あの日見た群青を探してる

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バリ島  クリヤヨガ自主合宿    その1

2020-02-03 02:18:00 | 旅行




スティーブン・ジョブスが彼のスマホに
唯一入れていたと言われる
パラマハンサ・ヨガナンダ氏の
「あるヨギの自叙伝」を読んで
著者のひたむきな情熱に感銘を受け、
ウチらがクリヤヨガを始めたのは8年ほど前だ。
ビートルズや海外の政治家や実業家の中にも
実践者は多いと聞く。
カナダ在住のクリヤヨガの指導者主催
パドリナート巡礼の各国からの参加者も思いのほか多かった。

パドリナートの巡礼で
(詳しくはおそるべしッツ!インド編で読んでね)
我らがお師匠サマ的存在S氏は朝4時から呼吸法やアーサナを実践してた事を
ヤツは目撃していた。
「東大卒だから完璧主義なんだよ、きっと」
「ウチらマジ、ムリ」
日本人の巡礼参加者はお坊さんやヨガの指導者、翻訳家であり出版社社長など
様々で皆相当熱心だったが、地方に住む場違いっぽいウチらは
東大卒の人とか見るのも初めてだった。

帰国後。根性のない地方組。
暑いの寒いの体調悪いのと言っては
すぐ情熱が萎んでしまう
その情けない現状に危機感を持ち
劣勢を奮い立たせるべく
私とヤツと別のヨガ仲間Yは
アーサナで集まったが寒くて
コタツでゴロゴロしながら
この体たらくに思い倦ねていた。

煎餅を頬張り、ヤツ
「寒くて続かないなら暖かいところに行けば良いじゃない」
       ( by アントワネット パクリ)
ナ〜イス!アタマいー!

こうして
「エーゴ苦手なんで〜」
って奴らと
日常会話程度の心許ない英語力の私の
冬期ヨガ自主合宿は始まり
今年で3年目になる。
今回はバリ島だ。

「イズデス ア ファーストクラス?」
「オー!ノオー!イッツエコノミークラスッツ!」
CA に絡む、ケーハクなY
人の言う事聞かない私と
アタマがお花畑のヤツ。
最悪のメンバーだ。




インドネシア  コモド島ー2

2020-02-02 13:36:00 | 旅行
インドネシア  コモド島-2

コモド島は世界でも稀なビーチを持っていた。
赤珊瑚と白珊瑚が混ざって出来たピンクサンドビーチ。
世界中のダイバーが憧れるも
そのアクセスの悪さから立ち入る事の叶わないうつし世の楽園。
その美しいピンクのビーチは島の船着場から近い場所にあって
この頃はまだ海に入る事が出来た。

この海は本当はこの世のものじゃないはず。
…つじつまのあわないことを口走りつつ
手付かずの汚れのない透明な水に足を踏み入れ、海に入っていく。
全身が徐々に清められてゆくように感じた。
…こんな透明な海…見たこと無いなあ…
昨日潜ったギリ島でも世界でここしか見られないという
珍しい青サンゴ礁に興奮したけど、人も多くて、
この海ほど特殊な感じではなかった。

バラクーダ、悠々と浮かぶナポレオンフィッシュ、カタクチイワシ群、
熱帯の色鮮やかな魚影、100万匹のロウニンアジコ、
魚の群れはやがて一面をみるみる群青の世界に染めていく。
青に覆われていく青だけの世界。
私の身体は、全く別の次元の世界に飲み込まれて
その世界を漂っている錯覚に駆られた。
それはかって無い不思議な感覚だった。
一瞬なのか、どれほどの時間なのか、
私は海の中なのか、或いは宇宙なのか、
自分なのか、今なのか、永遠なのか…。
限りも無く、区切りも無く、
果てしなく漂う魂のような…。

私はコモド島の海で群青と一体になった事がある。

「ウミヘビ見ました」
「私も見た!いたよね、ウミヘビ、危険じゃないのかな…?」
!!!危険と言えば
「ピンクサンドビーチにドラゴンいましたよね」
「何頭か見たよ、‥ドラゴンって泳げるんだよね」
………………………

海に熱い想いを寄せる‘ヤツ“に
昔チヨノと行ったピンクサンドビーチの話を何度も話した。
「うわー! そんな魚の群れ、まだ見たことない。見たい〜」
シドニーからシンガポールに向かうクルーズの途中、
寄港できるコモド島はその旅の目的だった。

やっと思いが叶うと思って上陸したら 
もうピンクサンドビーチには立入る事が出来なくなっていた。
せっかくここまで来たのに、
あの美しい魚影を見せる約束が果たせずひどく残念に思えた。

