あの日見た群青を探してる

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ヨーロッパ周遊  ーその③

2020-12-18 17:07:00 | 旅行
日本人は皆忙しいから、一緒に旅行に行く連れがいるのは
確かにありがたい事かもしれないが…。

元夫はアイアンマンで、一日中泳いだり自転車漕いだり走ったり
かなりハードなスポーツに勤しんでいた。
そんなヤツはどうやらアイアンマンの過酷さで飽き足りなくなったらしく
(ある休みは朝野球の試合をして午後からゴルフフルラウンドの後夜バドミントンの練習をしていた)
その頃2、3日山道を走り続けるトレールランという
さらにアタマおかしいスポーツに入れ込んでる噂は耳にしていた。

「山の温泉に行かない?」
と誘われて、御嶽山やらレースについて2〜3カ所一緒に行った事があった。
が、大会参加の手続き以外、山の奥に行くのに
旅程も宿泊も手配は私任せだった。
飛行機、新幹線在来線、私の手配した行程を
ヤツはナーンにも考えず乗り継ぎ、大会に参加する。
私は温泉旅館に行って、次の日もまだレースだから
2人で予約した宿に1人で宿泊し、山をぶらぶらして1人で過ごす。
と、昼夜を問わずいきなりレースが終わった、か棄権した、と連絡が入る。
山の中だからここがどこかわからない、旅館に行くタクシーの手配が出来ないって…。
こちらでタクシーを手配する。
夕食の支度を待たせたり、又は夕食を破棄して出向いたり。
で、たどり着いた本人はずっと寝ずの走りっぱなしだったから
もうヨレヨレで、1人では歩く事もままならない障害者のようになって這いずって来る。
だんだん誘われても行かなくなっていくのは当たり前だよ。

そんなヤツから
シャモニーのモンブランの世界大会を申し込んだ、と。
聞かないフリが良い。
今までだって大会の申し込みだけは
自分でやってたもんね、
で、段々大会が近くなって来ると
一緒に連れて行こうか、と。
再度聞かないフリ。
いよいよって感じになったのか
手配してくれないかな、と言ってくる。

ANAで行った時あまりの飛行時間の長さが辛かったので
韓国だけは敬遠したかったが、福岡発で効率を第一に考え
致し方なく大韓航空にした。

パリからモンブランまではSNCFのTGVを手配。
大会の出発地の近くにホテルを4泊取って、パリで4泊。
私も働いていたので、休み10日取るのが精一杯だった。

福岡待ち合わせで大韓航空は正解だった。
通常ヨーロッパやアメリカに行く時は福岡から東京に飛び
東京から現地まで飛ぶのでかなり時間ロスするし身体に負担が大きい。
福岡から韓国で乗り換えてパリに行くのは時間が短縮出来るし
価格も安かった。
リヨン駅近くに一泊してTGVでシャモニーに向かった。
山が高くなるにつれて日本では見た事のない永久氷土の山々や
石灰色の川、針葉樹の鮮やかな木々等
山奥に向かう途中の景色には無邪気に感動するゆとりがあった。
さすが世界のモンブランって…。

ヤツは仮に私がついて行かなかったら
大会に参加できなかった、と断言できる。
鉄道の駅も、大会の受付会場も、移動手段も、何も調べてなかったし
いつものように何も考えてなかった。
シャモニーの駅に着いて
地元の観光協会に行って会場の場所を調べ、会場に行って手続きを済ませ、
夕刻出発するスタート地点を確認してホテルまでバスで行った。
ホテルが会場から遠かったが
この辺では町中無料のバスが利用できて重宝した。

