「人生が180度変わった」って本当にあるんです

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

愛と一口に言っても高い次元の愛と低い次元の愛があります

2024-10-31 15:45:03 | 日記



「愛」とは何か、いくら考えても明確な答えを導き出すことができないまま、私は50年という月日を過ごしてきました。


信仰を持つと、「愛」という言葉を聖書や御言葉を通して何度も目にするようになります。


今では、私自身も気恥ずかしさを伴うことなく「愛」を口にするようになりました。


実は愛には次元があります。


私たち人類の持つ愛にも次元がありますが、神様から見ると地上の愛は低次元な愛と映っています。


例えば私たちは、男女が愛し合うことを喜ばしいこと素晴らしいことと考えていますが、実は異性の愛では人間の心を完全に満たすことはできません。


寧ろその愛を求めれば求めるほど最終的に憎しみや嫉妬をもたらす可能性さえあります。


だから私たちは、相手にうっとおしいと思われない程度に心のどこかでセーブしながら愛したり、愛されたいと思っても自分の思っているように愛が返ってくることは無いと考え、愛に執着しないように努めたりします。


このように、人間同士が互いに愛し合ったとしても、完全な愛で満たされることはほぼ不可能なのです。



高次元の愛は神様から来ます。


神様の愛は、自分のためではなく相手のために生きる愛です。


神様は自分のために生きるのではなく、自分以外の者たちのために生きています。


天地を創造したのも自分のためではなく、愛する対象つまり人類が幸せに暮らせるようにするためです。


神様は人類のために様々な被造物を創って人類を楽しませようとしてくださり、何不自由なく暮らせるようにしてくださいました。


私たちは、雄大な自然を目にする度に感動を覚え、豊富な種類の果実や野菜、海の幸に舌鼓を打ち、犬や猫その他様々な種類の動物たちに癒されるなど神様が人類のためにあらかじめ備えてくださった万物を通して恵みを受け、神様の愛を受けて生きています。


神様が神になり、今も神として君臨できるのは、神様こそが誰よりも高次元の愛を持っている方だからです。


この世の中は自分のために生きるのが当たり前、そのように生きざるを得ない社会システムになっています。


自分を第一にして生きる毎日は、悩みや心配が尽きることなく常に重たい荷物を肩に背負っているような感覚が付きまといます。


しかし、私たちが最も次元の高い愛を持っている神様を第一に愛することで、神様の愛が自分に宿り、神様と同じ次元の愛で人々を愛することができるようになります。


神様のために生きることで、人間は神様から自分にとって必要な全てのものを与えられ、自分のために生きる必要がなくなるのです。


私たちは肉体が朽ちれば霊界で永遠に生きる人生が待っています。


天国は、利他的な高次元の愛を持つ人だけが行くことのできる場所であり、自己中心に生きる人が全くいない世界です。


肉体のあるこの地上で生きている間に、私たちは神様を愛し神様から愛を受け、その愛で人々を愛するようにならなければなりません。


あの世でもこの世でも、私たちは神様の愛抜きにして真に心満たされて生きることは不可能なのです。