お好み夜話-Ver2

追悼 美薫三味

日曜日の六本木は、とても人が少なかった。

アマンドもマイアミも今はなくなった芋洗い坂の上から眺めると、火灯し頃だというのに閑散としていて、新しいお店の看板や店構えが空々しく映る。

気持ちばかりの花束を抱え、かあちゃんとともにかつては歩き慣れた坂を下る。


こんなに酒飲みで、食い意地がはっているくせに、日比谷線1本で簡単に来られるというのに、どうしてもっと足しげく通わなかったのだ。
悔やんでも悔やみきれない気持ちで、店の前まできた時には、心の中はウルウルだった。


32年前からここにある「串揚げ 味の屋」。
二十歳の頃のオヤジを知っていた、六本木で唯一のお店。

お別れ会には大勢の “大人” の方々が(たぶん100人以上 ! )来られて、10人ほどしか座れないカウンターのイスは取っ払い、それでも入れないぐらいの人が立食で、ビルのエントランスでもテーブルやストーブを出して飲み食いし、さらにビルの3階にあるスナック「舫(もやい)」のママさん(外見とは裏腹に、すごく良い方で、しかも味の屋のママと同じく天然 ! )のご好意で店が貸切状態に。

今回お別れ会の連絡を頂いたBer「フォルテ」のママさんとは、「諏訪湖マラソン」のあと「ハマちゃん」とともに誕生祝いをかねて「味の屋」を訪れた時に、マラソンつながりで紹介してもらったのだ。
もし「味の屋」のママが「フォルテ」のママさんに繋いでくれなければ、ずっと不幸を知らずにいたことだろう。

そこに人の想いや縁を感じつつ、店内に飾られた元気なママの写真を見ると、胸が熱くなり、かあちゃんも目頭を拭っている。
「フォルテ」のママさんもハンカチを目に当て、在りし日のママを語る。


「味の屋」のママのことを、32年知っているというだけで、その実なんにも知らなかった自分の迂闊さを改めて悔やむ。

お別れ会を開いてくれた方々は、もとは「味の屋」の常連さんだったり、同じビルの中に入っているお店やご近所のママさんたちで、公私ともに仲の良い友達だったようで、俳句の会を開いたり、みんなで旅行に行ったりと、32年という実績の重みが信頼になって、ママの人柄とともに輪が増えていったのだろう。

それでも、4年ほど前に乳ガンを患い、右手のリンパを切除したために、腕が丸太のように腫れて痛々しかったママは、気丈にも店を営業し続け、痛みや泣き言を言わず、串揚げを差し出す手は左手にして、それと気づかない人もいたほどプロに徹していたのだった。

32年前は憧れのお姉さんだったママは、いつもニコニコして、のんびりと癒される天然な口調だった・・・・。

ずっと守り続けた「味」は、ソース・塩・醤油タレの3つで頂く上品で飽きがこない、何串でも食べられる串揚げで、そこから戒名は「美薫三味 信女」となったのだろう。

その秘伝の味を、誰かに伝えたがっていたことを聞かされた。
病床でノートに書きかけて絶筆したその味を、聞く機会が、教えを乞う機会がいくらでもあったはずなのに、その信号を汲み取れなかった自分が悔しい・・・・・。


モグランポがオープンして、まだわずか13年目。
「味の屋」さんと同じ年数、営業できるのだろうか ?
あと20年・・・・・・・・・・・・・・・・・・、気が遠くなる。

「ユイたん」や「auちゃん」や「ミーちゃん」は、もう妙齢の女性で、「ハマちゃん」や「ホリちゃん」はオッサンだ。
「バーバーくん」と「シゲちゃん」は店を構えて、羽振りがよく、出世払いをしてくれるだろうか。

そのとき、オヤジやかあちゃんはこの世に存在してるんだろうか。

店がなくなる日はいつかやってくる。

そのときみんなが、「味の屋」さんのように偲んでくれるのだろうか・・・・・・・。


ずっと、ずっとありがとう「味の屋」のママ、

安らかに。

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