夕刻ヤツがスタートするのを見送って改めて周りを見渡したら
万年雪に覆われた冠を載ったアルプスの山々が、堂々と青空に光り輝いていた。
シャモニーの街は小さくて、この時期はトレールランの世界大会の為、街を上げて盛り上がっていて
町中あちこち応援の横断幕や旗、花々、マスコットで飾られていた。
通りは応援人々で溢れ、仮装の行進や、お菓子をばらまいたりして賑わっていた。
中世の仮装の行列の人達の姿は、街を別世界のように塗り替え、
夜中まで盛り上がっていて、とても興奮した。
ホント、中世の魔女とか出てきそうな不思議な感じで
ヨーロッパの治安を考えると女性が一人で夜遅く外出は控えた方が良いが
一晩中賑わう街を、ホテルの窓から見下ろしてるだけでも楽しかった
こんな幻想的な街を見もせず、雪の山中を一晩中走るヤツの気が知れない。

次の日は労せずしてロープウェイで
一気にモンブランの山頂に登った。
バカめ!お利口さんはちゃっかり
見渡す限り純白のアルプスの山頂のレストランの窓から
ワインを片手に優雅に最高の景色を堪能と洒落込むんだよ〜。
などと、外国で1人でランチを取るウサを晴らしていた。
町に戻ると中世のような街中を
チョコレートの可愛らしいお店や、サラミソーセージやチーズの
この地方のお土産屋さんをプラプラ廻って楽しんでいた。

突然メールが来た。
「今救急車で運ばれてる、棄権した」
驚いて電話するが、自分がメール送った後は、電話にも出ないし、メールの返事もなかった。
一体どうしたたら良いのか、どうなってしまったのか
こんな高い山々の、どの辺の山に行けば良いんだろう、どうやって行けば良いのか、
フランス語などわからないし、救急車でどこの病院に運ばれたか誰に聞けば良いのか、

何度も電話したが、電話、いつも出ない。
そもそも電話でない人って信じられない!電話に出ないので何度もケンカした事もある。
こんな時も出ないなんて!
心配と腹立ちで、どこをどう探し回ったか、
色々聞き回って、大会の受付の建物に調べに行った。
円形の建物をウロウロ探し回っていると
医務室のようなマークがあって
中を覗いてみると、何人か怪我人がいる様子。
ここで聞いてみようと入って行くと、
大会で怪我して棄権したらしい人が日本語で「自分で縫う」と言っていた。
日本人の医者のようだ。
この人に聞いてみよう、と近寄って行くと
簡易タンカのようなものに包まれたものがあった。
何気に覗くと死人のような…顔があって驚いた。
ここで血の気が引いたのが分かった。
死んだ、
すっかり土色になったヤツの顔。
頭が真っ白になってボー然としていたと思う。

しばらくして我に返ってから、タンカに近づいて
すがるような気持ちで声をかけてみるとグッタリしながらも返事があった。
どうにかしてタクシーでホテルに運んでお風呂に入れて全身あったまると
少しずつ顔に血の気が差して来て、喋れるようになって来た。
全身泥だらけのシャツやズボンや靴を洗った。
バスタブ3杯分くらい何度も何度も洗ってもずっと泥汚れは取れなかった。

次の日、街はボチボチ大会のゴールに駆け込む人を迎え
時々拍手や大きな声援があちこちで上がりだした。

日中ゆっくり休んで、夜になると私の肩に捕まりヨロヨロと歩けるようになったヤツは
帰還のテープを切る仲間達を称賛すべく、大会の広場に向かった。
フィナーレを迎え、街は一体となって
最高潮の盛り上がりを見せていた。
日本人も何人も参加していたらしく、
日本語でワイワイお互いに称賛しあっていた。
参加者の一人が地ビールを片手に
「この場所のこの雰囲気の中に今、自分がいる事が最高に幸せだ」
と感激した様子で訴えると、あちこちから賛同の声が起こった。
それは認める。本当に最高に幸せな人達だろう。
何もかもが素晴らしい雰囲気だし。
こんな感動的な空間は一生の熱い思い出だろうよ。
 あんた達にはね…

