テレビのことを書いたら前の勤務先の方たちからのコメントやらメール。(私が教えまくってるんだけどね)
急に懐かしくなった。
検査センターから検査技師、機械、試薬など丸ごとパックにして病院にお貸しし、その代わり出される検体検査は全部頂きますよ。っていうシステム。
業界用語ではブランチと言うことが多い(枝、支流、支店、支線、分岐(する)、などの意味を持つ英単語)。
前の会社は最悪だった。上場している会社だったし給料も良かったけど規模が大きすぎて、社員が多すぎて駒の一つにすぎなかった。
嫌気がさして次。この会社に都合20年くらい定年までお世話になった。
会社そのものは小さかったけどその分小回りが利いて良心的で、病院さんには結構評判が良かった。
大手では検査値に異常値があってもそのまま出すけど、私がいた会社は再検査をし頼まれてもいないのに更にその先の検査をして(先行検査)分析してデータを病院側に連絡していた。
(普通は大体夕方か夜に検体をセンターに出し、検査をしてデータを印刷して病院側に届くのが早くて翌日。
手間のかかる検査だと数日。それからDrがそれに目を通し異常を見つけるまで更に数日。それから患者さんに連絡して来てもらって又採血して検査に出して・・・・・)
だから病院さんから随分感謝されていた。
他の検査会社が営業に行っても「○○○○にうちは決めてるから」って門前払いを食わせる病院さんも多いとか。
社員同士も顔が分かり社長初め役員、上司達も全社員の顔や名前、挙句性格まで殆ど把握していた。
給料はあまり良くなかったけど、休みもほとんど取れなかったけど、不満も多かったけど私はこの会社が好きだった。
この会社からブランチとして行った病院は千葉県の大多喜のK病院を皮切りに、佐倉のS病院、江戸川区、そして最後に船橋のF整形外科病院。
中でもK病院、F病院とそこの院長先生が一番思い出に残っている。
K病院の院長先生は患者さんの手を包み込むように優しく触ってから、血圧の駆血帯を巻き、患者さんの話を「うんうん」って優しく聞いてあげてる。
昔々若かりし頃は白馬にまたがって往診したそうな。
鼻筋が通っていて背も高く評判の男前だったとか。
ブランチの私のことも随分気に掛けてくださり、検査を売り込みに行っても例のごとく「うんうん」ってすんなり通してくださった。
「うんうん」というより「あーうー」といっている間に「有り難うございます」だったような気がしないでもないけど。
本当に優しい良い先生だった。看護師の中にはこの院長先生がいるからここに勤めているって言う人もいたっけ。
もう、十数年お会いしてないけど相当なご高齢なので今どうしてらっしゃるだろうか。
最後のF病院。
かつては検査室が無く至急の検査のときに営業さんが呼び出されて検体を取りに行く。
主に輸血の為の検査だったが多いときでは日に数回になることもあったとか。
取りに行くのに往復2-3時間。検査が混んでいれば2時間掛かり緊急オペの時には間に合わない。
で、検査室を立ち上げそこに私が入ったって訳。
向こうさんも検査室というものは初めてだし、こちらも整形外科という単科の病院も初めてだったので最初は本当にお互いやりづらかった。
衝突も随分あった。私の評判も悪かった。言うことを聞かなかったからね。駄目なものは駄目なのです。
検査でのミスもし院長室、副院長室まで頭を下げに何回行ったかしら。
院長先生も副院長先生も次同じことをしないようにと言ってくださり責めることをしなかった。(違う失敗は次々したけど)
ユーザー風を吹かせない病院だったのはK病院も同じ。
F病院に勤めだしてすぐの朝、院長先生にお会いしたとき先生が先に頭を下げて「お早うございます」って挨拶されたときは本当にビックリした。
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」って言葉が頭をよぎった。
今までヘルプも含めて何件もの病院に行ったけど、こちらから挨拶し無い限りどの先生も決して挨拶することはなかった。
現場主義の病院でそれぞれの現場に主体性を持たせ、尊重していたと思う。
Dr達も自分で手術方法を考えて実行し、その分野で外国でも有名になったDrもいる。
