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東京駅 丸の内駅舎-2

2023-05-06 21:07:00 | gallery:レンガ建築

丸の内駅舎は戦後に仮復旧した姿になってから60年以上の歳月が流れており、国指定の重要文化財であることから残存部は可能な限り保存し、失われていた3階部と南北ドーム部を復原するというスタイルが採られています。

以上より復元ではなく、修復に近いニュアンスの復原という言葉が用いられています。

 

私が3階建てになった駅舎を初めて見たのは保存・復原工事が完成した2012年の夏でした。

この頃には駅舎の工事はほぼ完成しており、駅前の造成工事がメインに行われていました。

 

北口から南口へ向かって観察してきます。

以降の写真は2020年から2023年にかけて撮影したものです。

 

復原された北口ドーム部は八角形ながら丸みを帯びた屋根が特徴的です。

装飾を除く高さは約35mにも及びます。南北ドームの屋根は1990年に葺き替えられていた登米産の天然スレートを再利用しています。中央部を除くその他の屋根部はスペイン産です。

 

北ドームの後ろ側は中央線の1・2番ホームから眺めることが出来ます。

高架なので正面側より間近で観察することができます。

 

時計は算用数字から当時のローマ数字のものに復しています。直径1.4mでSEIKO製。

リボンの装飾やパラペットの徳利(手摺)は、ヘラ絞りや叩き出し、はぜ掛けなどの銅板加工により復原されたものです。これら銅板で作られた装飾や屋根は表面処理を敢えて行わず、素地仕上げとしているため経年による色変化が楽しめます。

完成から10年で茶褐色に変化していますので、これから黒褐色、緑青色へと変化していくことでしょう。ちなみに緑青は内部腐食防止の効果があります。

 

保存部と復原部の境界を観察。右上の窓2区画分のレンガの色が少し濃いことが分かります。

ここが復原された部分で、鉄筋コンクリート造りに化粧レンガが貼られています。

 

花崗岩のピラスター(装飾用の付柱)の上部には柱頭飾がつけてあります。

これは戦後仮復旧時に2階に移設されていたものを再移設した創建時のものです。

仮復旧と言えど当時の関係者の心意気を感じられる部分です。

 

北側切妻部の1階出口は創建時は荷物取扱所に続く車道となっていましたが、戦後は長らく使用されていないようでシャッターが閉まりっぱなしです。右脇の出口はホテルの勝手口だったと思います。

 

中央部の皇室専用貴賓出入口の左側にひっそりとある丸の内中央口

改札機が数台あるだけで東京駅の中心にあるとは思えないほどこじんまりしています。

 

駅舎の中心部にやってきました。

手前の石碑は外堀工事の際に八重洲橋の基礎から発見されたものです。

ちなみに戦前は松ではなくもみの木のような常緑樹が植えられていたようです。

 

新任大使の馬車行列はこのスロープを駆け抜けていきます。コロナ禍で2020年以降は馬車の利用が中止されていましたが、今年3月に行われたフィジーとパキスタンの新任の駐日大使の信任状捧呈式の移動で復活しました。馬車行列は一度は見てみたいものです。

 

丸の内中央口の反対側にある出入口は駅長室です。

仮復旧時代は荘厳な屋根が架けてありましたが、現在はシンプルな屋根に変更されています。

 

中央部屋根アーチの装飾は横綱が土俵入りする際に両手を挙げた姿を模しているそうです。

辰野金吾は相撲好きだったんですね。時計が嵌められていた部分は装飾窓に戻されています。

また両脇の柱に付くレリーフは創建当時の物なので緑青色に変化しています。

中央部の屋根には石巻産の天然スレート(雄勝石)が使用されました。

このスレートは納品前に東日本大震災の津波で流されてしまい、回収・洗浄して状態の良いものを使用したという経緯があり、正に復興の象徴の屋根とも言えます。

 