2人分の大きな重い荷物と、
肩を貸さないと動けない、ほぼ寝込んでたヤツを持って、
その後の旅程がどんなモノか想像に難くないだろう。
ヤツを見送った後の、ほんの少しだけの私のモンブランの空間だけが
この旅で一番幸せな時間だった。









屋久島  楽しみは少しずつ

2020-11-27 16:02:00 | 旅行
歳をとって海外旅行が体力的にキツくなったら
国内を廻ろうと思っていた。
今年はコロナの影響で何処にも行けそうにないようだ。
12月ハワイ旅行を予約していたが、キャンセル料なしで取り消せたので取り消した。

Gotoキャンペーン真っ只中。
まずは大好きな沖縄、石垣島、2週間かけてブラブラした。
好きなホテルと、goto キャンペーンで今安く泊まれる憧れのホテル。
探すけど、この辺のホテル、ほぼ泊まってて新鮮味はないんだよね…。
お気に入りのオクマ、ゴージャスだったブセナテラス、ルネッサンス、オリエンタルヒルズ、リッツカールトン。
情緒ありの日航アリビラ、朝食美味しいハイアット瀬良垣、スパリゾート。お部屋が広々のカフーコンド。
そーでもなかった両ヒルトン、マリオット、ANA万座インターコンティネンタル。
プール代まで別料金だったカヌチャベイ、テラス系は上品で文句なしだなぁ、
恩納村のモントレは長期でお世話になったけど、全然飽きなかった。
那覇ではなんとなくリーガロイヤルホテルだったけど、今回泊まったハイアットも庭が素敵だった。
お気に入りだけど最近バカ高く勘違い離島組、はいむるぶし、星のリゾート系列(離島以外は完璧)、ジキラベイスイートアラマンダ。
全くサービスと価格が釣り合ってないし。
今回は沖縄ではハレクラニと馴染みのロジワール、新しい北谷レクー、ハイアット那覇。
ハレクラニはハワイのハレクラニホテルがハワイの他に沖縄だけオープン間もないホテルだけど
全室オーシャンビューで景色は良いけど、雨ばかりだとその価値は半減…。
広々した客室もゴージャスだけど…やっぱ何かちがーう。
近くに馴染みの気さくなホテルがあるからなのかな?
それがロジワールリビングスイーツ。
瀬良垣に用はなかったがあまりの好きさにわざわざ瀬良垣に寄って一泊した。
レストランの豚角煮を2皿も頼んだ。うましっつ!
朝食もカワイイし、、広くてコスパ良く清潔でスタッフの対応も大好き。
さりげなく覚えててくれたんだって感じさせてくれる奥ゆかしさも心地よい。
レクーは新しくオープンの北谷のホテルだけど、
この低価格で温泉あり、朝食も一流ホテル顔負けの品揃え。
ビッフェには海葡萄もあったので、しこたま頂いた。
ロビーのコーヒーやジュースをいつでもお部屋に持ち込みできるし
涙ぐましいサービスに感激。
沖縄も本島は競争が激しいからホテル事情はピカイチだと思う。

石垣島はいつもならはいむるぶしにまず寄るけど、あのクラスで一泊5万は勘違い組認定。
クラブメッドも久々行ったけど、どうしたの?ってくらい部屋かび臭くサービスも悪かった。
大体売りのショーもイベントも無いのに、態度もイマイチだったら何があるっての。
ANAインターコンティネンタルホテルは3時からチェックインのくせに30分も待たせて
朝食も30分以上並んだ。文句言ったら仲間内で私の悪口言ってるのが聞こえた。
全く恐るべし離島クオリティだ。
Gotoキャンペーンでも良い価格するんだからこちらも求めるものも大きくなるっての…。

