しゅしゅさん
お返事をありがとうございました。いろいろと思うところあり、それに対する私の考えを述べさせてもらいます。
「自分を見なさい」ですか・・ (しゅしゅ) 2004-10-12 20:30:35
3回も4回も繰り返し読ませてもらっています。子供性の世話をしてあげると良いのですね。
子育ては私の人生のキーポイントだと思っている所なのですが。子供がいるのに自分が一番なんです。母なら、子供を一番に考えてあげるものなのだろうに、自分はそうできない。
自分の中の子供さえも癒してあげられていないから、我が子にも母らしく接することができないのでしょうか。
S(さち子): この事をお知らせくださり、ありがとう。ある知り合いのことを思い出しました。その方は、自分の子供をかわいがる事ができずにいる方でした。軽く子供性のワークをすると、彼女の子供性が、とっても怒っていて、「自分さえ、親(大人性の本人)にかわいがられていないのに、子供のあんた(現実の子供)がかわいがられるわけないでしょ!」もう、その子供性は嫉妬心むき出しだったということがありました。自分の子供性が現実の子供に対し、ライバル意識を持ってしまっている。道理で、現実の子供に対するいとおしむ思いが出ないわけです。親の愛を子供の時に十分にもらえなかったという思いがある方だったので、その思いを抱いたまま大人になり、子供をもうけ、その子供と自分の愛されなかったと思っている子供性が戦っていたという状態でした。
しゅしゅさんの場合はかわいがる事ができないという感じではないと思いますが、根本のところは似ているかもしれません。自分の子供性は今、親に面倒見てもらっていないからこそ、現実の子供もそんなに面倒を見てもらえるわけがないと思ってしまう。ある意味、子供性と子供の間のライバル意識のようなものはあると思います。
>子供を育てている時に、そういう欲求を持った子供に対し、どうしますか? もう少し待ちなさいとは言いませんよね。
言ってしまってます。
あとで、
これが終わったら、
自分の都合で言わないで、お母さんも忙しいの・・etc
S: もちろんいつもいつもそうできるわけではないのは分かります。私の言い方がはっきりしていませんでしたね。すみません。その時の都合でって言うのは、現実問題あることで、当たり前です。
>そういう欲求をできるだけ早く満たしてあげることです。それだけでも子供性は喜びます。
わかりました。
頼るものがない子供を一番に考えてあげるように、意識を切り替えてみます。
まずは私の中の子供性に目を向けてみます。
そして、その延長で我が子にも、慈しみの気持ち一番で接することができるように目指します。
S: その通りだと思います。自分の子供性がうれしくなれば、それはそれは寛大な気持ちになれると思います。まずは自分が満たされ、幸せになるは大切だと思います。もちろん、子供さんを実際に育てている方にとり、大人のように動けない子供を先に考えてあげないといけない場面は当然あると思いますが、一つとっても良い例があります。飛行機に乗ると、緊急時に使う酸素マスクの説明がありますね。あの説明を聞いていると、お子さんのいる方は、マスクをまず親である自分が着けた上で、お子さんにしてください、という下りがあります。自分が生きるための呼吸ができずに、他のどんな人も助けることはできないということでしょう。これは原点だと思います。
アドバイスいただきましてありがとうございました。
S: こういう機会をくださったこと、ありがとうございました。少しでもお役に立てたのなら、うれしいです。私に助けの手を貸してくださった存在の方々にも感謝します。本当にみなさんありがとう。
お返事をありがとうございました。いろいろと思うところあり、それに対する私の考えを述べさせてもらいます。
「自分を見なさい」ですか・・ (しゅしゅ) 2004-10-12 20:30:35
3回も4回も繰り返し読ませてもらっています。子供性の世話をしてあげると良いのですね。
子育ては私の人生のキーポイントだと思っている所なのですが。子供がいるのに自分が一番なんです。母なら、子供を一番に考えてあげるものなのだろうに、自分はそうできない。
自分の中の子供さえも癒してあげられていないから、我が子にも母らしく接することができないのでしょうか。
S(さち子): この事をお知らせくださり、ありがとう。ある知り合いのことを思い出しました。その方は、自分の子供をかわいがる事ができずにいる方でした。軽く子供性のワークをすると、彼女の子供性が、とっても怒っていて、「自分さえ、親(大人性の本人)にかわいがられていないのに、子供のあんた(現実の子供)がかわいがられるわけないでしょ!」もう、その子供性は嫉妬心むき出しだったということがありました。自分の子供性が現実の子供に対し、ライバル意識を持ってしまっている。道理で、現実の子供に対するいとおしむ思いが出ないわけです。親の愛を子供の時に十分にもらえなかったという思いがある方だったので、その思いを抱いたまま大人になり、子供をもうけ、その子供と自分の愛されなかったと思っている子供性が戦っていたという状態でした。
しゅしゅさんの場合はかわいがる事ができないという感じではないと思いますが、根本のところは似ているかもしれません。自分の子供性は今、親に面倒見てもらっていないからこそ、現実の子供もそんなに面倒を見てもらえるわけがないと思ってしまう。ある意味、子供性と子供の間のライバル意識のようなものはあると思います。
>子供を育てている時に、そういう欲求を持った子供に対し、どうしますか? もう少し待ちなさいとは言いませんよね。
言ってしまってます。
あとで、
これが終わったら、
自分の都合で言わないで、お母さんも忙しいの・・etc
S: もちろんいつもいつもそうできるわけではないのは分かります。私の言い方がはっきりしていませんでしたね。すみません。その時の都合でって言うのは、現実問題あることで、当たり前です。
>そういう欲求をできるだけ早く満たしてあげることです。それだけでも子供性は喜びます。
わかりました。
頼るものがない子供を一番に考えてあげるように、意識を切り替えてみます。
まずは私の中の子供性に目を向けてみます。
そして、その延長で我が子にも、慈しみの気持ち一番で接することができるように目指します。
S: その通りだと思います。自分の子供性がうれしくなれば、それはそれは寛大な気持ちになれると思います。まずは自分が満たされ、幸せになるは大切だと思います。もちろん、子供さんを実際に育てている方にとり、大人のように動けない子供を先に考えてあげないといけない場面は当然あると思いますが、一つとっても良い例があります。飛行機に乗ると、緊急時に使う酸素マスクの説明がありますね。あの説明を聞いていると、お子さんのいる方は、マスクをまず親である自分が着けた上で、お子さんにしてください、という下りがあります。自分が生きるための呼吸ができずに、他のどんな人も助けることはできないということでしょう。これは原点だと思います。
アドバイスいただきましてありがとうございました。
S: こういう機会をくださったこと、ありがとうございました。少しでもお役に立てたのなら、うれしいです。私に助けの手を貸してくださった存在の方々にも感謝します。本当にみなさんありがとう。
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