創造雑感

創造雑感ノート

「手紙」 詩集「暗き淵より」

2014-07-14 16:02:00 | イヴェント・告知
 「手紙」 詩集「暗き淵より」(1)
http://www2.ocn.ne.jp/~dionysus/kurakihutiyorimokuji.htm



(1)

 おれから手紙が来るなど思いもしなかっただろう。かく言うおれも君に手紙
を書こうなどとは思った事も無い。会おうと思えばいつでも会って話が出来る
というのに。又、会ったからといって特にあれこれ理屈をこねるつもりもない。
おれの性格はかなりひねくれていて自分の言動すら場当り的なもので、他人が
どう感じようと考えようと知った事ではない。
 おれから見れば君も相当のひねくれ者と映るのだが、他者からは大変ちがっ
て見えるらしい。言わば人間の眼玉の数ほど視点があるのだろう。もちろんそ
んなもの何てことはない。
 ひねくれ者とおれが言ったところで君は何とも思わぬだろう。おれは最も辛
辣な皮肉を好む。やたらお利口さんや悟りきったような連中ばかりで、無論、
逆も然りだが、つい突っつきたくなる。最も大抵は突くほどの事もないんだが。
水たまりで遊んでいる連中など相手をしてもすぐ飽きる。
 昨日も気まぐれ気分で何となく公園でぶらぶら歩いていると、たまたま君に
良く似た男を見かけた。無論、顔だけだ。それで君と最初に会った時の印象が
妙に生々しく現れ、公園の光景が消えてしまった。これはおれにとってちょっ
と癪だった。おれは精神に無断で出入りする事はおれの認めた事に限る。言わ
ば君はおれのなかに不法侵入した訳だ。無論、君にしてみれば言いがかりにす
ぎぬ。これが君に手紙を出す原因と言えばそうだが、どうも怪しい限りだ。「自
覚し得ぬ限りにおいて偶然に過ぎない」と、君が誰かに言っていたが、おれも、
事おれ自身については鉄則になっている。これに反論する連中は馬鹿だとおれ
は思っている。無論、おれ自身にも然りだ。
 相対性という解毒剤の使用法はお手のものだ。あの若造が言った「東洋とは
エデンの園だ」という意味で。最もやっこさんは香りを少し吸い込んだだけで
素材として取り込んだにすぎない。双方から見れば両方ともアヘンに似ている
だろう。要するに自己の心情を律する事が出来なかったにすぎぬ。かといって
その根拠を知る事なく論じている連中は多い。そんな連中はおちょくってしま
うに限るか、無視するだけだ。関係のからくりの断片にすぎぬ。両性具有のヒ
ントを少し知ったにすぎぬ。君の彼に対する弁護もおれの言った事を踏まえて
いるはずだ。他の同類も。眼を見ればすぐ分かる。何たって心の窓と言う位だ
からね。陸沈、魂の遠近法、創造的人間関係、云々。君の言葉の内容はそれら
を土台として語られている。ぷんぷん匂うよ。おれはどちらかといえば匂いに
敏感だから無味無臭が好ましい。さて、少しは間をつめたかな。
 言葉がやっかいなのは単に相対的かつ自己保存的作業にそれぞれが忙がしい
からだ。それ以上でも以下でも無い。さらに言えば技術の問題にすぎぬ。この
地点に足を取られている連中だけが喧ましく混乱雑多で忙がしい。変化はする
が変容が無い。曰く沈黙は金なりの所以である。おれはひねているからただ沈
黙などしない。かといって君の方法は用いない。無論、否定もしない。自明の
事か、語るに落ちたと言いたいが、どっこいそうはいかぬ。
 君の方法とはつまり君の生き方だ。君がどう思おうが、他者から見ればどう
しても一種のヒロイズムに酔って生きているとしか映らない。その見方に準じ
て他者は様々な命名をする。おれが君と最初に会った時に言ったセリフ「君は
ややこしい方法を選んだね」と。考えた末だと君は複雑だが強い眼でおれを見
据えて言った。幸いその場に他人がいたのでおれは「おれの好きに生きるよ」
と言った。あれがすべてを含んでいた。今もだ。無視する事やその場を演じる
事はおれの特技でもある。いいかげんで悪党に見られた方が気楽なのは言うま
でもない。好んでややこしい関係を作るなどおれの流儀に反する。
 おれはプロメテウスの役は興味がない。君はどうあがいてもそのような役者
に見られるのだ。ソクラテスの方法を今日に用いても事はよりやっかいの度を
増す。何もかも承知だと君は分かってやるにしても、他者からすれば恐喝に等
しい。又、分かっての言動はよりたちが悪い。最も見せ物としては面白いが。
誰も同じ舞台には立つ事はあるまい。「結果は問わぬ」といくら君が言っても
無理である。問わぬと言いつつ問いつめているのだ。君がどう思われ、言われ
ているか説明不用と思う。君は「成し得る事を成す」と言う。他者は「得るも
のだけを得る」のだ。それ以上は不快なだけだ。おれが知っているだけでも数
えきれない。それは今後も変わるまい。又、おれの立場に立つ事も出来まい。
 君と語ると多少の理屈はやむを得ぬ。おれも考えた末に今のおれを作った。
君と同じく不動のものとなった。透明な闇を通過した者として、我がものとし
たでもよいが、二人共見える姿こそ異なれど同類なのだ。それでも似て非なる
事は事実だ。又、孤独、徒労、虚無、等々、それに類した概念とは全く無縁で
もある。この間かんの事情はそこいらのへなちょこ共には分か
るまい。
 お互い戦っている相手は人間共ではない。あえて言うまでもないと思ったが、
一度言っておけば後が楽だ。時空のあずかり知らぬ所での密約って訳だ。
 成りゆきまかせののどかな連中は無視しよう。したり顔の連中も然り、さて
これ以上、おれは君に語る事はない。お互いの役にもどろう。思えば気の遠く
なるほど長い戦いだ。ひそやかにしたたかに生きようではないか。