ってさんざ沖縄の離島のホテルにイチャモンつけたが
ウチらはまだ、あの屋久島を知らなかった。

JR屋久島ホテルとサンカラ。
特にサンカラはgoto キャンペーンでもないと
とても泊まれるホテルじゃないから、この期に❗️
と、まずホテルを手配。サンカラは高いから空いてるが
JR屋久島ホテルは人気で中々取れなかった。
JR屋久島ホテル3泊、グリーンホテル,sankara各1泊予約して
屋久島に入る。
屋久島は連日雨ばかりと聞いていたが
ウチらがいた6日間ずっと晴天で、素晴らしい天気に恵まれて何よりだった。
JR屋久島ホテルは海だけじゃなくダイナミックかつユニークな山々の景色も同時に楽しめた。
温泉も海が見渡せる露天があって、ずっと温泉に行きたいと思ってたので
大満足だった。人気があるのは頷ける。
夜、星空に天の川が現れていて流れ星も見えた。
竹富島のコンドイビーチ以来10年ぶりくらいだろう…、あんな星空。

実は私は沖縄から戻る時、風邪の症状が現れて石垣でPCR検査を受けていた。
陰性だったので、そのまま屋久島に入ってが
屋久島ではずっと部屋で静かにしていようと思っていた。
2日目山に行くだけ行ってみようか、とヤツが言うので
じゃ、行くだけ、とバスで登山口まで行った。
登山道入り口から、少し見るだけ、と山の中に足を踏み入れ、
小一時間ほど散歩してみよう、と歩いてみると
あまりの気持ちよさと美しさに引き寄せられ、
清らかな川のせせらぎ、さまざまな種類の愛らしい苔たちや
年代を雄々しく生きる大木のあまりの荘厳さにすっかり魅了され
片道5時間の山道をしっかり出口まで歩いてしまった。
少しも苦しくなくて、かなりの山道なのに
気持ちよく汗をかき3度も着替えながらあっという間だった。
しかも驚くことに私の風邪の症状は全くなくなっていた。
ホテルに戻ってからも鼻も通り喉の痛みも消えて身体も軽く
すっかり元気になってしまったのだ。
自然の力はすごい。大自然に畏怖の念を抱きつつ
美しかった山の自然を思い温泉で汗を流した。
ヤツは11月なのに川に飛び込んで泳いでいた。
すごく気持ちよかったよ〜と大はしゃぎするヤツは
清流を見ると飛び込まずにおれない体質。
やっぱりアホだと再認識。

ドライブの途中寄った、海岸の温泉も
恥ずかしながら、野外の海岸で服を脱ぎ
ダイナミックな海に沈む夕陽を見ながら堪能した。

グリーンホテルは安かったからあんまり文句は言わず許してやろう。
うん、いいんだ。離島だし、あれしき…、安いんだから…。

で、ついにサンカラ。
憧れのホテルだった。
病気を押して屋久島旅行を敢行したのは
このホテルは大きな目的でもあったからだ。
今までえてして離島のホテルは
価格と、設備、部屋、サービス、かけ離れているモノも多かったので
このホテルのありえない宿泊価格はかけだった。
結論から言うと、うん、離島では
コスパの良いホテルなら、まだ腹も立たないって感じかな。
プールサイドのデザインなど流石に完璧で美しかったが、
各部屋はそれに見合ってなかったし、
サービスも間違いなく離島クオリティだった。
感じは勿論良いんだけど、それ、高いんだから当たり前じゃんか。
例えばラウンジで6時までしかビールを提供してない、ってスタッフに
5分過ぎてるけどダメか聞いたらダメ。とにべもない。
ラウンジは空いてるし、他のアルコールは飲めるのに。
大したことじゃないんだけど、こんなとこなんだよなぁ…。
勘違い、価格だけオタカイ離島組。
別に離島に恨みがあるわけじゃないけど
その態度、他所で通用するか、いっぺん東京に行って勉強してこい、と言いたい。
他でも大方サービスは満足できるホテルが多いが、
東京はビジネスホテルでも至れり尽せりのサービスで
その努力に感心させられる事も多い。