股関節の新しい手術法を考え出したDrに副院長先生が「俺が責任を持つからやれ」と激励しその結果そのDrの名も海外にまで知られている。
この副院長先生は口が(性格も)悪くて有名だったけど(まさかこのブログを読んでらっしゃらないでしょうね)、私はなんか好きだったな。
部外者だから言えることかもしれないけど。
人の顔見ると「ばばあ」だなんてパワハラに近いことを言う先生で「じじいには言われたくない」って言い返し周囲をぎょっとさせたこともあったっけ。冷や汗ものの(楽しい)思い出。
K病院の職員さん達とも、S病院で友となったTaさんとも、F病院で仲良くなった色々な方達。、そしてかつての会社の年下だけど上司とか同僚とか今でも交流がありそれはとっても幸せなことだと思う。
F病院のかつての総務部長のAさんにもお世話になった。色々やらかした事を随分見ない振りして下さった。感謝しています。
こんな私を受け入れてくれたひろーい心の持ち主達です。
そしてさっき、F病院にいた看護師さんからおめでたのメールを受け取り、嬉しくて涙しています。
急に懐かしくなった。
検査センターから検査技師、機械、試薬など丸ごとパックにして病院にお貸しし、その代わり出される検体検査は全部頂きますよ。っていうシステム。
業界用語ではブランチと言うことが多い(枝、支流、支店、支線、分岐(する)、などの意味を持つ英単語)。
前の会社は最悪だった。上場している会社だったし給料も良かったけど規模が大きすぎて、社員が多すぎて駒の一つにすぎなかった。
嫌気がさして次。この会社に都合20年くらい定年までお世話になった。
会社そのものは小さかったけどその分小回りが利いて良心的で、病院さんには結構評判が良かった。
大手では検査値に異常値があってもそのまま出すけど、私がいた会社は再検査をし頼まれてもいないのに更にその先の検査をして(先行検査)分析してデータを病院側に連絡していた。
(普通は大体夕方か夜に検体をセンターに出し、検査をしてデータを印刷して病院側に届くのが早くて翌日。
手間のかかる検査だと数日。それからDrがそれに目を通し異常を見つけるまで更に数日。それから患者さんに連絡して来てもらって又採血して検査に出して・・・・・)
だから病院さんから随分感謝されていた。
他の検査会社が営業に行っても「○○○○にうちは決めてるから」って門前払いを食わせる病院さんも多いとか。
社員同士も顔が分かり社長初め役員、上司達も全社員の顔や名前、挙句性格まで殆ど把握していた。
給料はあまり良くなかったけど、休みもほとんど取れなかったけど、不満も多かったけど私はこの会社が好きだった。
この会社からブランチとして行った病院は千葉県の大多喜のK病院を皮切りに、佐倉のS病院、江戸川区、そして最後に船橋のF整形外科病院。
中でもK病院、F病院とそこの院長先生が一番思い出に残っている。
K病院の院長先生は患者さんの手を包み込むように優しく触ってから、血圧の駆血帯を巻き、患者さんの話を「うんうん」って優しく聞いてあげてる。
昔々若かりし頃は白馬にまたがって往診したそうな。
鼻筋が通っていて背も高く評判の男前だったとか。
ブランチの私のことも随分気に掛けてくださり、検査を売り込みに行っても例のごとく「うんうん」ってすんなり通してくださった。
「うんうん」というより「あーうー」といっている間に「有り難うございます」だったような気がしないでもないけど。
本当に優しい良い先生だった。看護師の中にはこの院長先生がいるからここに勤めているって言う人もいたっけ。
もう、十数年お会いしてないけど相当なご高齢なので今どうしてらっしゃるだろうか。
最後のF病院。
かつては検査室が無く至急の検査のときに営業さんが呼び出されて検体を取りに行く。
主に輸血の為の検査だったが多いときでは日に数回になることもあったとか。
取りに行くのに往復2-3時間。検査が混んでいれば2時間掛かり緊急オペの時には間に合わない。
で、検査室を立ち上げそこに私が入ったって訳。
向こうさんも検査室というものは初めてだし、こちらも整形外科という単科の病院も初めてだったので最初は本当にお互いやりづらかった。
衝突も随分あった。私の評判も悪かった。言うことを聞かなかったからね。駄目なものは駄目なのです。
