でさとりを開いた直後、梵天の説法の勧めに対してブッダは答える。
 《世の中には、汚れの少ない者ども、多いものども、……教えやすい者ども、教えにくい者どもがいて、ある人々は来世と罪過への怖れを知って暮らしていることを見られた。「耳ある者どもに甘露の門は開かれた。」》
 ブッダは、実はすべての人を対象にはしていない。「耳ある者=来世と罪過への恐れを知っている者」「目に塵垢が少ない人々」こそ、教えにふさわしいものだと言っているのだ。業の甚大さを知っているブッダである。人々の機根もさまざまであり、叡智から遠い魂もたくさんあることは痛感していたにちがいない。(ちなみにイエスも、「耳ある者は聞け」と繰り返し述べていた。)

 何が言いたいかというと、ブッダの教えは、「社会全員に信じることを求め、それによって社会全員を救う」という宗教(これを「集団救済」と言う)ではなかったということである。
 集団救済は、一神教にその色彩が強い。仏教の中では、日蓮宗が(おそらく唯一)集団救済(仏国土建設)を掲げている。そして集団救済を志向する宗教は政治権力と結びつきやすい(現在の日本で政治に介入している創価学会は日蓮系の新宗教であることに注意。また神道にもこうした傾向はある)。
 別の言葉でいうならば、「社会全員に信じることを求める宗教」を「強い宗教」、「自己と少数の人々を対象とする宗教」を「弱い宗教」と表現することもできる。(ちなみに言えば、イエスの志向は「弱い宗教」だったが、キリスト教は「強い宗教」たらんとした。)
 筆者は、「政教分離」「信仰の自由」を擁護したい派なので、集団救済宗教、「強い宗教」には肩入れしかねる。自分が誰から救いをもらうか(もらわないか)は、自分で決めるほうがいいと単純に思う。
 そして、個々人の自由選択を尊重する文明形態が、現在の人類の到達点であるなら、そうした文明には「弱い宗教」がふさわしいと言えるかもしれない。20世紀末のアメリカ・ニューエイジで、仏教がもてはやされたのには、こうした「弱い宗教」としての仏教が、個人主義と適合したからかもしれない。

 ただ、こうして成立・展開してきた仏教は、ブッダ本人の宗教的探究とは、いくぶんのずれを持つ。ブッダは、輪廻の苦からいかにして脱するかを、必死に探究した。そして超常的体験によって、自分が輪廻を超えたと確信した。だが、教団としての仏教では、それは確実に、また短期間に得られると保証されるものではなかった。ブッダの因果論や無我論を知ったところで、あるいは瞑想で高い境地に達したところで、輪廻超脱は保証されるものではない。(ところで、そもそも、輪廻を超え出たということはどうやって判断されるのだろうか。)
 輪廻超脱という最終目的が彼方に遠のき、曖昧になっていくことで、仏教はまた違う相貌を帯びていくことになるようだ。

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごい仏教論に脱帽です! (Glass Age)
2010-07-03 22:10:53
いつも楽しく感心しながら読んでいます。
どこまで展開されるのだろうと楽しみです。

仏教については、スピリチュアリズムに復帰する前に、あれこれ勉強してみたので、いろんな思いがあります(その一部は自分のブログに書きました)。

高森さんの連載記事は、私が仏教に対して感じたイメージに近いものを、より深く、徹底的に掘り下げて、系統立って展開されているようで、とても勉強になります。

欧米のスピリチュアリズムは常にキリスト教と向き合ってきましたが、日本のスピリチュアリストにとっては、仏教や神道をどう理解するかというのは避けて通れないテーマのように思います。

今後の記事にも期待しています!
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Unknown (高森光季)
2010-07-04 06:46:57
コメント、ありがとうございます。励みになります。
これは私なりのかなり偏った見方かもしれませんので、
どうか、間違っているところ、見逃しているところがあったらご指摘をお願いします。
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『我が先祖は神奈川県横須賀市三春町で小泉元首相の実家付近かい』 (智太郎)
2010-07-23 15:08:00
 トラックバックをさせて下さい・・・今日も暑いですねー?異常気象のせいか?暑いのに災害も多いですね~?。 共通するキーワード=「鎌倉時代」を含むブログ記事:我が家の実家:祖母が住んでた神奈川県横須賀市三春町って所で小泉元首相の実家から歩いて3分程の所だったんです。まぁ「夏休みの旅行」にはよく出かけて海水浴を楽しんだモノでした。が「坂本龍馬の嫁:お龍の墓」があったり、歴史的に横須賀って深い歴史があったんですよね?三浦半島で勢力をふるっていた三浦一族は、桓武天皇の皇子の子孫の流れをくむ村岡為道がはじまりと言われている。・・・トラックバックをさせて戴きとう思っております。<m(__)m>
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