山中に建つサンカラは私にとって重大な鬼門だった。
自然にこんなに惹かれてるのに、虫が苦手な私。
木々や空にカーテンのように大量の蜘蛛の巣は
もう絶対ムリ。
ジムに行く階段には100匹位小ムカデが張り付いていた。
なんとかしろよって、怖がり屋さんの私はこの辺で涙目。
後でヤツに聞いた話だが、
なんと、私が大の苦手な大きな家蜘蛛が実はお部屋に出たそうな。
ヤツはこっそり見えないとこに追い払って
その地を離れてから教えてくれた。
高いからどうせ2度と泊まれないけど
その話は私をさらに、決してそのホテルに足を踏み入れさせ無い誓いを堅くさせた。。

でも身体もすっかり元気になったし
海辺の温泉ももう一個あるらしいから
今度はJR屋久島ホテル押しで
じっくりもう一度もののけ姫のお里を堪能しよう。
 老後の楽しみは少しづつ…ね。




ヨーロッパ周遊 その⑤ 後編

2020-11-24 00:10:00 | 旅行
 私達の旅行スタイルは、ホテルでゆっくり朝食を終え、昼頃から活動を始めるから
ニースを経ってミラノに着いたのは夕刻だった。
ホテルで夕食を取ってると、日本人女性が話しかけて来て、明日の予定を聞いた。
親子でイタリアに個人旅行で来てるそうだ。
格別予定は立ててない旨伝えると
一緒に観光を提案された。
ところが、その提案は
朝6時から朝食で、10時までナントカの名所を巡って
物凄く詳しく下調べしたレストランでランチを取って
その後何時から何時までどっかのアウトレットに行って
何時何分のバスで戻り、ホテル近くの教会を見学……💦
……ウチらは2〜3日に1箇所位しか周れないんだよお〜!
体調が良くないから、と誤魔化したけど
ホントにそんなに周ったら身体壊しそう…。

ミラノで昼頃からホテル近くのドオーモに行った。
教会の中に入ってみると、中だけでも絶対一日じゃ見れないと思う程
イタリアの酔を集めた彫刻や建築物、絵画の数々に圧倒される。
教会の外側の人物の彫刻の数をとっても
ウチらの出身地の教会全部足しても、ここ一個の足元にも及ばない事を知る。
それは致し方ない事だが。
翌日もこの近辺をプラプラ散歩してたら
スカラ座の前で何やら長い行列が出来ていた。
ヒマだし、地元人に混ざって並んでると
何かのチケットを渡された。
2時からバレエの公演があるらしく、どうやら無料っぽい様子。
スカラ座の中を見学したかったので
この偶然の幸運に感謝して
荘厳なスカラ座の3時間程のバレエ公演を楽しむ事が出来た。
カフェでダベって過ごしたり
ミラノの休日を堪能し、コモに電車で向かった。

コモ湖を中心に、お金持ちの集うリゾート地コモは
街全体が高級感があって、歴史を感じさせる瀟酒な建物に
高級ブランド店が軒を連ねていた。
街全体はこじんまりしていて
日本と違い貧富の差が大きいと聞くこの国の
途方もないクラスの水上飛行機を格納する貴族の城や
所々に見られる豪華で美しい別荘と言うかお屋敷と言うか、
散歩しながら見て回るのも興味深く楽しかった。
のんびりと静かに、東洋のウチらが
イタリアの特別な空間の空気と時間を
堪能させてもらえて感じ入る事は多かった。