屋根裏はガラス張りになっています。ここは屋根裏の有効活用ということで新たに取り入れられた外観のひとつで、内部は東京ステーションホテルのゲストラウンジ「アトリウム」になっています。

 

東京ステーションホテルの入り口は南側の切妻塔にありますが、実は保存・復原工事前は芝生の前にある四角い窓が入り口でした。今の姿からは想像できませんよね

 

下の写真は1933年に鉄道省直営となった東京鉄道ホテル時代の絵葉書ですが、現在の入り口である塔の下には車が停めてあります。ホテル入り口の左には何やらコンクリ製の小屋も建っています。

東京駅の100年 P50 ネコ・パブリッシング発行より引用

 

ここまで紹介してきた入り口の位置関係が分かる俯瞰写真を新丸ビル7Fテラスより。

北口ドームが写っていませんが、南口ドームのちょうど反対側に位置しています。

 

南口側にやってきました。手前にはタクシープールとホテルの地下駐車場入り口があります。

戦前は南口ドームが入場専用口、北口が出降車専用口、中央口が電車ホーム専用降車口と棲み分けられていました。ドームの造形は北口と同様です。

 

南ドーム部はKITTE丸の内6Fの屋上庭園から至近距離で眺めることが出来ます。

駅舎の北側まで見通すことが出来るので夜景もおすすめです。

 

南ウイング部の付け根にある塔の3階・4階はステーションホテルのメゾネットスイートキング。

丸窓が並んだ部屋はさぞ景色が良いことでしょう。

 

線路沿いの道から南ウイング全体を望む。北側にない尖塔と曲線の端部が良いアクセントです。

南ウイングは大部分がステーションホテルの客室となっています。

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東京駅 丸の内駅舎-1

2022-10-16 22:37:19 | gallery:レンガ建築

カテゴリ設置後、長らく放置していたgallery:レンガ建築がやっと始動しました。

 

最初は日本のレンガ建築の代表格とも言える東京駅丸の内駅舎を!と決めてはいたのですが、資料収集や写真撮影に時間が掛かっていました。今年は鉄道開業150周年で盛り上がっていますが、東京駅も復原10周年記念ということで、丁度良いタイミングになったと思います。

丸の内駅舎は1914年(大正3年)12月18日に完成、同20日に東京駅の玄関として開業しました。

余談ですが私も12月18日生まれでして、丸の内駅舎には何かと縁を感じております。

設計は当時の建築界の権威、辰野金吾氏です。

もともと中央停車場という名前で建設が進められましたが、開業前に東京駅に改称されています。

1945年の東京大空襲により屋根や内装が焼失し、戦後は長らく仮復旧した姿となっていました。

2003年には国の重要文化財に指定され、2007年から駅舎の復原工事が開始されました。

5年の歳月を経た2012年に復原が完了し、2014年には東京駅開業100周年を迎え今に至ります。

復原が完成した2012年からは毎年12月にプロジェクションマッピングを使用した東京ミチテラスが開催されています。まだコロナ禍ですが今年も開催されるといいですね。

こちらは2014年に開催されたときの写真ですが、駅前広場はまだ工事中で仮囲いがされています。

 

大雪が降った2014年の2月、そこはもう異国の地のような光景でした。

当時は23区内の東側に住んでいたので帰りの足を気にせず撮影に出向いた記憶があります。

ちなみに辰野金吾氏が設計の依頼を受ける前はドイツ人の鉄道技師 フランツ・バルツァー氏が基本案を出していましたが、彼が提案した純和風の駅舎は当時の鉄道関係者には受け入れられなかったそうです。

明治時代ゆえに近代的な西洋風駅舎にしたかったんでしょうか…

もともと鉄骨レンガ造りで建設されていたため東京大空襲を受けても筐体は残りましたが、もし和風建築で造られていたら全焼して別の駅舎に建て直されていた可能性もありますね。

今回は駅舎のざっくりとした歴史を振り返ってみました。

続きます。

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