「世界中探せば見つかるよ」
私はこれからも生きていくから
きっと旅を続けて
いつか、あの日と同じ群青を見つける。

「うん、ビマは腐る程ある」

インドネシア コモド島ー1

2020-01-31 19:10:00 | 旅行


お城の図書館で、私はコモドドラゴンの写真を見ていた。
その頃高校生だったチヨノと図書館で知り合い
インドネシア写真集を見ながら行ってみたいね、と冗談で話していた。

一番最初にコモド島を訪れたのはチヨノとだった。25年も前の話だ。
当時バリシーダンサーという船がバリ島のベノアからロンボク島〜スンバワ島
リンチャ島〜フローレス島〜コモド島を4泊5日かけて巡るクルーズが出ていた。
クルーズ船は上質で見事なマホガニーの木彫りの内装で、
スタッフは皆中世のロマンチックな衣装を着ていて、小さいながら素敵な船だった。
日本人にはまだあまり馴染みのないロンボク島やスンバワ島など、
独自の文化を持つ島民の村中を訪ねて
牛車レースや踊りなど珍しい体験が盛り込まれていた。

コモドドラゴンは悠久の時を経てその姿を今に残す恐竜の元型とも言われている大蜥蜴だ。
体調は大きなものだと3mを超えてるモノもいるらしい。
牛も倒す猛毒を持ち、去年イタリア人がドラゴンから食われたと
案内のお兄さんが教えてくれた。
隣のリンチャ島、フローレス島と合わせて5000頭程生息しているそうだ。

コモド島に上陸すると、ドラゴンを目当てにジャングルをかき分け、
ドラゴンの多く生息する高台の場所に、
棒っきれ一本持ったたくましいお兄さんが案内してくれる。
ジャングルを歩くのは暑くて大変だった。
途中大きな野生の鹿が出たり、イノシシや、野生の牛の群れもいた。
冒険家気分で一時間程歩くとドラゴンが一、二頭視界に現れだす。
……以前写真で見たのは、ドラゴンの生息場所に柵のようなものが設置されてて
人間が柵の外から柵の中のドラゴンを見ていた。隔てられていたようだったが…
柵はある事はあるけど…どちらもどこからでも自由に行き来出来た。

「やあ、来たよ」
じっとして動かないドラゴンの表情は無い。
彼方悠久の時空を見ているのか。

強力な尾っぽで大きな動物を倒す事も出来る彼らは
この地の他のトカゲ等と違い強面な印象だ。
土産物屋もホテルもないこの島の
この空間の中でひっそり昔ながらにただ
佇んでいるだけだ。
忘れられたラピュタのロボットのように…

この土地では
人間はオランと言い、ドラゴンをオラと呼ぶ。
昔からの神話があった。
神様はすべての良いところを集めてオランを作り
すべての悪がオラになった。
オランとオラは兄弟で、宇宙は善と悪で成り立っている世界、
良い部分を持つオランは悪い部分を持つオラを兄弟として可愛がっているという。
この島は神話がよく似合う。

あの目を図書館で見て以来ずっと来てみたかった
彼らの見つめる彼方に何があるのか。
ここは彼らの世界。
オラが今生を、オランと隔離された彼らだけの世界でひっそり生きる事は
オランに対する唯一の愛なのかな…

「ねえ、なんでドラゴン見たかったの?」
チヨノに質問した。
「かっこいいからですよ!歩き方が可愛いし〜💓」
屈託なく明るく笑う。

2回目はバリ島ングラライからフローレス島ビマの原野に飛び、
物凄い水しぶきを浴びながら
カヌーでコモド島に向かい、同じジャングルコースを歩いて彼らに会ってきた。

最後にこの地に行ったのはオーストラリア、シドニーからシンガポールに向かうクルーズの
途中寄港した時だった。


土産物屋もホテルも出来ててすっかり観光地に様変わりしていた。
こうなったら流石の永遠のドラゴンも
土産物屋に並ぶ日も近いに違いない。
彼らはそれでも これからも 気が遠くなる程続くだろう世界を、
知らん顔して悠久の彼方を見つめ続けて生きてゆくのかしら…

「ドラゴンのお土産カワイイ。一個買お」
この島が世界遺産に登録されたっぽく、ピンクサンドビーチで
ダイビングを目論んでいたが当てが外れた‘ヤツ’は
スターのぬいぐるみを手にしていた。

3回ここに来ている自分を考えた。
3回目までに色々あった。

前の夫は優しかった。
私はどうして夫と子供にもっと優しくしてあげられなかったのだろう…
どうして、もっとみんなを幸せにしてあげられなかったんだろう…
私が良い妻であれば
私が愛情をいっぱい注いで
もっと家族を思いやってあげられていたら…

