小さい頃、母から叩かれ叩かれ育った。
血を流していたこともしばしば。
「虐待」というものだったのだと思う。
だからと言って、母が嫌いだったことなんてない。
小さい頃からずっと大事に大事に思っていた。
親が子供をどう思っていたとしても、
子供は親が大好きなのだ。
でも、現実はなかなか難しく、弟大好きの母から
「私にはたかぼう(弟)がいるから、おかんちゃん(私)はいなくて大丈夫」
と言われてしまい、以来実家から足が遠のいていた。
おじさん(母の弟)から、実家に行って、ある書類を探してほしいとの依頼が。
「頼むよ、おかんちゃん。たかぼうは何だか浮世離れしてるから、頼みづらいんだよ」
「ええ~」
「ねえちゃん(母)のことは叱っておいたから」
「ハア・・・・」
今日、おっかなびっくり実家へ行ってきた。
母は機嫌がよく、たくさん笑っていた。
私がちょっとふざけると、きゃっきゃと。
「おかんちゃん、おもしろ~」って。
たくさん笑う母を見ると安心する。
書類はほぼ見つかった。
掃除もたくさんしてきた。
ちょっとした食事も作れた。
6月12日の朝日新聞に作家の小川糸さんのエッセイが載っていた。
「生前の母との関係はあまりよくなかったんです」
ふと注目して、読んでみた。
するとこんな言葉が。
「今から思うと、母の私に対する愛情はすごく深かった。ただ、母が愛情と思っているものと、私が欲しい愛情が違いすぎてたんだと思います」
母の愛情。
子供の愛情。
かみ合わなくて、どっちかが、どっちもかな、しんどくなることもあのかな。
でも、そこには愛情がある。
愛情はあるんだよね、きっと。
これからも、母へ、私なりの愛情で接していってもよいですか。
私の愛情が母へ伝わらなくても
母の愛情に私が気が付かなくても
愛情はそこにあるのだろう。
今日は実家に行ってよかった。
また、通い始められそうだ。
6月21日 おかん
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