ゴルバチョフ氏は法的には国葬ではないが、国を挙げて大々的に葬儀が営まれ、事実上の国葬、あるいは国葬に近い形と言える。
安倍元首相の国葬が行われるのは9月27日。
安倍氏の国葬をめぐっては反対論も根強い。私は賛成でも反対でもないが。反対する理由の一つには多額の税金がかかるということもあるだろう。ここ2年を振り返ると、新型コロナウイルスの流行への対応のために平時よりも多くの税金を使ったことだろう。そんな中で国葬のために多額の税金を投入するのはいかがなものかという意見もあるだろう。
また、凶弾に撃たれて亡くなったから国葬になった感も否めない。そういった事件がなく、病気や老衰で亡くなっていたら、果たして国葬になったのか。国葬にならなかった可能性もあるだろう。国葬決定に至った背景には、暴力に屈することなく民主主義を守るんだという意識の再確認という意味もあるだろう。
安倍氏の国葬に反対する理由として「天皇ではないから」という人もいた。これに対して私は、天皇ならいいけど首相はダメなのかと言いたい。そもそも天皇制が現在も続いていること自体おかしい。
「情報7daysニュースキャスター」でエリザベス女王の国葬を控えたイギリスを報じていた時、「国葬に反対する人はいない」と言っていた。反対デモが見られないからそう言ったかもしれないが、イギリス国民の中には国葬に反対する人もいるだろうし、国葬以前に王制に反対という人も多くいるのは確かだ。
日本の天皇が亡くなった時は国葬の一種とも言える「大喪の礼」が行われる。
国葬は多くの場合、歴史に名を残すような功労を納めた人物が対象となり、スポーツ選手などが国葬になった例がある。国によっては大統領経験者または首相経験者に対し(無条件で)国葬を行うと定められた国もある。
一方、君主に関しては世襲制であり、生まれる前から死んだら国葬されることが決まっていて、亡くなった後国葬されるに値するような功労を納めることが強いられ、激務に耐えることが求められるというのはかわいそうだ。そういった宿命を持った世襲の身分が、人権という価値観を享有する現代社会に存在することは不条理だ。国葬と照らし合わせて考えても疑問に思う。
3人の国葬が行われている今、国葬の意味について考えさせられる機会にもなった。今こそ君主制がいかに現代社会と矛盾した時代遅れの制度であるかということを広く議論し、君主制廃止の是非を問う国民投票の実施などを検討すべき時ではないか。
安倍氏を襲撃した犯人の犯行動機が「親が旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の信者で、多額の献金によって苦しい生活を強いられて、旧統一教会に恨みがあった(それで、旧統一教会と関係のある安倍氏を狙った)」というものだったため、この事件をきっかけに、親がカルト宗教の信者で自身も信仰を強制されるいわゆる「宗教2世」の問題も注目されるようになった。皇室や王室に生まれた子供も、そういった特殊な環境で「宗教2世」と同じくらい苦しんでいるではないか。
葬儀に関しては近年、家族葬など、簡素化、小規模化が進む傾向にあり、特に、コロナ禍によって密を避ける必要性からその傾向は加速した。そんな中で君主の家庭に生まれたことによって否応なしに葬儀が大規模に行われなければならないのはいかがなものか。
これらの点でも君主制は現代社会にそぐわないと思う。
イギリスの君主を元首とするイギリス連邦王国の一つであるアンティグア・バーブーダはエリザベス女王の死を受け、3年以内に共和制移行の是非を問う国民投票を行う意向を示した。また、ここ10年で共和制へ移行する案が浮上したが見送られてきたジャマイカでも共和制移行の動きが再燃した。この流れは非常に良いことだと思う。イギリスや日本など自国に君主がいる国も、将来的に君主制を廃止し共和制へ移行するのが望ましい。
イギリス "王室不要論"
生前退位-天皇制廃止-共和制日本へ
よさまつ 天皇制 YouTube
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