一九九六年三月三日


「ケルビーム展」

2013-09-07 09:47:00 | イヴェント・告知
毎年定期的に開催しているグループ展です。

「ケルビーム展」

2013年9月16日(月)~21日(土)

pm12:00~pm19:00(最終日pm16:00まで)



ギャラリーFUURO (ふうろ)

JR山手線「目白駅」下車徒歩2分


〒171-0031
東京都豊島区目白3-13-5イトーピア目白カレン2F   
Tel&Fax  03-3950-0775

ギャラリーふうろサイト
http://www.gallery-fuuro.com/




「ケルビーム展」

2013-09-07 09:41:00 | イヴェント・告知
毎年定期的に開催しているグループ展です。

「ケルビーム展」
2013年9月16日(月)~21日(土)

pm12:00~pm19:00(最終日pm16:00まで)



ギャラリーFUURO (ふうろ)

JR山手線「目白駅」下車徒歩2分


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告知

2010-10-23 01:14:00 | イヴェント・告知
「告知」


 人々が深い眠りに墜ちる時、その時に密やかに語られる言葉がある。

 本来、その言葉は昼夜に関わり無く語られているのだが、感覚界の鈍重な知覚のベールがそれを常に阻んでいる。ゆえに夢の中でさらに意識的に夢見ることが可能なほど強靭なる魂しかその霊妙なる言葉を日常のなかで聞くことは出来ない。  

 一体、何だ?さっきの妙に生々しく鮮烈な夢は。不思議な郷愁とおぞましさが混淆していた。            

 それにしても、この冷徹なおれがたかが夢ごときにおののくとは、、、。  

 おれにとって此の世界、日常自体が夢のようなものだ。誰も彼もが自分を見失い微睡みのなかで夢のように生きている。おれはそんな奴等の夢と付き合いながら同じ夢をみることはない。奴等は夢から醒めることを恐れている。おれは物心ついた頃から此の世は実体の無い夢に似ていると感じていた。

 おれにとって他人の夢とは浅いまどろみの心理学的範疇にすぎない。それぞれの自覚していない深層のなかに潜む願望や欲望が様々な様相をもっては多彩に現象化し、それに自分勝手な意味付けをしては安心している。  

 世の心理学者や哲学者共はそんな眠りの意識を暴露したり整頓してはわれこそは目覚めていると独り悦に浸っている。所詮、同次元の五十歩百歩にすぎぬ。お互いにせいぜい夢を夢みている同類であるのだが、夢の世界の住人達同士ではその判別は困難であろう。
さては、無常なる此の世にあって彼らには必須の生存の支えでもある、その夢を無碍に壊す必要はあるまい。  

 おれはそのように此の世は夢の世界、即ち無常であると認知して生きていたのだが、そのおれ自身の認識がこのところ怪しげになってきた。ふいに何の前触れも無くおれの精神、いや、存在自体を震撼させるような戦慄的な衝撃が時折襲いかかってくる。それも昼夜を問わずに得体の知れぬ痛みや吐き気を伴ってだ。おれの何かが変化しようとしているのを感じるが、それがなんであるかは不明である。
 
 このところ不眠もひどい。恐らく、疲労であろう。そのせいか、まるで自分が自分でなくなるような時がある。如何なる時も冷徹であることが信条のおれにとってはすこぶる不快ではあるが、忌々しくも如何ともし難い。                   


            *

 さあ、眼をそらさずに見るのだ。お前にとってこのおれの姿がどれほど醜悪に見えようとも、このおれはお前自身なのだ。そしてこのおれをお前が見た以上はこのおれから逃れることは出来ない。何故なら、このおれの姿は今後のお前如何で如何様にも変化する。  

 お前はお前自身が完全に成熟する前にこのおれに出会った。これはお前自身が望んだことだ。おれの存在は今までのお前達から見れば死の天使でもあり霊界の番人でもある。お前次第によっては良き導き手にも悪しき導き手にもなるのだ。おれはお前が何度も転生を繰り返してきたのを知っている。お前が肉体を自分の自我だと信じている時も常に側にいて試練を与えてきたのだ。だが、すでにお前が望もうが望むまいが、お前達にとっては死と呼ばれている世界に踏み込んだ。お前がおれを知る前はお前をおれと共に導いてきた霊界の存在は一切に離れる。

 ゆえに、今後はお前自身を導いてきた存在達の助け無しに全ての行為はお前自身に回帰する。さらに、お前であるおれの姿が醜悪な悪鬼と化すか崇高な存在と化すかも、お前自身のこれからのお前の行為次第である。おれはこれからは常にお前から離れることはない。