イエスの人生の最後の部分、それはあの「受難」の物語として語られる。イエスは自らが「捕らえられ、殺される」ことを予言し、エルサレムに向かい、予言のごとく逮捕され、殺害される。
この一連の出来事に描かれるイエスは、ガリラヤで病者を癒し様々な講話をしていたイエスとは、明らかに趣が異なる。「一次イエス」に対して「二次イエス」と言われるゆえんである。
「二次イエス」については、非常に論じづらい。無視して、ないことにしたいくらいである。
それは一つには、きわめて陰惨な物語だということ。受難物語に描かれるイエスは、ガリラヤでののびやかさを失い、いささか狂気じみた様相を見せる。無謀な行動にさえ出る。そして延々と続く、拷問、罵倒、十字架刑の残虐な叙述。正直なところ、本当にいやな物語である。
もう一つは、この受難物語は、創作の色彩が強く、あちこち矛盾だらけで、いったいどこまでが「史実」なのかわからないということである。
だから、できればないことにしたい。イエス様の素晴らしさを知るのなら、一次イエスで充分ではないか。それだけでも、これほど豊かで聖なる人生を歩んだ人はそういないし、その説いているところは充分人類の霊的糧になるだろう。
田川建三先生も、イエスを考える上で受難物語には重きを置いていない。
《イエスの死を記念するために教団の者たちが書き、くり返し読み上げたにちがいない福音書の受難物語から、歴史の事実を再構成することはほとんど不可能である。そこには教団の信仰があまりに色濃く投影されている。受難物語の細部を分析、検討することは、キリスト教信仰の成立過程を知るためには意味があっても、イエスの死にまつわる歴史的事実を知る上にはあまりたいした意味を持たない。》(『イエスという男』第二版396-397頁)
《イエスのあのような生と活動の結末として、あのような死があった、ということだ。〔中略〕イエスの死に希望があるとしたら、死そのものの中にではなく、その死にいたるまで生きかつ活動し続けた姿の中にある。》(同408頁)
前にも述べたように、私は田川先生の描き出されたイエス像に深く感銘した。そして、受難物語については確かに初期教団の創作だろうということで関心を持たなかった。
でも、どうもそう簡単に切り捨てられない、と思うようになった。
というのは、受難物語の細部はともかく、ああいった奇体な死に方を、イエスは自ら選んだ、もしくは意図してそうなるようにしたのではないか、と思うからである。
イエスはたまたまエルサレムに行き、そこで宗教権力批判をしているうちに、捕まって殺された、というのではなく、まさしく衆目の中で残虐に殺されることを、自分から実現するようにしたのではないか。
もしイエスが宗教批判をし、エルサレム神官団から憎悪され、殺されたのだったら、ああいう処刑にはならなかっただろう。そしてただ殺されただけなら、キリスト教は生まれなかっただろう。
受難物語は、おおかたは教団が創作したものだろう。しかし教団は、イエスの異様な死とその後の問題がなければ生まれなかっただろう。
超常的な力で人を癒し、人生の叡智を語る聖人は、何もイエスばかりではなく、ほかにもいただろう。どこかの片田舎で、縁ある人々に光を与え、歴史に名を刻むことなくひっそりと去っていった聖者は、われわれが予想する以上に多いかもしれない。今もわれわれが知らないだけで、すぐ傍らにいるかもしれない。史書に記された出来事だけが歴史ではない。その奥には記録に残らない厖大な歴史(人間の活動の蓄積)があったし、ある。その中に「一次イエス」のような聖人がどれほどいるか、われわれには知るよしもない。
一次イエスのままであったら、イエスは片田舎の聖人として、歴史に残らなかったかもしれない。だが、イエスは、歴史の転換点を作る人間となった。それをなしたのは、あの異様な死とその後の出来事である。
しかもイエスはあれだけの霊能力を発揮した人間である。現実しか見ることのできない、通常の人間ではない。彼が自らの近未来を、事前にビジョンとして見なかったはずがない。その意味も、まったく知らなかったはずがない。さらに言えば、彼は自らを見守っている「霊的存在」と頻繁に交信していたはずである。彼は「目の前のことを一生懸命生きていたら、いつの間にかメシアと思われるような状態になっていた」とか「真理を熱く語って宗教批判をしていたらいつの間にか死刑宣告をされてしまった」というような生き方をしたわけではなかろう。あの歩みは半ば予見されており、それどころか意図されたものだったはずである。
だからわれわれは、陰惨で作為的な受難物語を超えて、支離滅裂な復活物語を超えて、イエスの異様な死とその後の出来事の、霊的真実を探ってみることが必要なのである。
* * *
ともあれ、「受難物語」の大筋を復習してみよう。聖書が手元にない方もいるだろうし、受難物語は途中にいろいろと挿入されていて全体がわかりにくいので、概観するために、別稿として「資料」を載せる。マルコ福音書から「説教(論戦を含む)」「治病」の部分をすべてそぎ落として、出来事だけを羅列してみたものである(マルコには復活に関する叙述がないので、その点はまた改めて述べる)。文章は著作権フリーの「電網聖書」をありがたく拝借させていただいた。出来事の順番を示す丸数字は、便宜上付したもので、全然公的なものではない。改行も適宜直した。
