日本人は皆忙しいから、一緒に旅行に行く連れがいるのは
確かにありがたい事かもしれないが…。
元夫はアイアンマンで、一日中泳いだり自転車漕いだり走ったり
かなりハードなスポーツに勤しんでいた。
そんなヤツはどうやらアイアンマンの過酷さで飽き足りなくなったらしく
(ある休みは朝野球の試合をして午後からゴルフフルラウンドの後夜バドミントンの練習をしていた)
その頃2、3日山道を走り続けるトレールランという
さらにアタマおかしいスポーツに入れ込んでる噂は耳にしていた。
「山の温泉に行かない?」
と誘われて、御嶽山やらレースについて2〜3カ所一緒に行った事があった。
が、大会参加の手続き以外、山の奥に行くのに
旅程も宿泊も手配は私任せだった。
飛行機、新幹線在来線、私の手配した行程を
ヤツはナーンにも考えず乗り継ぎ、大会に参加する。
私は温泉旅館に行って、次の日もまだレースだから
2人で予約した宿に1人で宿泊し、山をぶらぶらして1人で過ごす。
と、昼夜を問わずいきなりレースが終わった、か棄権した、と連絡が入る。
山の中だからここがどこかわからない、旅館に行くタクシーの手配が出来ないって…。
こちらでタクシーを手配する。
夕食の支度を待たせたり、又は夕食を破棄して出向いたり。
で、たどり着いた本人はずっと寝ずの走りっぱなしだったから
もうヨレヨレで、1人では歩く事もままならない障害者のようになって這いずって来る。
だんだん誘われても行かなくなっていくのは当たり前だよ。
そんなヤツから
シャモニーのモンブランの世界大会を申し込んだ、と。
聞かないフリが良い。
今までだって大会の申し込みだけは
自分でやってたもんね、
で、段々大会が近くなって来ると
一緒に連れて行こうか、と。
再度聞かないフリ。
いよいよって感じになったのか
手配してくれないかな、と言ってくる。
ANAで行った時あまりの飛行時間の長さが辛かったので
韓国だけは敬遠したかったが、福岡発で効率を第一に考え
致し方なく大韓航空にした。
パリからモンブランまではSNCFのTGVを手配。
大会の出発地の近くにホテルを4泊取って、パリで4泊。
私も働いていたので、休み10日取るのが精一杯だった。
福岡待ち合わせで大韓航空は正解だった。
通常ヨーロッパやアメリカに行く時は福岡から東京に飛び
東京から現地まで飛ぶのでかなり時間ロスするし身体に負担が大きい。
福岡から韓国で乗り換えてパリに行くのは時間が短縮出来るし
価格も安かった。
リヨン駅近くに一泊してTGVでシャモニーに向かった。
山が高くなるにつれて日本では見た事のない永久氷土の山々や
石灰色の川、針葉樹の鮮やかな木々等
山奥に向かう途中の景色には無邪気に感動するゆとりがあった。
さすが世界のモンブランって…。
ヤツは仮に私がついて行かなかったら
大会に参加できなかった、と断言できる。
鉄道の駅も、大会の受付会場も、移動手段も、何も調べてなかったし
いつものように何も考えてなかった。
シャモニーの駅に着いて
地元の観光協会に行って会場の場所を調べ、会場に行って手続きを済ませ、
夕刻出発するスタート地点を確認してホテルまでバスで行った。
ホテルが会場から遠かったが
この辺では町中無料のバスが利用できて重宝した。
夕刻ヤツがスタートするのを見送って改めて周りを見渡したら
万年雪に覆われた冠を載ったアルプスの山々が、堂々と青空に光り輝いていた。
シャモニーの街は小さくて、この時期はトレールランの世界大会の為、街を上げて盛り上がっていて
町中あちこち応援の横断幕や旗、花々、マスコットで飾られていた。
通りは応援人々で溢れ、仮装の行進や、お菓子をばらまいたりして賑わっていた。
