「告知」
人々が深い眠りに墜ちる時、その時に密やかに語られる言葉がある。
本来、その言葉は昼夜に関わり無く語られているのだが、感覚界の鈍重な知覚のベールがそれを常に阻んでいる。ゆえに夢の中でさらに意識的に夢見ることが可能なほど強靭なる魂しかその霊妙なる言葉を日常のなかで聞くことは出来ない。
一体、何だ?さっきの妙に生々しく鮮烈な夢は。不思議な郷愁とおぞましさが混淆していた。
それにしても、この冷徹なおれがたかが夢ごときにおののくとは、、、。
おれにとって此の世界、日常自体が夢のようなものだ。誰も彼もが自分を見失い微睡みのなかで夢のように生きている。おれはそんな奴等の夢と付き合いながら同じ夢をみることはない。奴等は夢から醒めることを恐れている。おれは物心ついた頃から此の世は実体の無い夢に似ていると感じていた。
おれにとって他人の夢とは浅いまどろみの心理学的範疇にすぎない。それぞれの自覚していない深層のなかに潜む願望や欲望が様々な様相をもっては多彩に現象化し、それに自分勝手な意味付けをしては安心している。
世の心理学者や哲学者共はそんな眠りの意識を暴露したり整頓してはわれこそは目覚めていると独り悦に浸っている。所詮、同次元の五十歩百歩にすぎぬ。お互いにせいぜい夢を夢みている同類であるのだが、夢の世界の住人達同士ではその判別は困難であろう。
さては、無常なる此の世にあって彼らには必須の生存の支えでもある、その夢を無碍に壊す必要はあるまい。
おれはそのように此の世は夢の世界、即ち無常であると認知して生きていたのだが、そのおれ自身の認識がこのところ怪しげになってきた。ふいに何の前触れも無くおれの精神、いや、存在自体を震撼させるような戦慄的な衝撃が時折襲いかかってくる。それも昼夜を問わずに得体の知れぬ痛みや吐き気を伴ってだ。おれの何かが変化しようとしているのを感じるが、それがなんであるかは不明である。
このところ不眠もひどい。恐らく、疲労であろう。そのせいか、まるで自分が自分でなくなるような時がある。如何なる時も冷徹であることが信条のおれにとってはすこぶる不快ではあるが、忌々しくも如何ともし難い。
*
さあ、眼をそらさずに見るのだ。お前にとってこのおれの姿がどれほど醜悪に見えようとも、このおれはお前自身なのだ。そしてこのおれをお前が見た以上はこのおれから逃れることは出来ない。何故なら、このおれの姿は今後のお前如何で如何様にも変化する。
お前はお前自身が完全に成熟する前にこのおれに出会った。これはお前自身が望んだことだ。おれの存在は今までのお前達から見れば死の天使でもあり霊界の番人でもある。お前次第によっては良き導き手にも悪しき導き手にもなるのだ。おれはお前が何度も転生を繰り返してきたのを知っている。お前が肉体を自分の自我だと信じている時も常に側にいて試練を与えてきたのだ。だが、すでにお前が望もうが望むまいが、お前達にとっては死と呼ばれている世界に踏み込んだ。お前がおれを知る前はお前をおれと共に導いてきた霊界の存在は一切に離れる。
ゆえに、今後はお前自身を導いてきた存在達の助け無しに全ての行為はお前自身に回帰する。さらに、お前であるおれの姿が醜悪な悪鬼と化すか崇高な存在と化すかも、お前自身のこれからのお前の行為次第である。おれはこれからは常にお前から離れることはない。
人々が深い眠りに墜ちる時、その時に密やかに語られる言葉がある。
本来、その言葉は昼夜に関わり無く語られているのだが、感覚界の鈍重な知覚のベールがそれを常に阻んでいる。ゆえに夢の中でさらに意識的に夢見ることが可能なほど強靭なる魂しかその霊妙なる言葉を日常のなかで聞くことは出来ない。
一体、何だ?さっきの妙に生々しく鮮烈な夢は。不思議な郷愁とおぞましさが混淆していた。
それにしても、この冷徹なおれがたかが夢ごときにおののくとは、、、。
おれにとって此の世界、日常自体が夢のようなものだ。誰も彼もが自分を見失い微睡みのなかで夢のように生きている。おれはそんな奴等の夢と付き合いながら同じ夢をみることはない。奴等は夢から醒めることを恐れている。おれは物心ついた頃から此の世は実体の無い夢に似ていると感じていた。
おれにとって他人の夢とは浅いまどろみの心理学的範疇にすぎない。それぞれの自覚していない深層のなかに潜む願望や欲望が様々な様相をもっては多彩に現象化し、それに自分勝手な意味付けをしては安心している。
世の心理学者や哲学者共はそんな眠りの意識を暴露したり整頓してはわれこそは目覚めていると独り悦に浸っている。所詮、同次元の五十歩百歩にすぎぬ。お互いにせいぜい夢を夢みている同類であるのだが、夢の世界の住人達同士ではその判別は困難であろう。
さては、無常なる此の世にあって彼らには必須の生存の支えでもある、その夢を無碍に壊す必要はあるまい。
おれはそのように此の世は夢の世界、即ち無常であると認知して生きていたのだが、そのおれ自身の認識がこのところ怪しげになってきた。ふいに何の前触れも無くおれの精神、いや、存在自体を震撼させるような戦慄的な衝撃が時折襲いかかってくる。それも昼夜を問わずに得体の知れぬ痛みや吐き気を伴ってだ。おれの何かが変化しようとしているのを感じるが、それがなんであるかは不明である。
このところ不眠もひどい。恐らく、疲労であろう。そのせいか、まるで自分が自分でなくなるような時がある。如何なる時も冷徹であることが信条のおれにとってはすこぶる不快ではあるが、忌々しくも如何ともし難い。
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さあ、眼をそらさずに見るのだ。お前にとってこのおれの姿がどれほど醜悪に見えようとも、このおれはお前自身なのだ。そしてこのおれをお前が見た以上はこのおれから逃れることは出来ない。何故なら、このおれの姿は今後のお前如何で如何様にも変化する。
お前はお前自身が完全に成熟する前にこのおれに出会った。これはお前自身が望んだことだ。おれの存在は今までのお前達から見れば死の天使でもあり霊界の番人でもある。お前次第によっては良き導き手にも悪しき導き手にもなるのだ。おれはお前が何度も転生を繰り返してきたのを知っている。お前が肉体を自分の自我だと信じている時も常に側にいて試練を与えてきたのだ。だが、すでにお前が望もうが望むまいが、お前達にとっては死と呼ばれている世界に踏み込んだ。お前がおれを知る前はお前をおれと共に導いてきた霊界の存在は一切に離れる。
ゆえに、今後はお前自身を導いてきた存在達の助け無しに全ての行為はお前自身に回帰する。さらに、お前であるおれの姿が醜悪な悪鬼と化すか崇高な存在と化すかも、お前自身のこれからのお前の行為次第である。おれはこれからは常にお前から離れることはない。