検査でのミスもし院長室、副院長室まで頭を下げに何回行ったかしら。
院長先生も副院長先生も次同じことをしないようにと言ってくださり責めることをしなかった。(違う失敗は次々したけど)
ユーザー風を吹かせない病院だったのはK病院も同じ。
F病院に勤めだしてすぐの朝、院長先生にお会いしたとき先生が先に頭を下げて「お早うございます」って挨拶されたときは本当にビックリした。
「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」って言葉が頭をよぎった。
今までヘルプも含めて何件もの病院に行ったけど、こちらから挨拶し無い限りどの先生も決して挨拶することはなかった。
現場主義の病院でそれぞれの現場に主体性を持たせ、尊重していたと思う。
Dr達も自分で手術方法を考えて実行し、その分野で外国でも有名になったDrもいる。
股関節の新しい手術法を考え出したDrに副院長先生が「俺が責任を持つからやれ」と激励しその結果そのDrの名も海外にまで知られている。
この副院長先生は口が(性格も)悪くて有名だったけど(まさかこのブログを読んでらっしゃらないでしょうね)、私はなんか好きだったな。
部外者だから言えることかもしれないけど。
人の顔見ると「ばばあ」だなんてパワハラに近いことを言う先生で「じじいには言われたくない」って言い返し周囲をぎょっとさせたこともあったっけ。冷や汗ものの(楽しい)思い出。
K病院の職員さん達とも、S病院で友となったTaさんとも、F病院で仲良くなった色々な方達。、そしてかつての会社の年下だけど上司とか同僚とか今でも交流がありそれはとっても幸せなことだと思う。
F病院のかつての総務部長のAさんにもお世話になった。色々やらかした事を随分見ない振りして下さった。感謝しています。
こんな私を受け入れてくれたひろーい心の持ち主達です。
そしてさっき、F病院にいた看護師さんからおめでたのメールを受け取り、嬉しくて涙しています。
ともあれ、B・B様のお人柄で今もなお続く、前職の皆様とのご縁なんでしょうね(^^)すばらしい!!
>「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」
目指してはいるのですが、なかなか難しいものです。
中には本当に横柄な人たちもいますよ。
その営業部長さんは人格者ですね。うりむぅさんも人格者ですよ。
あ、今日は有り難うございました。
嫌われることも多かったと思います。
「Nさんはほんとに好きにやったよね」なんて言われてましたから。
でもいろんな職場に行って人生勉強させて頂きました。
無駄なことは何一つ無かったように思います。
みぃさんだって引き止められてるじゃないですか。
それもお人柄あってこそですよね。
きりっとお仕事されていたのでしょうね。
「かっけー!」
(あまちゃんを見ていないとわからないかも)
本当にいいお話でした。人と人とのつながりは人格でとりもつと思います。
B・Bさんの時には厳しく、時には優しくという人格と、すばらしい院長先生初め、たくさんの同僚、先輩、後輩の皆様とのつながり・・・
いいお話でした。
たくさんの人がテレビの放送を楽しみにしていらっしゃるのですね。
そして、B・Bさんを応援しているように感じます(^。^)
よかったですね。
こちらは暑くなりました~!先ほど33度でした。
どうしよう。「かっけー」なんて言われて。
私は愛想が悪い、怖い、感じが悪いって評判だったのですよ。本当の話。
きっとブランチだからなめられたくないって構えていたんだと思います。
病院さんの要求をきくのは簡単ですけどそれぞれの分野があるわけですからきっちりしたいって思いはありました。
まあ、そんな私でも受け入れてくれたんですから、幸せなことです。
そうなんですよね。最後は人ですよね。
みんなの事を思い出すと本当に感謝で涙が出ることもあります。
みんな大好きでした。だから千葉に行くとあの人にもこの人にも会いたくなるので大変です(^^)
テレビは怖いです。先にDVDを見られれば良いのですが放送後に送ってくるらしいので落ち着きません。
ごめんなさいね、こちらはとっても良い気候なんですよ。