![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/fe/b23a911764375ea01401a7801771482d.jpg)
告別式終了後、嘆き悼む多くの弔問者を背後に直次郎を乗せた
霊柩車に先導され焼場に向かう。
道半ばにて桜並木通過。
花びらの絨毯が地上から舞い上がる。
桜花が風に散る。
陽光を浴び舞ふ金色の桜花ひとひらひとひら
その光景や浄土空間より降りそそぐが如し
さて焼かれたる真白き骨骨等。
その中に見事なる座禅する姿形の喉仏。
骨在りし者吐き出したる最後の言葉
俺にはやる事が山ほどある、残っている。今死ぬわけにはいかぬ。
彼の声が空間に染み入り響く。
寺に帰宅途中の桜並木様相異変せる。
緋色に舞ふ桜花ありぬ
ほのくらきよよにちりまひただよひもゆるよとあによよに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ff/922f58ebdda25caf3556ce3e6af98055.jpg)
霊柩車に先導され焼場に向かう。
道半ばにて桜並木通過。
花びらの絨毯が地上から舞い上がる。
桜花が風に散る。
陽光を浴び舞ふ金色の桜花ひとひらひとひら
その光景や浄土空間より降りそそぐが如し
さて焼かれたる真白き骨骨等。
その中に見事なる座禅する姿形の喉仏。
骨在りし者吐き出したる最後の言葉
俺にはやる事が山ほどある、残っている。今死ぬわけにはいかぬ。
彼の声が空間に染み入り響く。
寺に帰宅途中の桜並木様相異変せる。
緋色に舞ふ桜花ありぬ
ほのくらきよよにちりまひただよひもゆるよとあによよに
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/ff/922f58ebdda25caf3556ce3e6af98055.jpg)
突然の訃報であった。
4月1日の夜に電話で「主人が今朝亡くなりました」と。
私が加藤直次郎と出会ったのは、まだ銀座で画廊を開設して2年に満たぬ頃であった。
私は彼が画廊に入った瞬間に投げかけたセリフ「来るのが遅い!ずっと待っていた」と。
彼は当時まだ26歳であったが、既にフラメンコ界ではカンテとして大舞台を数多くこなしていた。
出遭い以後、私の活動と連動して様々なイヴェントを企画プロデュースしたり、異端的存在や生き難い人物を数多く紹介した。
私の妻と同じ「急性大動脈乖離」であった。
私よりも生きる予定のはずが48歳で肉体から去った。
私は彼の死に対して、哀しみよりもある種の名状し難い怒りが揺らめいている。
昨夜彼の自宅近くのS病院の霊安室に会いに行った。
眠っているような穏やかな表情であった。
私は彼に「肉体が無いということは今まで以上に働いてもらうからね」と。
奥様は私と彼との出会い・因縁を理解していたので、私が通常の会話ではなくとも了解されていた。
今日はお通夜、明日告別式。
4月3日(木)午後6時~
4月4日(金)午後12時~1時
港区白金2≠V≠P9 浄土宗 正源寺
電話03≠R441≠R853
今までも10倍以上の働きをしたが、今後はもっと働く事になる。
不自由な肉体から離脱したからである。
彼に関しては書くことは多くあるが、またの機会に。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/d8/36e1e789c81abe3dfe530490f866b06e.jpg)