周りはみんなよくやってる。
私だけがおかしかった…
私だけがいつもみんなの中でオラだった…
そんな事を思う。

最近ドラゴンはTV などでも時折スポットを浴び、ちょっとスターになってる。
島周辺も開発され大手観光業者が入り
凄まじく様変わりしているようだ。
コモド島は世界遺産になり
2020年から、もう立ち入る事は出来なくなった。
世界はすごい勢いで変わっていってる。
今は行けなくなったとこや なくなったところも多いが
時空を超えて想いの中で蘇る時がある。
あの時行っててよかった、と思う。

過去に戻る事は出来ないけど
あの頃はたせなかった想いは
少しづつ果たしていけば良いんだ。









ホノルル発ハワイ島周遊クルーズ

2020-01-31 15:35:00 | 旅行







ホノルル発、出航日直乗船ハワイ周遊クルーズ

 高層コンドの一室から見るホノルルは大都会だと知る。
地方暮らしのウチらとって、周りをネオンで囲まれた環境は居心地良いモノではなかった。
オアフ島にはもう2週間滞在していた。
最初の頃は、バスを乗り継いでハナウマ湾やパラダイス湾でシュノーケルしたり、
気に入りのカイルアのインテリア店でカーテンやクッションなんか買い物したり、
それなりに楽しんでいたが…
基本都会は旅行先に選ばない。    
なんって言うか…    深呼吸出来ない、みたいな。
言ってしまえば身もふたもないが、買い物はもとから好きじゃ無いし、
ハワイのグルメにも興味が湧かない。
物価高いし(今や日本以外はどこも物価高いけど…、)
気づけばいつもの引きこもり生活。
健康のため少し散歩して、ゴロゴロ 
YouTube見て、ゴロゴロ  ご飯食べてゴロゴロ…。
ウチらはまだクリヤヨガ以前。
身も心もどんより沈んでいくような日々だった。


………やっぱハワイ島に飛ぶしかないかな、
ハワイ島なら、田舎だし
知り合いの民宿なら、いつもアボカドやマンゴーとか季節の果物が畑や道に落ちてて
リュック一杯もらえたり、無農薬のフルーツジュースを作ってもらえる。
部屋が空いてるかネットを開いてみると
日本で見ていたハワイ四島周遊クルーズからメール。
なんとバーゲン価格発見❗️

年寄りよろしくヒマで辟易していた、ヤツ。
ノルウェージャンの上質なクルーズを見せる。
ホノルル出航し、ハワイ島ヒロ、カウアイ島、マウイ島、
ハワイ島のコナを1週間かけて巡る。
朝起きたら部屋から見たこともないエキゾチックな島影が見えるって 
 …「良いよね〜、」
しかも食事も部屋も移動もついてるなんて…!
メンドクない!
これよッツ!これこれ!
大盛り上がりで申し込むもネットの申込み期限は過ぎてた。
出航は明日、もとい、もう今日だ!

旅行先でストレス死しそうな暮らしに陥っていたウチら。
また、元のヒマで身も心もどんより沈んでいく日々に戻るのか…

気を取り直して、
多分無理だと思うけど、明日出航地に行って直で談判して運が良ければ乗ろう!
ダメだった場合はその足で空港に行ってハワイ島に渡ろう。
ハワイ島ではホテルも取ってないから、着いてから探すのはかなりヤバイが
今のままより良いだろう、  
とにかく、こんな人生抜け出さなきゃ、
そのためには挑戦が必要なのよ、って
意味、かなり違う気はするが
まあ、そんな感じで
大慌てで真夜中洗濯物取り込んで、荷物を詰め込んでベッドにつく。
敗北の予感はワクワクを覆い込んでた。

翌日タクシーでホノルルタワーに着くと、すでに早朝入港していた憧れの
「プライドオブハワイ」が圧倒的な存在で港に佇んでいた。
しばらくホワ〜とその美しい白い船姿に見惚れていた。
客でもないのにスーツケースを持った不審者のウチらに
スタッフはけげん顔。

「あの〜、急ですまんが今日乗せてくれんかのう?」
「OK〜」

おお、ヤツのようなノリの良さ(^。^)
ってか、ええ〜〜!
マジ、こんなんで良いの?あんたら?
しかも、内側の部屋だけどバーゲン価格の65000円。
天国キターッツ!!!


