私が幼いころの母は、とても良い香りがしていました。
アデリーヌというフレグランスでした。
お風呂上りには同系のボディパウダーをパタパタ。
化粧品の販売をしていたので、濃くはないですが、いつも化粧をきちんとして
マニキュア(ピンクベージュのような)を若干太いけど七難隠すラッキーな
白い肌で親指は反ってるタイプ(自分で「これは器用な人の指なんよー」と自画自賛)
そんな指にとても似合っていました。
顔のマッサージも毎晩して、時に出くわすパック姿には心臓が口から飛び出しそうになり、
なんだか、オゾン(イオン?)美顔器?のようなものを顔に当ている姿にも
感電とかするのではないかと幼い私は心配しました。
母が40代のころでしょうか。
昭和5年生まれの母は、おしゃれがしたい年頃には、
物がない時代だったと思います。
先日書いた記事「某化粧品会社」で、ふたまわりぐらいの上の先輩の美容部員(・・・古いってば)が
「女性はいくつからでも綺麗になれるのよ」といつも言っておられました。
「お手入れは何歳から始めても価値があるのよ」と。
当時、私がマッサージなどを施すお客様は年齢は割と高めの方が多くて
「まー、マッサージなんか何十年かぶりにしてもらったわー」のような方がほとんどで
コールドクリームがすぐに吸収されて(いや、ホントに肌が油を吸収するのかな?)
マッサージの後にメイクを施すと、とても喜ばれましたし、やはり変わるのです。
皺やシミ、タルミなど年齢を経て出てきたものを消し去ることはできませんが、
表情と言いますか。笑顔が素敵なのです。例えば嫌なほうれい線も浮かない顔をしていたら
憎いヤツですが、笑顔の時には目立たない。表情は重要だと思うんですよ。
いつもニコニコはできないですが、なるべく笑ってると顔の筋トレにもなるやもしれません。
と、自分に言ってみる。(笑)
暫くフレグランスと無縁だった母があるとき親戚から
ミツコのソープの詰め合わせをいただきました。
母はその香りが気に入りました。晩年はミツコを纏い杖をつきつつ
デパートに買いものに出かけていました。
ミツコがふんわり香る、とてもよく似合っていました。
いまでも、滅多にないですが、偶然ミツコに出会うと凛とした母を思い出します。
アデリーヌというフレグランスでした。
お風呂上りには同系のボディパウダーをパタパタ。
化粧品の販売をしていたので、濃くはないですが、いつも化粧をきちんとして
マニキュア(ピンクベージュのような)を若干太いけど七難隠すラッキーな
白い肌で親指は反ってるタイプ(自分で「これは器用な人の指なんよー」と自画自賛)
そんな指にとても似合っていました。
顔のマッサージも毎晩して、時に出くわすパック姿には心臓が口から飛び出しそうになり、
なんだか、オゾン(イオン?)美顔器?のようなものを顔に当ている姿にも
感電とかするのではないかと幼い私は心配しました。
母が40代のころでしょうか。
昭和5年生まれの母は、おしゃれがしたい年頃には、
物がない時代だったと思います。
先日書いた記事「某化粧品会社」で、ふたまわりぐらいの上の先輩の美容部員(・・・古いってば)が
「女性はいくつからでも綺麗になれるのよ」といつも言っておられました。
「お手入れは何歳から始めても価値があるのよ」と。
当時、私がマッサージなどを施すお客様は年齢は割と高めの方が多くて
「まー、マッサージなんか何十年かぶりにしてもらったわー」のような方がほとんどで
コールドクリームがすぐに吸収されて(いや、ホントに肌が油を吸収するのかな?)
マッサージの後にメイクを施すと、とても喜ばれましたし、やはり変わるのです。
皺やシミ、タルミなど年齢を経て出てきたものを消し去ることはできませんが、
表情と言いますか。笑顔が素敵なのです。例えば嫌なほうれい線も浮かない顔をしていたら
憎いヤツですが、笑顔の時には目立たない。表情は重要だと思うんですよ。
いつもニコニコはできないですが、なるべく笑ってると顔の筋トレにもなるやもしれません。
と、自分に言ってみる。(笑)
暫くフレグランスと無縁だった母があるとき親戚から
ミツコのソープの詰め合わせをいただきました。
母はその香りが気に入りました。晩年はミツコを纏い杖をつきつつ
デパートに買いものに出かけていました。
ミツコがふんわり香る、とてもよく似合っていました。
いまでも、滅多にないですが、偶然ミツコに出会うと凛とした母を思い出します。
母はオードトワレを愛用、銘柄はなんだったのかな?