コモからはジュネーブで少し過ごして
(ジュネーブはモナコと同じ感じでキレイだったけど
場違い感がハンパなかったから割愛)
パリに戻る国際列車に乗り換えた。
ところが、出発して2時間ほど経った頃
突然列車が止まった。
何があったかわからないまま列車を降りるよう指示された。
トラブルで4時まで動かないと。
今日帰国する人、顔面蒼白だよね、
などと呆れながら町に出た。
どこの国の何という町か知らない場所だが
ヨーロッパはホントに、どこをとっても絵になる。
アルプスに囲まれた、可愛らしい町並みや
石畳の道、脇の花々。
思いがけず降り立った素晴らしい景観の小さな町で
4時間程時間があったので
プラプラ2人で道を歩き、町の中心の川にかかる石橋に座り
透明な川の麓で、長い時間水の音を聞きながら、たわいもない話を
あれやこれや話して過ごした。
私達はこんな愛しい時間を大好きで旅をしているんだろうな、と感じた。
時間がたっぷりあるのは財産だ。
こんなふうにたまに立ち止まって
景色や自然、人や空間にゆっくり向かい合う時間って
ビュンビュンひたすら早く走り去る人生では
目に止まる事もないんだろうから。










ヨーロッパ周遊  その⑤ 前編

2020-10-21 23:40:00 | 旅行
ダブルマイルキャンペーンで一気にマイルを貯める事を目論んで
ウチらはANAでパリに飛んだ。
辟易する長いフライトだったから、さぞやマイルも貯まっただろう。

シャルル、ド、ゴール空港について両替をしてる時
すでに目の前で替えたばかりの現金をひったくられていた。
何ちゅう恐ろしいとこ…。

空港からオペラ座に向かうバスに乗る。
ホテルはオペラ座から歩いていける凱旋門の近くを取ってたから
ここで4日ほどパリっ子気取る。
モチロン、ホテルはしっかり選んで取ったし。

1日目は私が学生の頃のぼせてたベルサイユのばら、の
アントワネットの宮殿を電車に乗って見物に行った。
ここは少し前元夫とパリに泊まった時
動けない彼を置いて1人で来た事があった。
その時は入れなかった宮中のレストランで
お茶したりお土産買ったり
やっぱり旅は道連れがいた方が楽しさ2倍👍

気が合うウチらは昼頃起きて
ブローニュの森にピクニックに行ったり
一日中地下鉄や徒歩で
ルーブル行ったり革命広場でブラブラしたり
ゆ〜ったり過ごしていた。

レストランやスーパーで嫌な目に遭うのが嫌だから
フランスは避けて来た。
古代から周辺国やアジアやアフリカや世界中から巻き上げた富は
日本とスケールが違い、街を築く基となるその富や美意識とは裏原に
フランス人は最悪だと聞いていた。
でも知ってたからスルーできるもんね〜(^。^)

それに3日目オペラ座でフィガロの結婚が上演されてて
ダメモトで当日券を買いに行ったら
日本人の留学生のイケメンのお兄さんと会い
「お願い!!日本人のよしみでチケット買って」
とすがると
「当日券は半額なんですよ」
と優しく教えて買ってくれた。
「毎日バレエやオペラ三昧なんですよ」
と仰っていた品の良いお兄様、
私もあんな息子欲しい〜〜!

オペラ座も凄かったしオペラ凄かった。
安い席だから天井桟敷の隅っこの席なんだけど、
パリだね〜!コレは日本では体験できない。
絢爛豪華で…。人間の声って奇跡だと知る。

ニース行きのTGVに乗る為
リヨン駅の近くのホテルに移った。
フロントのねーちゃんは憮然として
放り投げてカギを渡すと、あとは説明もせず無視してた。

出発2時間前リヨン駅に着いた。
駅中探しても出発ホームが見つからず
英語も通じないから困り果てて
あちこち身振り手振りでチケットを見せて聞いてまわったら
一旦駅の外に出て少し歩いたホームだった。
ツアーじゃないから、言葉が通じないヨーロッパはヘトヘトになる。
でも席に座って、ホッと一息ついて、車窓からすんばらし〜景色を眺めてると
来れて幸せって思える。
どこまでもどこまでも、ホントに何てキレイなんだろう…、ヨーロッパって。