この一連の出来事に描かれるイエスは、ガリラヤで病者を癒し様々な講話をしていたイエスとは、明らかに趣が異なる。「一次イエス」に対して「二次イエス」と言われるゆえんである。
「二次イエス」については、非常に論じづらい。無視して、ないことにしたいくらいである。
それは一つには、きわめて陰惨な物語だということ。受難物語に描かれるイエスは、ガリラヤでののびやかさを失い、いささか狂気じみた様相を見せる。無謀な行動にさえ出る。そして延々と続く、拷問、罵倒、十字架刑の残虐な叙述。正直なところ、本当にいやな物語である。
もう一つは、この受難物語は、創作の色彩が強く、あちこち矛盾だらけで、いったいどこまでが「史実」なのかわからないということである。
だから、できればないことにしたい。イエス様の素晴らしさを知るのなら、一次イエスで充分ではないか。それだけでも、これほど豊かで聖なる人生を歩んだ人はそういないし、その説いているところは充分人類の霊的糧になるだろう。
田川建三先生も、イエスを考える上で受難物語には重きを置いていない。
《イエスの死を記念するために教団の者たちが書き、くり返し読み上げたにちがいない福音書の受難物語から、歴史の事実を再構成することはほとんど不可能である。そこには教団の信仰があまりに色濃く投影されている。受難物語の細部を分析、検討することは、キリスト教信仰の成立過程を知るためには意味があっても、イエスの死にまつわる歴史的事実を知る上にはあまりたいした意味を持たない。》(『イエスという男』第二版396-397頁)
《イエスのあのような生と活動の結末として、あのような死があった、ということだ。〔中略〕イエスの死に希望があるとしたら、死そのものの中にではなく、その死にいたるまで生きかつ活動し続けた姿の中にある。》(同408頁)
前にも述べたように、私は田川先生の描き出されたイエス像に深く感銘した。そして、受難物語については確かに初期教団の創作だろうということで関心を持たなかった。
でも、どうもそう簡単に切り捨てられない、と思うようになった。
というのは、受難物語の細部はともかく、ああいった奇体な死に方を、イエスは自ら選んだ、もしくは意図してそうなるようにしたのではないか、と思うからである。
イエスはたまたまエルサレムに行き、そこで宗教権力批判をしているうちに、捕まって殺された、というのではなく、まさしく衆目の中で残虐に殺されることを、自分から実現するようにしたのではないか。
もしイエスが宗教批判をし、エルサレム神官団から憎悪され、殺されたのだったら、ああいう処刑にはならなかっただろう。そしてただ殺されただけなら、キリスト教は生まれなかっただろう。
受難物語は、おおかたは教団が創作したものだろう。しかし教団は、イエスの異様な死とその後の問題がなければ生まれなかっただろう。
超常的な力で人を癒し、人生の叡智を語る聖人は、何もイエスばかりではなく、ほかにもいただろう。どこかの片田舎で、縁ある人々に光を与え、歴史に名を刻むことなくひっそりと去っていった聖者は、われわれが予想する以上に多いかもしれない。今もわれわれが知らないだけで、すぐ傍らにいるかもしれない。史書に記された出来事だけが歴史ではない。その奥には記録に残らない厖大な歴史(人間の活動の蓄積)があったし、ある。その中に「一次イエス」のような聖人がどれほどいるか、われわれには知るよしもない。
一次イエスのままであったら、イエスは片田舎の聖人として、歴史に残らなかったかもしれない。だが、イエスは、歴史の転換点を作る人間となった。それをなしたのは、あの異様な死とその後の出来事である。
しかもイエスはあれだけの霊能力を発揮した人間である。現実しか見ることのできない、通常の人間ではない。彼が自らの近未来を、事前にビジョンとして見なかったはずがない。その意味も、まったく知らなかったはずがない。さらに言えば、彼は自らを見守っている「霊的存在」と頻繁に交信していたはずである。彼は「目の前のことを一生懸命生きていたら、いつの間にかメシアと思われるような状態になっていた」とか「真理を熱く語って宗教批判をしていたらいつの間にか死刑宣告をされてしまった」というような生き方をしたわけではなかろう。あの歩みは半ば予見されており、それどころか意図されたものだったはずである。
だからわれわれは、陰惨で作為的な受難物語を超えて、支離滅裂な復活物語を超えて、イエスの異様な死とその後の出来事の、霊的真実を探ってみることが必要なのである。
* * *
ともあれ、「受難物語」の大筋を復習してみよう。聖書が手元にない方もいるだろうし、受難物語は途中にいろいろと挿入されていて全体がわかりにくいので、概観するために、別稿として「資料」を載せる。マルコ福音書から「説教(論戦を含む)」「治病」の部分をすべてそぎ落として、出来事だけを羅列してみたものである(マルコには復活に関する叙述がないので、その点はまた改めて述べる)。文章は著作権フリーの「電網聖書」をありがたく拝借させていただいた。出来事の順番を示す丸数字は、便宜上付したもので、全然公的なものではない。改行も適宜直した。
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