まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

振り返れば、まんざらでもない日々をめざす雑記帳。

有難うを伝えたくて

2024-09-22 08:54:34 | 母のこと

1か月くらい前にインスタを見ているとおばあちゃまと猫さんの

微笑ましいリールが流れてきました。

コメントしようかと他の方の書かれていらっしゃるのを見ていて

目に留まったのが、

私はどうしてもこの方に自分の気持ちを伝えたくて・・・

とコメントをしました。

驚いたのは「いいね」の反応です。

そして、今も増え続けています。あったかいと思いました。

違う方から、「そう言ってもらえて救われました」とコメント頂いたり。

介護施設や病院では夜間、最小限の人員で働いていることを

知っています。体を壊す人も多いですがメンタルを病みます。

夜勤のある介護職を辞めてディサービスに勤めた知人は

とても仕事が楽しい利用者さんに優しくできる

と言っていました。激務に自分を忘れていたと・・・

体も心も大変な介護の仕事、心から感謝しています。

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母子手帳

2024-04-13 23:21:39 | 母のこと

実家にある私の母子手帳。60年前のものだから
とても古めかしい。

 

 

とてもスムーズなお産。

 

 

平均的な身長と体重。
黄疸はとても軽く母乳の出も良い。

 

 

ワクチンの接種証明などは貼ってあるが、とてもこまめな人なのに母自身の手による記述が一切ない。

二歳違いの兄と私。二人の子供を酔っ払いの夫から守って
必死で育てていた証なのだと思った。

母の生い立ちは幸せに満ちたものではなかった。
母にとっての家族と言えるのは、
生涯、兄と私だけだったのだろう。

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咲いた。

2024-04-01 23:55:34 | 母のこと
昨年の秋に蒔いた種、矢車菊が咲きました。



一番花を母に「どうぞ」しました。
きれいな紫が微笑んだ母によく似合います。
写真のバックが淡いピンクだったせいもありますねー

花が好きだった母。
暖かくなって花壇も花盛り
目標であるいつも母に私が育てた花をお供えする。
が秋ごろまでは達成できそうです。

川土手の桜が咲き始めました。
桜を見ると母を思い出します。

入院中に近所の公園に外出して見上げた桜。
家の近所、広島城のお堀の桜。
老健入所中に毎年行った平和公園の桜。

毎日、常に必死で100%の私。
「もっと頑張れたような、いや、限界だったかな」
のような状況だったように思います。

でも、9年間はあっという間でした。

大事な時間、大切な母なのに
不安からきつい酷い言葉を発したことも
多々あって・・・
それらの言葉に母は、傷ついただろうなと
思うと今でも申し訳ない気持ちで一杯になります。
でも・・・
若い頃、親子喧嘩の次の日に
「ご飯、食べんさい」と言って何事もなかったように
接してくれた母。
「この子もいっぱいいっぱいなんじゃね」と
聞き流してくれていることを願う。
お花は懺悔の意味もあるのかもしれない。





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一緒に泣いてくれる人

2024-03-25 22:00:06 | 母のこと
目が腫れぼったいが早起きする。

実は、昨夜「うるさい!」といいながら服を振り回したので
折角良くなってきている五十肩を酷く痛めた。
さらに、興奮したことで血圧が上がって頭の血管でも切れて
今夜あたり死ぬかも?と思っていたからあまり眠れなかった。
心房細動も気になった。怒るのも命懸けだわよ
夫の部屋からは大きなイビキが・・・幸せな人だ。

今日は、先日もらい過ぎた衣類をシルバー人材センターの
シルバーリサイクルに持って行くことにする。
母の下着が数枚。包装された新品でも下着類は受け付けてくれないだろうな
と思いつつも取り敢えず持って出た。
駄目なら持って帰ればいい。

1階のベンチのある自転車置き場で、歳の頃は70代半ば?の女性が食事をしていた。
数日前にもお昼頃に見かけた。
私が想像するにその女性はヘルパーさんだと思った。
利用者さん宅にきて次の方のところへ行く隙間時間におむすびを食べていらしたと。
そうだ、声を掛けてみよう。

「あの、間違っていたらごめんなさい・・・
介護関係のお仕事をされていますか?」

「あら、わかる?ん?どうしたんですか?私に御用ですか?」

「すみません、不躾なんですけど・・・お時間少しいいですか?」

「いいですよ」

「実は、以前、母の介護をしていて4年前に亡くなったのですが、
これなんですけど・・・新品の母の下着です。これを居宅事務所の
利用者さんに使って頂けないでしょうか」

「まぁ!いいんですか?有難いです!」

「はい、捨てることはしたくないし・・・でも傍にあるとちょっと
思い出があって辛いんですよね・・・リハパンから下着に戻せるよ。
って張り切ってー、でも叶わなくて・・・9年間は大事な時間でした。」