もう働かない…その3   モーレア島編

2020-01-15 20:40:00 | 旅行



パペーテからモーレア島に今度は高速艇でトンボ帰り、近いからすぐ着いた。
高速艇の到着に合わせ、フェリー発着場敷地内のひっそりしたバス停から、
島を右回りと左回りのバスが出ている。 
都会のバスのように時刻表で動くって感じじゃないけど、
一コ共通してるのは地元の人だけが知っている大雑把なスケジュールのようなものはあるようだ。
都合よく出発する様子の右回りのバスに乗って、
島の真裏のヌウルアとハアビティの中間にあるホテルに向かう。
タヒチのダイナミックな大自然の中に、フランス人が経営するキッチン付きのホテルがあって、
口コミでキッチン付きで何やらウチら好み。その土地で暮らすように過ごせるらしい。ネコもいた。
夫婦で建てたというホテルに着くと、フランス語でホテルの説明や、
ホテル所有の手作り風の海辺の桟橋がどうとか、カヌー使っていいよ、
的な説明を受けたけど、殆ど分からないからスルーしてた。

ホテルは穏やかな内海に面していて、夕日の頃は内海全部が鏡のように夕陽を映し出し、
その光景は刻々と色を変え遮るものがない。
茜、鮮やかなオレンジ、桃色がかった地平線が赤みを帯びた紫から青、漆黒…全面の黄昏に染まりながら、息を飲んでずーっと日が暮れるまでうっとり桟橋で座っていた。
夜中は点描の星々が、鏡の入江に降るように映る。
ウチらはここが正解だったって、この風景を見た時わかっていた。
こんなとこに来る日本人は殆どいないだろうが、モーレア島に来るなら、
西洋の系列のホテルやレストランの並んでいる賑やかなクック湾あたりの地域も良いが、
島の真裏側の、この島らしい貴重で美しい大自然の中での滞在をお勧めする。
この鏡の海にはカヌーで何度か繰り出し、朝に夕に感動に浸った。

海水が透明なので湖のように見えるが、桟橋の魚影は濃く、2人で桟橋に来て、
まず私はスノーケルを持って桟橋のパイプの階段を降りて海に入った。
遠くまで明るい浅瀬のコーラルブルーは、沖の中央辺りから色は深くなっていた。
少ししたらカヌーで沖まで行って、碧の世界を確かめてみようと思ってた。
本当に沖の群青はウチらが探していたものだったのか………
2人ともお互い、多分それは暗黙の了解だっただろう。…。

水中眼鏡をつけて海中に入って、 グルリと体を一周した時、目の前に大きな鮫がいた。
鮫の無機質な目は直径5、60cm 程の大きな顔の両面から私を見ていた。
さっき水に入ってすぐの時はいなかったのに私が一周回る瞬間にもう、ここにいた。
ヤツや桟橋に居合わせた客は、桟橋の上からその危うい状況に気づき、
鮫の大きさに驚いてなす術もなく固まっていたらしい。

あんなに近くにいたのに、鮫はすぐにまたスッと消えた。
それから慌てて階段を登ると、知らない外人が大騒ぎして手を引いてくれた。
もしかしてチェックインの時、フランス語で鮫がどうとか言ってたのはこの事だったのか?
人を襲う鮫だったらしい。桟橋の上から見ると3M以上あったと言っていた。
私はすごく近くで顔を見たのではっきり覚えていて、鮫は私を襲う気はない感じがした。
「びっくりした〜!大惨事かって、みんな大騒ぎしてたんだよ〜」
最近も魚釣りに行ってた人戻らなくて、地元の人々はサメに喰われたって噂してるらしい。
その夜は私の生還に大盛り上がりだった。

でも、あれじゃ、沖へなんて行けないってわかったから、残念な気持ちだった。
また別の所を探さないと…。

ホテル近辺で地元の人達から完熟マンゴーを分けてもらったり、星を見たり、
猫と遊んだりして地元民たらんと過ごし、次はクック湾辺りの水上コテージのホテルに移動する。

鍵を置くだけのチェックアウトだったから、タクシーを探して幹線道路に出た。
地元の白タクみたいなお兄さんが声をかけてくる。
それほどの距離でもないのに皆「60PF」と同じ価格を提示する。

こういうとこって、10分走っても1時間でも同じ金額だ。
ある時白人が、もう少し安くすればもっと稼げるからなんで安くしないか尋ねていた。

「安く働いたら負けだ、俺たちは安く働くくらいなら働かない。皆そうだ。」
そう言えば、スーパーのレジもレジ打ちしかしないし、
何人行列が並んでようと椅子に座ってマイペースで
「次」と客に指招き。日本のコンビニの店員さんは、
レジだけでもこの30倍くらいの速度でレジ打ちこなすし、ほかに商品の管理や、
掃除や、おでんまで作ってるのに、先進国最低水準のテイチンギン。
メイドはメイドの仕事しかしないし、料理はコックが作り、運転はドライバーを雇わないといけない。
これは日本以外の常識だ。

安く働いたら負け、で良いじゃない!
って、自家用車のお兄さんの車に乗り込んだが、
「60PF」と。
「あの〜、もう少し負けてくれんかのう…」(;_;)