中世の仮装の行列の人達の姿は、街を別世界のように塗り替え、
夜中まで盛り上がっていて、とても興奮した。
ホント、中世の魔女とか出てきそうな不思議な感じで
ヨーロッパの治安を考えると女性が一人で夜遅く外出は控えた方が良いが
一晩中賑わう街を、ホテルの窓から見下ろしてるだけでも楽しかった。
こんな幻想的な街を見もせず、雪の山中を一晩中走るヤツの気が知れない。
次の日は労せずしてロープウェイで
一気にモンブランの山頂に登った。
バカめ!お利口さんはちゃっかり
見渡す限り純白のアルプスの山頂のレストランの窓から
ワインを片手に優雅に最高の景色を堪能と洒落込むんだよ〜。
などと、外国で1人でランチを取るウサを晴らしていた。
町に戻ると中世のような街中を
チョコレートの可愛らしいお店や、サラミソーセージやチーズの
この地方のお土産屋さんをプラプラ廻って楽しんでいた。
突然メールが来た。
「今救急車で運ばれてる、棄権した」
驚いて電話するが、自分がメール送った後は、電話にも出ないし、メールの返事もなかった。
一体どうしたたら良いのか、どうなってしまったのか
こんな高い山々の、どの辺の山に行けば良いんだろう、どうやって行けば良いのか、
フランス語などわからないし、救急車でどこの病院に運ばれたか誰に聞けば良いのか、
何度も電話したが、電話、いつも出ない。
そもそも電話でない人って信じられない!電話に出ないので何度もケンカした事もある。
こんな時も出ないなんて!
心配と腹立ちで、どこをどう探し回ったか、
色々聞き回って、大会の受付の建物に調べに行った。
円形の建物をウロウロ探し回っていると
医務室のようなマークがあって
中を覗いてみると、何人か怪我人がいる様子。
ここで聞いてみようと入って行くと、
大会で怪我して棄権したらしい人が日本語で「自分で縫う」と言っていた。
日本人の医者のようだ。
この人に聞いてみよう、と近寄って行くと
簡易タンカのようなものに包まれたものがあった。
何気に覗くと死人のような…顔があって驚いた。
ここで血の気が引いたのが分かった。
死んだ、
すっかり土色になったヤツの顔。
頭が真っ白になってボー然としていたと思う。
しばらくして我に返ってから、タンカに近づいて
すがるような気持ちで声をかけてみるとグッタリしながらも返事があった。
どうにかしてタクシーでホテルに運んでお風呂に入れて全身あったまると
少しずつ顔に血の気が差して来て、喋れるようになって来た。
全身泥だらけのシャツやズボンや靴を洗った。
バスタブ3杯分くらい何度も何度も洗ってもずっと泥汚れは取れなかった。
次の日、街はボチボチ大会のゴールに駆け込む人を迎え
時々拍手や大きな声援があちこちで上がりだした。
日中ゆっくり休んで、夜になると私の肩に捕まりヨロヨロと歩けるようになったヤツは
帰還のテープを切る仲間達を称賛すべく、大会の広場に向かった。
フィナーレを迎え、街は一体となって
最高潮の盛り上がりを見せていた。
日本人も何人も参加していたらしく、
日本語でワイワイお互いに称賛しあっていた。
参加者の一人が地ビールを片手に
「この場所のこの雰囲気の中に今、自分がいる事が最高に幸せだ」
と感激した様子で訴えると、あちこちから賛同の声が起こった。
それは認める。本当に最高に幸せな人達だろう。
何もかもが素晴らしい雰囲気だし。
こんな感動的な空間は一生の熱い思い出だろうよ。
あんた達にはね…
2人分の大きな重い荷物と、
肩を貸さないと動けない、ほぼ寝込んでたヤツを持って、
その後の旅程がどんなモノか想像に難くないだろう。
ヤツを見送った後の、ほんの少しだけの私のモンブランの空間だけが
この旅で一番幸せな時間だった。