と話しながら不覚にも涙が溢れてしまった。

すると、その女性は私の背中を撫でながら

「娘さん、9年間もよく看てあげちゃったね、よく頑張っちゃったね」
と涙をポロポロと流されている。

あぁ・・・胸が暖かくなる・・・
初対面の私の話に一緒に涙を・・・

きっと優しい心根の方だと思った。
雰囲気というのだろうか?にじみ出るものがあった。
私の気持ちとお母ちゃんのおパンツが救われたー

このことで、昨日からの一件が少しだけ
楽になった。ので、スパニッシュオムレツを焼いた。
ゆっくり焼いた。











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過去記事

2024-02-17 18:00:57 | 母のこと
「アクセスされたページ」のところに過去記事が上がっていた。
どなたか見てくださったのね。

タイトルは、「さみしくて さみしくて」
内容をもう憶えていないので、クリックしてみる
2013-03-08  今から11年前だ。


さみしくて、さみしくて - まい・だいありー・ばい・えむ ~都わすれ~

昨日のこと、母から電話時刻は4時20分・・・「もしもし」と最初に言っただけの母はその後、何を聞いても無言。「どうしたん?」「おにぃちゃんは?」と何度聞いても無言...

goo blog

 


その時の気持ち、景色が昨日の事のように蘇る。
手探り状態の母の介護。夫の無理解。愛犬の介護。

夫は今、認知症のお義母さんの介護に多少関わっているので
少しは認知症や介護保険の仕組みが分かるようになったけれど
あの頃は「家族は何もしなくて良い、国が全部面倒を見てくれる」
と本気で思っていたので、母の面倒を看る私を毎日叱っていた。
なんとか理解してもらおうと包括支援センターの所長とケアマネに
わざわざ来てもらい説明をしてもらったけれど
聞く耳を持たず、理解しようとしなかった。
私はどこにも気が休まるところがなかったな・・・

でも、母の介護は全く嫌じゃなかった。
大変なことはたくさんあったけれど、もう一度するかときかれたら、
もう一度する。と答えるだろう。



矢車菊の蕾がついた♪



こんな花が咲く。はず。



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タオルの畳み方

2023-11-06 22:50:14 | 母のこと
洗濯ものの畳み方、これは各々の家庭で違うと思われる。
大概が、親が畳んでいるのを真似ると。
私も母親がしていたように畳む。

でも、Tシャツなどはいつしかお店畳み?になったけれど。
幼い頃、最初に教えられたのがタオルの畳み方。

タグを内側に。
これは干すときにも同じで、隅をそろえてタグは内側に。

母が、認知症を発症していない頃に実家に手伝いに行き
洗濯ものを干していると「タオルがずれている」と指摘されたものだ。





兄もそう教えられたので同じように丁寧に畳む。守っている(笑)

母が老健でお世話になっていた時に
率先しておしぼりを畳んでいた。好きだったようだ。

スタッフさんに
「千代子さんは、几帳面におしぼりを畳んでくださるから
有難いです。」とよく言われた。

家で使うものだし、誰に見せるわけでもなく、どちらでもいいようなもので、
それでもルールのように何十年と続けている私たち。

洗濯ものを干すとき、畳むとき、母を思い出す。








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あんなこともあったな・・・

2023-08-26 17:10:37 | 母のこと
昨日ブログのコメント返しを書いていたら
思い出したことがあった。

母が老健施設にお世話になっていた頃のこと。
老健は病院が併設されていることが多い。
なので、急な体調不良にも安心だ。が・・・

ある日、母が高熱を出したので、併設の病院に受診することになった。
呼び出しがかかり説明を受けるが原因が分からないという。
こんな時は、不安に押しつぶされそうになる。

インフルエンザは陰性。炎症反応はあるけれど、
腎盂炎や胆管炎などではないようだと。
ベッドで横になっている母の着替えをしようと
私がズボンを脱がした時に
右足の脛が赤くなっているのを見つけた。
腫れていて触ると熱をもっていた。
看護師さんに言った。

「あの・・・母は蜂窩織炎では?どうですかね?」

蜂窩織炎だった。
早急に抗生物質の投与が始まった。


高齢者にはよくあることだ。
原因のひとつは水虫。
母は、施設に入るまでは水虫などなったことがなかった。
お風呂のマットで感染する。

白癬菌に触れても24時間以内に洗い流せば
感染の危険性はずいぶん低くなるのだけど・・・
毎日、お風呂には入れない。週3日だ。
その水虫からの蜂窩織炎。
蜂窩織炎は敗血症になってしまうこともある恐ろしい病気だ。
事実、熱が思うように下がらなかったので、
医師からその可能性があると告げられた。

右足の患部を冷やすのにアイスノンを看護学生が
持ってくるのだけど、全く異常のない左足に
アイスノンを乗せていく・・・
ガーゼで患部をくるんであるので一目瞭然なのに・・・
もう呆れすぎて・・・


そんな看護学生の将来を思うと、怖い・・・怖すぎる・・・

え?そんなばかな?のようなことが結構ある。
看護学生でなくとも、正看護師だって・・・ミスは多くあります。

同じ病院で命に係わるような最悪なことが起きましたから・・・

続く。








今日は近所で夏祭り。
花火があがるとかあがらないとか。
14階まであがってみよう。よく見えるはず。
一緒に見たかったな。










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母の命日

2023-08-12 20:45:01 | 母のこと
ああ、ちょっと苦しい・・・
この時間頃に病院から電話がかかってきたな・・・

まだ3年?もう3年?
会いたいなぁ・・・

母のお参りに行ってきた。
やっぱり泣きそうになる。


兄が休みなしで働いていて体を壊すのではないかと心配・・・
私の体の事・・・

守ってね、助けてね。

感謝しなくちゃいけないのにお願いばかり。

ごめん、ごめん心配ばかりかけて・・・
でも、いつまでもお母ちゃんだよね?
いつまでも娘だよね?
甘えてもいいよね?



