告別式終了後、嘆き悼む多くの弔問者を背後に直次郎を乗せた
霊柩車に先導され焼場に向かう。
道半ばにて桜並木通過。
花びらの絨毯が地上から舞い上がる。
桜花が風に散る。
陽光を浴び舞ふ金色の桜花ひとひらひとひら
その光景や浄土空間より降りそそぐが如し
さて焼かれたる真白き骨骨等。
その中に見事なる座禅する姿形の喉仏。
骨在りし者吐き出したる最後の言葉
俺にはやる事が山ほどある、残っている。今死ぬわけにはいかぬ。
彼の声が空間に染み入り響く。
寺に帰宅途中の桜並木様相異変せる。
緋色に舞ふ桜花ありぬ
ほのくらきよよにちりまひただよひもゆるよとあによよに
霊柩車に先導され焼場に向かう。
道半ばにて桜並木通過。
花びらの絨毯が地上から舞い上がる。
桜花が風に散る。
陽光を浴び舞ふ金色の桜花ひとひらひとひら
その光景や浄土空間より降りそそぐが如し
さて焼かれたる真白き骨骨等。
その中に見事なる座禅する姿形の喉仏。
骨在りし者吐き出したる最後の言葉
俺にはやる事が山ほどある、残っている。今死ぬわけにはいかぬ。
彼の声が空間に染み入り響く。
寺に帰宅途中の桜並木様相異変せる。
緋色に舞ふ桜花ありぬ
ほのくらきよよにちりまひただよひもゆるよとあによよに
突然の訃報であった。
4月1日の夜に電話で「主人が今朝亡くなりました」と。
私が加藤直次郎と出会ったのは、まだ銀座で画廊を開設して2年に満たぬ頃であった。
私は彼が画廊に入った瞬間に投げかけたセリフ「来るのが遅い!ずっと待っていた」と。
彼は当時まだ26歳であったが、既にフラメンコ界ではカンテとして大舞台を数多くこなしていた。
出遭い以後、私の活動と連動して様々なイヴェントを企画プロデュースしたり、異端的存在や生き難い人物を数多く紹介した。
私の妻と同じ「急性大動脈乖離」であった。
私よりも生きる予定のはずが48歳で肉体から去った。
私は彼の死に対して、哀しみよりもある種の名状し難い怒りが揺らめいている。
昨夜彼の自宅近くのS病院の霊安室に会いに行った。
眠っているような穏やかな表情であった。
私は彼に「肉体が無いということは今まで以上に働いてもらうからね」と。
奥様は私と彼との出会い・因縁を理解していたので、私が通常の会話ではなくとも了解されていた。
今日はお通夜、明日告別式。
4月3日(木)午後6時~
4月4日(金)午後12時~1時
港区白金2≠V≠P9 浄土宗 正源寺
電話03≠R441≠R853
今までも10倍以上の働きをしたが、今後はもっと働く事になる。
不自由な肉体から離脱したからである。
彼に関しては書くことは多くあるが、またの機会に。