結構、前のことだけど、
お気に入りの青いジャンバーのポケットから
色んなものが出てきたことがある。
(それで、クリーニングにずっと出していなかったことが判明した)
ピンクの螺旋模様の入った、縄跳びの切れ端
バランスよくY字になった木の枝
表面のつるつるした小石
楽と善が保育園に行く道すがら拾い集めた、気になるもの達だ。
二人を保育園へ送っていく道中は
なかなか前に進まず苦労していた。
保育園が全然近づいてこない。
それもそのはず
目線が地面に近い二人には、気になるもの達がたくさん目につくから。
「おかーん、こんなんあったでー。ポッケ入れといて」
「おかーん、見てみーやあー」
やれやれ。
ある日、道端にほどよい長さの縄が落ちていた。
「しめた!!」
拾って、楽と善に見せてみる。
「見て~。電車が落ちてたよ!!一列に並んでくださーい」
おかんが先頭になって縄を持ち、楽が後ろで縄を持ち、善が最後尾。
「では、出発しまーす!!シュッシュポッポ~」
その日は、すんなりと保育園へ着いたとさ。
夕方、保育園へ迎えに行きながら、
お味噌汁に入れる具材を考える。
「楽、善、野蒜(のびる)ってすぐ見つかる?」
「簡単に見つかるけえ、一緒に裏山行こう!」
保育園には裏山があって、そこには、野蒜やら蕨やらが生えている。
へびもいる。
裏山に回って、楽と善に任せて、見守っていると、
頭が白い球根のようになっている野蒜をたくさん採ってきてくれた。
今夜は野蒜のお味噌汁に決まり。
夜になって、布団を敷くと、楽が言う。
「『かまじい』して~」
『かまじい』とは「千と千尋の神隠し」の釜爺のことで、
窯爺が傷ついたハクに布団をかけてあげるシーンからできた言葉だ。
「かまじいする」は、「布団をかける」という意味。
これらの思い出を覚えているか聞くと、
「なんとなーく」
「ん~、覚えてなーい」
と返ってくる。
当の本人たちは忘れちゃって、
私の中だけに生き生きと存在する思い出。
「森本哲郎 世界への旅」によると
「ファーブル昆虫記」の中でファーブルはこんなことを書いているらしい。
「好奇心が目覚めて、おぼろげな無意識の状態から我々を連れ出す楽しい時代よ。おまえの遠い思い出は、私の一番幸福だった頃を、もう一度甦らせてくれる」
楽と善の、幸福な好奇心の時代は、
私しかはっきりとは覚えていないようだけど、
二人はまるで、楽園にいるように、毎日楽し気に暮らしていたよ。
6月30日 おかん
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