ぼく達の食べている米は、今から二千三百年くらい前に朝鮮半島や中国から九州の北部に伝えられ東の方に広がっていきました。
今から比べると、そまつなつくりかただったでしょう。
しかし、昔ながらもずいぶん頭をはたらかしているとぼくは思います。
鎌倉時代になり、西の地方では二毛作がおこなわれ、牛馬、水車を耕作に使い、室町時代には、二毛作も各地に広がり、農業がいちだんと進みました。そのおかげで楽になったと思います。
江戸時代になり、用水路を作らせ新田を開かえました。農民も楽をしようとはげみ、備中ぐわや千歯こきなどの道具を工夫し、肥料を使い、とても楽になりました。
それからもっと進み農業機械でやる農家がぐえました。
ぼくの家でも米を作っています。
このごろでは田植えするのも機械がやってくれます。しかしぼくの家では、手植えをします。なんだか、とてもはずかしい気がします。
いねかりも今では機械がやってくれます。しかしぼくの家では、かまでかります。
ぼくもおと年やらしてもらいました。
農業が、いや米づくりが伝わってこの長い年月見すてられなかったのは、どうしてでしょう。五、六月田植えをする。秋にいねかりをする。この五ヶ月間たくさんの仕事をしなければいけないのにどうしてでしょう。それは、昔の人がお米を大切にしていたからだとぼくは思います。どうして米がたいせつなのでしょう。
米に、栄養があるからでしょうか。米は日本人の生活と結びついてしまっているからでしょうか。それは、分かりません。
しかし、こんなに長い間、見すてられなかったのだから理由があると思います。
日本人がほろばなかったのは、米を作っていたからかも分かりません。
弥生時代から、今まで続けてきたのだから、これからも続くはずです。
米中心の食生活をおくっていきもし他の食べ物がなくなったとき米を食べればいいのかもしれません。
そのためにこれからも米を作っていき食べていけばいいと思います。