ニースに着いてホテルを探すのに、はたまた苦労した。
でもやなヤツって都会の人だけかしら?と思う程
ニースの人は優しくて、地元の人も分かりにくいホテルまで
一緒に探してくれた。
緩やかに海岸を囲んだ街は、見晴らしが良く、海風が吹いて輝くようだ。
地元のレストランもパリみたいに高くなくて
人種差別も無く、とても感じよかった。
モナコに行きたい、と観光案内で尋ねると
すぐそばのバス停から、僅か1ユーロで行けると言う。
この辺は崖の傾斜にへばりついて建物が建ってるので
バスの窓から見える、青い海に映えどこを撮っても絵になる景色にずっと魅入っていた。

モナコはウチらがいるのは場違いに思えた。
グレースケリーの日本庭園や街歩きはキレイで楽しかったけど
チョット立ち寄ったデパ地下みたいな飲食店でも
飲み物はブーブクリコがあって、高級そうで
物価が高いヨーロッパでも群を抜いて何もかも高くて
ビクビクしてホテルに舞い戻った。

ニースからジェノバを抜け、フランスからイタリアに通る
世界一絶景と称される海岸線を、旅の醍醐味を貪欲に味わいながら、
何時間も高揚感に浸りながら、国際列車に揺られていた。




ヨーロッパ周遊  その④

2020-10-18 13:45:00 | 旅行
ギリシャの島々クルーズ

「PネットクルーズのY でございます。山ちゃんとお呼びください」
「ギリシャクルーズ10日に申し込みたいんですけど…」
「ではお調べして折り返しお電話致します」

「PネットクルーズのY ちゃんでございます」
「2〜3日前電話したんですが、折り返しの電話がないので…」
「え! 申し訳ありません、もう一度お名前とコースを教えてください」
調べてなかったのか…山ちゃん。

その後もちょくちょくこんな感じの少し頼りない山ちゃんの担当で
私とヤツはベニス発着ミコノス島〜コルフ島〜クレタ島〜クロアティア・ドブログニク周遊の
クルーズツアーを申し込んだ。

ヨーロッパは言葉が通じないし、日本からの飛行機の手配もついてたので
楽チンだった。
ただ、アリタリア航空は
ずっと前乗った時信じられない事にCAが最後尾でタバコを吸っていた。
それ以外の航空会社をお願いしたら、幸いANAだったのでホッとした。

ベネツィアに到着して1日目少し時間があったので
リド島に定期船で渡った。
やっぱりベネツィアとは少し雰囲気が違っていて
静かでこじんまりしてはいるが、品が良い街並みだった。
今はもう見る事が叶わない、本物の映画を見れる時代撮られた
ルキノヴィスコンティ監督の「ベニスに死す」
を撮影された地を巡った。
映画の舞台となったホテル、デ、パンは2010年取り壊されたと聞く。
その跡地は、一画面にも手を抜かない完璧な耽美を追及する監督の
残骸を見る気がした。
貴族である同氏が金に糸目をつけず撮った
「山猫」「ニジンスキー」「家族の肖像」等
俳優をはじめ衣装、装飾、美術、時代背景どれをとってもため息が出る美意識と世界観に
感銘を受けたものだった。

2日目はホテルから徒歩で行ける港から
いよいよ地中海クルーズ出航だ!
さすがに世界有数の観光地なので
何隻ものクルーズ船が出港の順番待ちで、
クルーズのデッキから離れていくベネツィアの街並みを見下ろし
一望できるパノラマに気分はハイになる。

