お好み夜話-Ver2

勝っつぁんRUN

最近「半藤一利 著 それからの海舟」(筑摩書房)
を読んで、ますます「海舟」先生が好きになった。

薩長中心の維新の裏で、「江戸城無血開城」を成し遂げた幕臣「勝海舟」はその後どう生きたのか、「徳川慶喜」や「西郷隆盛」の名誉回復に尽力し、旧幕臣たちの生計をたて、「氷川の隠居」として舌鋒鋭く建白したり、大ボラ吹きの変節漢と陰口を叩かれながらも、ニッポンの将来を想い続けた稀代のラストサムライ。

龍馬の師匠として、じつに堂々とした生き様をみせた「海舟」先生に、西郷さんじゃないけれど「ホレ申した」の心境だ。

著者の「半藤一利」さんは、親しみを込めて「勝っつぁん」と呼ぶ。

それに習って、以下は全部「勝っつぁん」で通すことにした。


で、しばらく前から「勝っつぁん」RUNを計画していたので、水曜日に実行した。

朝早く出るつもりが、11時過ぎまで雨は強く、けっきょく半過ぎて小降りになったのを見計らって家を出た。

汐入公園を通って、まずは浅草へ。

墨田区役所の脇の「勝っつぁん」の銅像が、この街走り最初のポイントだ。


ついでに区役所の中の「勝っつぁん」コーナーも見に行ったが、
たったこれだけの展示じゃ、ちょっとしょぼいんじゃないのぉ墨田区役所

それから隅田川沿いを走り、生誕地の両国は先日いったのでスルーし、相生橋のところで川をいったん離れ、月島を通り、勝ちどき橋を渡り、築地市場へ。

晴海通り沿いの駐車場の角の歩道に、
幕府の軍艦操練所址のプレートがある。

もちろん「勝っつぁん」は教授方頭取として、おおいに関わっているのは常識。

せっかく築地に来たのだから、昼飯に寿司でもつまんでぇという考えはまったく浮かばず、朝から何も食べていないが腹も減らず、そのまま浜離宮方面へ走り、新橋の駅前を通って虎ノ門、溜池を通過して赤坂へ。

続いては「勝っつぁん」の住居址を探すのだ。

安政6年(1859)~明治元年(1868)まで過ごしたこの地は、今はすっかり様変わりしたけれど、氷川神社はもとより周辺は今でも“山”だし、急な坂だらけ。

ウロチョロしながら、どっぷり汗をかいてたどり着いた赤坂6丁目10番39号。

ソフトタウン赤坂という大きなマンションの自治会が管理しているらしい。

龍馬ファンお馴染みの場面、「勝っつぁん」を斬りにきて逆に心酔して弟子になっちゃったのはここにあった屋敷でのこと。

もうちょっと踏み込んでウンチクをたれると、ここにはかつて「忠臣蔵」の「浅野内匠頭」の屋敷があった。

それが、松の廊下の刃傷で赤穂藩が取り潰されたあと、屋敷は人手に渡っていた。

それを「勝っつぁん」が買い取って住まいにしたのだ。


汗を拭って水分補給をし、再び坂道を駆け下り駆け上がり、赤坂から六本木を駆け抜け、飯倉の交差点を通過して東京タワーの脇を通り、芝公園の角を折れて日比谷通りに入り、品川を目指した。

東京マラソンのコースを走って、国道15号・第一京浜とぶつかる目の前の三菱自動車のビルの角に、「江戸開城 西郷南州 勝海舟 会見の地」の碑が立っている。

かつての薩摩藩蔵屋敷の跡地だ。

















ここまで来たからには、そのまま真っ直ぐ進み、品川を通り過ぎて京浜急行の立会川にも寄っちゃうのだ。

何があるかって そりゃアナタ、昨今の龍馬ブームで町おこしを目論むところはいっぱいあって、ここもそのひとつ。
ほらね

でもこの龍馬像、銅像じゃないんだよね。
叩いたらFRPの音がしました。

「おんちゃん、おんちゃん、叩いたらいかんぜよ !!」

あいぃ、龍馬さん、許してね

かつてここには土佐藩の下屋敷があって、若き日の龍馬が砲台づくりにかり出されたのです。
でも、今のこっているのは、この石ころだけ。

かるく、がっかり


さて、最後は本日の目的地、洗足池であります。

第一京浜を大森方面へ進み、JR大森駅を反対側に出て、山王通りに入る。

やや迂回気味だが、環七へぶつかるまで真っ直ぐ、環七を左折してさらに池上通りに入った。

途中の池上本門寺へも寄りたかったが、夕方5時前には洗足池に到着したかったので、ひたすら先を急ぐ。

ここまでで4時間ぐらい走り続け、ペットボトルの水を4本空にし、いまだ腹が減っていないが、足の裏と指が少々痛くなってきた。

池上駅を通過、池上線の線路沿いに進み、雪が谷大塚で踏切を越えて今度は環八へ入った。

あとはそのまま行けば、洗足池に着く。

が、またまた坂道で、さすがにちょっと喘いでしまった。

そんなこんだで、ようやく洗足池に着いて時計を見れば、5時10分前。

予定通り

前夜にGoogleのストリートビューで確認した通り、「勝っつぁん」の別邸址はすぐに発見できた。
現在は大田区立大森第六中学校になっている。

洗足公園の奥まったところに、「勝っつぁん」と奥さんのお墓がある。

大きな仕事もやったけど、いっぱいお妾さんもつくって、子供もいっぱい作っちゃった「勝っつぁん」。

数人のお妾さんとも同居し、妾腹の子も我が子と同じように分け隔てなく育てた奥さんは、「勝っつぁん」が死んだら同じ場所に葬られたくないと遺言したそうだ。

最初は別の場所にお墓があったが、その後誰かがへんに気を利かしちゃったんだろうね。

あの世で「勝っつぁん」何を想う・・・・・。

「勝っつぁん」夫婦のお墓のお隣に、西郷さんの漢詩を刻んだ碑が立っている。


これは「勝っつぁん」が、西南戦争で盟友西郷さんが没した2年後に、時の政府をものともせず逆賊「西郷隆盛」を供養し、一日も早い名誉回復を願っておっ立てたものだそうだ。

そしてびっくりしたのは、もともとこの碑は今の四ツ木辺りにあった寺に立てられたのだが、荒川放水路の大工事で移転せざるを得なくなり、巡り巡って「勝っつぁん」のお墓に戻ってきたのだという。

嗚呼、いろんなエピソードがあるね、荒川放水路・現荒川

池をゆっくり一周し、ようやく今回の「勝っつぁん」RUNは終わった。

その距離47.23km  5時間少々の街走りだった

帰りは、もう電車です。

池上線で来た道をたどり、蒲田の一つ手前の蓮沼で途中下車し、たまたま見つけたこ~んな店でやっと本日初の食事をし、

銭湯だけど100%天然温泉の風呂で汗を流し、さっぱりした。


皆様、長々とご清聴ありがとうございました、と、これでとっとと家に帰って、とっとと寝ちゃえばいい子なんだけれど、そうは問屋がおろさない

このあと、渇きに渇いちゃったオヤジは、悪魔の蟒蛇女王様と、彼女の頭をマルガリータにしたくても出来ずにプロに徹した床屋さんと、浅草のいい感じの飲み屋で痛飲し、さらに0105を呼び出し千住でまたまた爆酔。

燃費の悪さをさらけ出して、長い1日がフェードアウトしたのであった

「勝っつぁん」の最後の一言「コレデ オシマイ」が脳裏をよぎる・・・・・・・・・。


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