自分の自慢話か人の悪口。
友蔵の悪口はいつものことだが、
それ以外にも親戚の悪口、近所の人の悪口、自分の友達の悪口、店の店員の悪口、芸能人の悪口、そして私の友達の悪口…
家に遊びに来る友達によく言われた。
「uparinちゃんのお母さん、苦手」
友達の家に遊びに行くと、よそのお母さんはニコニコして愛想がよく、優しそうだった。
愛想の悪い毒子とは大違いだった。
そんな毒子だが、悪いところばかりでもなかった。
洋裁が得意な毒子は可愛い布地でいつも私の服を作ってくれた。
手作りのパンもよく作ってくれた。焼き立てのチーズ入りパンは美味しかった。
この頃は毒子のことが好きだった。
アルバムには毒子の手作りの服を着て笑顔で写っている幼い私のスナップ写真がたくさん残っている。
しかし、天真爛漫な笑顔で写っている写真は幼稚園まで。
小学生時代の私のスナップ写真からは笑顔が消えている。
毒子と友蔵の喧嘩が激しくなったのは、ちょうど私が小学校に上がったくらいからだった。
今思えば、あんな家庭環境で健全な心が育つはずはない。
物心ついた頃から大人が怖かった。
大人から自分がどう見られているか怖くて緊張してしまい、大人とは喋れなかった。
学校の先生が怖かった。
手を上げて発表することは一度もなかった。
小学5年生の時、担任の女教師から授業中に
「uparinさんはどうして答えが分かっているのに手を上げて発表しないの?」
「わかっているのに発表しないなんて卑怯でしょ。皆さんどう思いますか」
と皆の前で立たされて怒られた。
私は家に帰るまで涙を必死にこらえた。
毒子は当時、パートに出かけていたので、学校から帰ると私は1人だった。
鍵を開けて家に入ると、わたしはワーっと床に突っ伏して号泣した。
涙がこれでもか、これでもかと出てきた。
(私は発表しないから卑怯な悪い子なんだ!)
みんなの前で理不尽に叱られ、何も言い返せず、黙って立っているしかなかった。屈辱で、涙が溢れ返った。
もうすぐ毒子が帰ってくる時間だ。
毒子には絶対に泣いている姿を見られたくないと思った。
私にとっては毒子も信用できない大人だった。
私は毒子に弱みを握られたくなかった。
毒子が帰って来た。
私は涙を拭き、寝そべって漫画を読んでいるフリをした。
毒子は「ただいま」と私に声をかけると、急いで夕飯の支度を始めた。
私は何事もなかったように、いつものように黙って夕飯を食べた。
私は毒子に心を閉ざしていた。
辛い子供時代だった。
続く