オシャレな義母を見て育ったので、私がネイルをしたり、化粧品を買うことに反対はしません。
私は甘い香りが好きで、ディオールのDUNEのオードトワレを振りまいてます
娘の好みはグリーンノート系、芳香剤のような香りですが、口が裂けても言えない
早くマスク無しになって、もっとお化粧を楽しみたいです
母も某高級化粧品を長年、使っていました。
セールスレディさんには、お世話になりました。先に亡くなった父は、母が身綺麗にしているのは嬉しいみたいでした。だから、父が亡くなってからも毎晩、マッサージを欠かしませんでした。最期のお顔も従姉妹曰く、「だてに高い化粧品、使ってなかったな」
ただ、我が家に来てからは、オールインワンを使わせてましたから、可哀想だったかなぁ、とも。シワもシミも年齢から見たら、ほぼありませんでしたね。
そのお陰か、どんどん濃くなる一方だった頬のシミが、何故か薄くなって見えます。
私の気のせいなのか…でも進行が止まったのだけは確かです
前はファンデだけでは隠れずコンシーラーを使っていたのに、今はファンデだけでもまぁ何とかって感じです。
5年後10年後を見据えて日焼け止めだけは欠かさないようにしてます。
あ、あと、1ヶ月くらい前から基礎化粧品の最後にパウダーを叩くようになりました。
洗顔後のすっぴんでも肌が明るく見えるとか、つけたまま寝ても大丈夫とかいう言葉に惹かれて買ったんですが「アタリ」でした。
ファンデを塗らなくても何となく安心感がありますw
ほうれい線、気になりますねー
笑顔が上手じゃないので頑張ります…
マニキュアは趣味で着物を着るようになってから塗らなくなりました。
薄いベージュとかなら塗ってもいいんでしょうけど…着物姿に気合いの入ったネイルはちょっと違うかな、と思ってるので。
まぁどっちみちマニキュアの映えない爪なんで塗る気も失せるってもんです。
ってコメント長すぎますね😅
納得!!
昭和5年生まれというと、主人の末姉と同い年。
多感な年ごろは、戦時中。
苦労なさいましたね。
でも、都さんのような孝行娘に看取られ、お幸せでした。
母の香り。 大事な思い出ですね♪
はじめまして。いつも優しい空気の日記を楽しみにしています。
お母さま素敵なエピソードですね
ゲランはいまだに高嶺の花です
「お手入れは何歳から始めても価値があるのよ」
私は最近いい加減にスキンケアしてたかもしれません。。
なるべく笑ってると顔の筋トレにもなるやもしれません。と共に響きました😊
なるほど、母親のメイクやネイルが身近になると違和感なく受け入れることができますね。
今はそんことあまりないでしょうけど、「化粧をしてほしくない」という男性もいましたから。
うちの夫がそうです。メイクをするときりっとした感じなるのでスッピンの方が良いと言っていました。
ディオールのDUNEがマダムさんの香りなのですね。
ふふ、親子で好みが違うのは仕方ないですねー。
あと、もう少しですかね!もう少し頑張りましょう。
今調べたら昭和5年は庚午 (かのえうま)ってでてるーーーー!?
丙午さんに関しては、
https://kaiun-net.com/hinoeuma/
なんと、びっくりです。
某高級化粧品は、やはり効果があるのですかねぇー
うちの母も90歳という年齢でシミとか皺がなかったんですよ。
となると、もう一度使ってみるか。でも、本当に高いですからね・・・
逆に私たちの母の年代の女性の方がこまめだったのかもしれませんねー。
色んな美容に関する情報が洪水じゃなかった時代だから
きちんと、マッサージをして血行を良くしていたのでしょうね。
シミだけでなく、紫外線は乾燥もするからシワの原因になる。
今日の頑張りが明日の自分を輝かせるのですぅー(笑)
でも、シミが濃くならなくなったのは体の中の調子も良いのかもですよ。
だけど、紫外線って目から入ってそれを体のシミに反映させるらしい。
えーっ!サングラスキライ!って思ってたら、今は普通のメガネのレンズは
紫外線防止になってるよね。
意外と、雪に反射して紫外線量半端ないから、雪国は冬でも気が抜けないねー
大丈夫、楽しい友達と楽しい話してるときは、おもいっきり笑顔になってるはずだから♪
マニキュア、私も何年もしてないなー。塗ると爪が息苦しい感じ(笑)
楽しいコメントだもの。どうぞ♡
でも、戦争が無かったら、もっと、あの時代の女性たちは
色々なおしゃれを楽しむことができたでしょうね。
有難うございます。
でも、元気な時にもっと大事にしてあげれば、もっと話を聞いておけば
良かったと後悔ばかりです。
ダイアリーノートでは、お話をすることが出来ずじまいでした。
どうですか?こちらには慣れましたか?
私はやっぱりヒミツ日記が恋しいです(笑)
ゲラン。シプレーが何とも言えず存在感があります。
好みが分かれるところだとは思いますが、一度出会うと忘れない
数少ない、大人の女性が纏う唯一無二の香りのような気がします。
「お手入れは何歳から始めても価値があるのよ」
ホントよ、ホントなの。です♪私も頑張ります
笑顔はお子さんの前だと自然にでますよー。はい♪
いつも、頑張っていらっしゃいますね(*^^*)