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名前を取り戻したときの話

2023-07-03 23:46:14 | 母のこと
女の人は、結婚をすると〇〇さんの奥さんと呼ばれ
子供が生まれれば〇〇ちゃんのお母さんと呼ばれる。

生活の中で名前を呼ばれることは殆どない。

母が一番穏やかに過ごし、お世話になった老健では
「千代子さん」と呼ばれていた。
入所者さん全員が下の名前で呼ばれるわけではないので
可愛ってもらえている?証だったのだろうか?
母は、名前を取り戻した。

そして、私も娘さんと呼ばれることはなく
下の名前で呼ばれていた。

母や私のことを名前で呼ばれることが
嬉しくて、職員さんにとても親近感がわいた。


私もおどけて母のことを「ちよちゃん」と呼んでいた。
母はそれも嬉しかったようだ。


母の名が「千代子」となぜついたのか聞いておけば良かったな。
ふと、そんなことを思った。

今日は大きな大きなお月様だった。
明日も梅雨の中休みらしい。






栄子さんに「ローゼル」の苗を1つもらった。
秋には赤い実がなりジャムやお茶になるらしい。
葉も食べられるそうな。
「栄子さん」とは花壇左隣の方のこと(笑)
右隣は「むらっち」と呼ぼう。



ローゼルの栽培方法と食べ方|自家製ハイビスカスティーも作れる! | AGRI PICK

大きな花と真っ赤な果実が美しい熱帯植物の「ローゼル」。実はハイビスカスティーの原料なんです!鑑賞するだけでなく、食用部分の収穫をめざして、自家製ジャムや無農薬ハ...

農業・ガーデニング・園芸・家庭菜園マガジン[AGRI PICK]







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世の中は温かい

2023-04-12 22:31:14 | 母のこと


この1枚のメモ紙に私は心が救われた。

あれは2012年12月
夏に母の大手術を終え、通いで自宅介護をしていた時の事。
母の体力は少しづつ回復をしてきたけれど、
うつ病と認知症が急速に進んでいる時期だった。

当時、私は更年期のど真ん中、体調が酷く悪い日があり
精神的にもかなり疲れていた。
初めての介護、何もかもが手探り状態の日々。
兄は仕事があるので、実質私ひとりしかいない。
ちょっと誰かに変わってもらう事が頼る事ができない。
夫もこの頃、うつ病で休職中だった。
私は死ねない!なにがあっても死ねない!と毎日
気が張っていた。この2年前には私は脳の疾患で入院をしていた。
ケアマネさんは新人さんで(後に大きく成長を遂げる)
何かあるたび二人であたふたする始末で。

あの日はとても寒い日で、体調が悪く体の芯まで寒い・・・
私は通りまで出て贅沢だがタクシーを拾った。

50代後半?と思われる女性のドライバーさん
行き先を告げて暫くするとドライバーさんの方から
「今日はとても寒いですねー」と話しかけられた。
気のないような感じで窓の外を見ながら「そうですねー」と私は答えた。
「女性は冷えには気を付けないといけませんよ」と言われた瞬間に
「えっ・・・」と思い、急に涙が溢れた。
「すみません・・今、母親の介護をしているんですけど
初めてのことで、私も体調が良くなくて・・・しんどくて・・・」

わずか20分の間に私は、堰を切ったように泣きながら自分の思いを話した。
自分の知ってる母親じゃなくなってしまったことが悲しい。辛い。
どんなに頑張っても工夫してもご飯を食べてくれない、食べないと死んでしまう
死んでほしくない。何をどうしたらいいのか分からない。
しんどいからイライラしてしまって、母に酷いことを言ってしまう。
私の中に鬼がいて、そのことが嫌で仕方ない。

周りに介護経験者の友達も知り合いもいない。
愚痴をこぼしたとして分かってもらえないからずっと誰にも言えなかった。

実家近くに着いた。
女性ドライバーさんは介護の経験者だった。
自身もとてもしんどい思いをしたと。
1枚の紙に名前と携帯の電話番号を書き、
「いつでも辛いときには電話をしてきてね。私にできることがあるかもしれない
怪しい者じゃないから。見て、これが私の勤めているタクシー会社。
この紙は、お守り代わりに持っていてね。
とにかく、体に気を付けて。あなたが倒れたらお母さんはとても困るから」
と言ってくれた。

結局、電話をすることは無かったけれど
私の辛い状況をわかってくれる人がいてくれるんだ。
ということが心の支えになり、頑張ることができた。



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