船長主宰のウエルカムシャンパンをヤツの分も2〜3杯頂いて
船内をうろうろしてたら、すぐ夕食の時間になる。
今回はコスタクルーズと言う
エコノミーな価格の割にオシャレな船だ。
イタリア船は食事はハズレがないと聞いてたので
ウチらは十分楽しめた。
レストランに行くとツアーなので
日本人グループの大きなテーブルに案内された。
10人位のテーブル2つのテーブルには数組みの日本人が座っていた。
旅先であまり話す機会がなかったので
色々な人と会話できて楽しかった。
悠々自適の年配の方々が殆どなので
マウント気味の自慢話ばかりでうざく感じたら
別の席を取ることも出来たから
クルーズ中は数種類の生ハム三昧を良しとしてテキトーに楽しんでいた。

地中海周遊は夏期が良い。
海の色が断然碧い。それだけで価格が2倍は絶対納得できる。
この碧い海を見ず、どうするよってほど海の色が全てだ。
冬来ても地元人が言う「ゲーゲ海クルーズ」の意味を
身をもって知る事になるだけ。
(経験者だもん(泣)

最初の寄港地はベネツィアの遺跡を囲むコルフ島。
島の頂上に行くロープウェイにクルーズの乗客全員がごった返し
発着場までの長ーい階段を並んでいた。
すると夕食時チョット苦手だったKさん夫婦がウチらを見つけて
手を振ってかなり後列から、順番を飛ばしてこちらに割り込んで来た。
年金を沢山貰ってる元偉い肩書の人と奥さん。
ウチらがどのクラスの部屋か、頼んだシャンパンはいくらか
やっぱり自分らよりビンボーらしい、みたいな
島の遺跡よりそんな事に興味があるらしく、長い待ち時間
ずっと根掘り葉掘り色々聞かれていた。


ロープウェイで高台に着くと、
紺碧の海に浮かぶ遺跡の島を一望するのは圧巻に決まっていた。
戦国時他国からの侵略を阻止するため、至る場所に石畳や防壁は
古よりの歴史を思い至らせる。
クレタ島も全く趣は違う景観だが、
島自体、堅固な城砦になっていた。
ヨーロッパってどこに行ってもそんな感じだよね〜。
今まで十字軍とか遠い国の話だったもんで、ピンと来なかったけど。

3日目のミコノス島は白壁の街とボニの風車ってあまりにも有名な景色を確認した後は
基本あちこち行かない、ウチらの好きなブラブラ歩きして、
地元の音楽の流れる絶景のカフェでお茶飲んだり、港の猫と戯れて
ゆっくり流れるこの地の時間を楽しんだ。
サントリー島では
海と島が一望出来るアベマリアのオペラが流れるカフェで
ずーっと一日中だべっていた。
仕事の事や、これからの事、家族のことや、好きなこと…。
他愛もない事をズッーっと。
映画マンマミーアみたく
住人はこんな綺麗な景色を愛しながら
働いたりジタバタしたりして生活しているんだな、って
色々な世界を垣間見れる、旅って
ホントに面白い。

最後のクロアチアのドブログニクは
天候不良で帰港する事が出来なかった。
あっという間の楽しいクルーズももう終わる。
日本人はクルーズ船内で
忙しそうに色々なイベントに参加していた。
怠け者のウチらは食事以外、一日中部屋でゴロゴロしていた。

朝昼晩毎回数種類出る生ハムに
最初は大喜びだったのに一週間も経つと吐きそうになっていた。

「生ハムはもう良いよねー」
食事のテーブルでパスタ、ピザ、生ハムに辟易していた日本人は
ため息が混じりにグチっていた。
ちなみにウチらは帰国後一年以上イタリアンは食べなかった。
色々な地方から来ていた参加者と話していると
クルーズPネット社の話になった。
高年金夫婦が
「担当が書類を忘れて送ってこなかったから最後キレた」
「感じは良いから憎めないけど、私たちも…」
私はピンと来て担当の名前を尋ねると、皆さん
「山ちゃん!」と。
その後山ちゃんの話題で日本人のテーブルは大盛り上がりだった。
「ツアーも結構面白いね」とヤツ。
「うん、又来たいね」
モチロン山ちゃんの担当で、ね。