モカを定期的に預けることを息子に話したところ、息子は反対しました。
自分を苦しめた父親にモカを預けるなんて、それも1日ではなく、3泊も。
それまで落ち着いてた父親への憎しみがまたよみがえったのでしょう、私が勝手に元夫との間で取り決めたことを非難しました。
お父さんはモカの面倒をよく見てくれていたし、モカのことはよく分かっているから預けても安心できると思うよと説得したところ、結果的にしぶしぶではありますが了承してくれました。
息子と暮らし始めてみると、私たちはお互い意見を譲ることができずに、度々口論に発展することがありました。
彼は独特の考え方を持っています。
だからこそマスコミを鵜呑みにせず自分の考えをしっかり持ち、この世のカラクリを暴いたラプト理論を受け入れることができたのだと思うのですが、反面、柔軟さの欠けた かなり頑固な一面があります。
私たちはお互い歩み寄ることができず、最後は罵り合いになることもしばしばです。
彼の主張は以下のようなものです。
「自分に最も適した仕事でなければやらない。何が一番ベストなのか分からないのに、食べるために取り合えず仕事をするなんておかしい。」
大学3年生のときに、息子と私は就職活動のためのスーツや靴、カバン等を一揃え新調するために紳士服専門店を訪れました。
しかし、服を選んでいる時も就活に対する意欲らしきものは感じられず、案の定、一度も袖を通すことなく企業調べも一切せずに4年生になる前に大学を退学したのでした。
「こんなに世界中で戦争やら地震やら水害やらがある世の中に自分を産むなんて虐待と同じ。子ども(自分)を大事に思っていない証拠。」
最近の主張はもっぱらこのような内容が多く、自分が経験した嫌なことを子どもにも同じように経験させるなんて、ひどい親だ。親になる資格などないというのが彼の根本的な考え方です。
「生まれてこなければ良かった。家族がほしいとかいう理由で安易に子ども(自分)を産むのは浅はかだ。夫婦二人で仲良く暮らしてればいいのに、俺を巻き込むな。」
彼の独特の思考はその他にもまだまだあります。
私も世の常識が正しいとは思わないからこそ、今信仰を持って生活しているので彼に賛同できる考えも幾つかあります。
しかし、その意見の大半は受け入れ難いと感じました。
私は父と母に感謝していますし、そのことを息子に話しても、親が子どもの面倒をみるのは当たり前のことと一蹴されます。
彼はとても心の優しい子どもでした。
嫌な顔一つせずお使いを引き受けるタイプで、祖父母に会うと積極的に肩もみをし、夫が交通事故で重傷を負った時には、階段の上り下りに手を貸すなど世話好きで優しい一面がありました。
それがどうしてこのような考え方に至ってしまったのか理解できませんでした。
「俺だって、あんなに殴られたり怒られてなければこんなことは言わない。パニック障害になったり、髪の毛が抜けたり、下痢症状に悩まされたりしなければこんなこと言いたくないよ。」
彼の本音を聞いて、私は目が覚めました。
彼の際立った考えの原因は、やはり私たち夫婦に原因があったのです。
身体的に後遺症をもたらし、その上彼の性格をゆがめてしまった私たちの代償は大変大きく、悔やんでも悔やみきれません。
続きます。
ラプト理論についてこちらからご覧いただけます。
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