作業所が休みの時は「お出かけしますか?」「買い物はありますか?」「外でご飯にしますか?」と、朝から小僧がうるさい。
昨日歩いた筋肉痛が軽くふくらはぎにあるが、動いたほうが良いので思いたって出かけることにした。
小僧には行き先を言わずに日比谷線に乗って、虎ノ門ヒルズ駅で下車した。
小僧は暫定開業した3年くらい前に来たというが、去年「虎ノ門ヒルズ ステーションタワー」が竣工して改札が地下2階に移ってからは初めて、こういう場所に全く縁のないかあちゃんはもちろん初めて、オヤジは今年の2月に込み入った事情で打ち合わせに来たが、どこにも立ち寄らず用を足してとっとと帰ったのでほぼ初めてと言っていい。
なので東京の田舎もん家族はキョロキョロウロウロして、奥様だかお嬢様がbrunchで行列しているパンだかスイーツの店を横目でみて、せっかくだから出来たてピッカピカの快適なトイレで用をたし、
駅や道路をまたいであちこちのビルとつながっているデッキを歩き回り、
「森タワー」の「オーバル広場」を見渡せるcaféでお茶なんぞして、さてこれからどうすべぇと作戦会議した。
駅や道路をまたいであちこちのビルとつながっているデッキを歩き回り、
「森タワー」の「オーバル広場」を見渡せるcaféでお茶なんぞして、さてこれからどうすべぇと作戦会議した。
すると、お高いけれどイマイチだったコーヒーを飲んだオヤジがハッ💡と思いついた。
以前お買い上げした書籍「東京の美しいドボク鑑賞術」のなかにあった「愛宕トンネル」に行ってみようd( ̄  ̄)
そうと決まればとっとと席を立ちビルの外へ出て、
都会のオアシス❓のように作られているガーデンテラスを通り抜けて
愛宕方面へ続いているデッキを行くと、唐突に鳥居と坂道に出る。
東京=江戸はまさに山を切り開いたのだなぁと思わせるまあまあの勾配の坂を上がると、数十年前に来た時とは見違えるようにキレイになった(インバウンド目当て❓)愛宕神社に出た。
都会のオアシス❓のように作られているガーデンテラスを通り抜けて
愛宕方面へ続いているデッキを行くと、唐突に鳥居と坂道に出る。
東京=江戸はまさに山を切り開いたのだなぁと思わせるまあまあの勾配の坂を上がると、数十年前に来た時とは見違えるようにキレイになった(インバウンド目当て❓)愛宕神社に出た。
愛宕山は標高26メートルだそうだが東京23区内で最も高い自然の山で、その辺の高層ビルよりもずっと高く感じるのはさすが神域。
正面から来るとこの急な石段、通称「出世の石段」をヒィコラ言って上ることになる。
まあ出世など縁のない我らは脇道からヒョロッと境内に入り、せっかくだからお賽銭を入れてお参りし、江戸を戦火から救った幕末の英傑にあやかるのであった。
こんなの昔は無かったもんなぁ、観光地だよねぇ。
まあ出世など縁のない我らは脇道からヒョロッと境内に入り、せっかくだからお賽銭を入れてお参りし、江戸を戦火から救った幕末の英傑にあやかるのであった。
こんなの昔は無かったもんなぁ、観光地だよねぇ。
愛宕山は江戸の昔から花見の名所だったが、今は桜の木も少なくなってすでにほとんどが葉桜にちかかった。
水分をマメに補給しているせいかオシッコが近く、愛宕神社のトイレを借りてタンクを空にし、「出世の石段」(男坂)の脇にあるこれまた超急な「女坂」を下りて、
正面に回って見上げればこの勾配、
正面に回って見上げればこの勾配、
駆け上がろうとする馬鹿者のなんちゃって「曲垣平九郎(まがき・へいくろう)」がいるようだ。
鳥居から左へ進むと、出ました「愛宕トンネル」。
「東京の美しいドボク鑑賞術」によるとこの「愛宕トンネル」は、1930年帝都復興事業の一環としてできた東京で最初の道路トンネルだそうな。
またこのトンネルは当時としては画期的な「愛宕式掘削工法」で作られたそうで、76.6メートルのトンネル内はひんやりしていた。
見上げればまだ桜がキレイに咲いているので、脇にあるエレベーターで再び山に上がり桜と周りの景色を見渡し、
かつては「東京中央放送局」と呼ばれていた現みなさまのNHKの「放送博物館」に入ってみることにした。
小僧とオヤジの障害者手帳で無料かと思っていたがさすが天下のみなさまのNHK、どなた様でも無料で入館できます。
軽く「チコちゃん」に叱られて館内を見て回り、古くて重くて高かった昔のテレビカメラや
昭和の良い子には懐かし〜い「ひょっこりひょうたん島」の人形を見たり、
紅白や朝ドラや大河の歴史を見ながら、
音効さんの真似事をして波音を出したりお馬さんのパカッパカッという足音を真似たり、
ニュースキャスターになってみたり、
ブルーバックの前でクロマキー合成を試したりして楽しんだ。
渋谷のNHK放送センターにはずいぶん昔に仕事で出入りしたり見学もしたことがあったがここは初めて、無料で入れて夏は涼しいし冬は暖かいだろうからヒマつぶしにしはいいやね。
せっかくだからここでもみなさまのトイレに入って用をたし、デッキ階段を下りてエレベーターの前を通り、お寺やビルの谷間にひっそりとあるお墓の上を歩いて進むと、
東京のど真ん中とは思えないほど静謐で草木に囲まれた「青松寺」に出ると、天上天下唯我為尊のポーズの素っ裸な可愛らしいお釈迦様がお出迎え。
可愛らしいオチンチンもツンと立っております。
この「青松寺」は江戸三箇寺のうちの一つと云われる曹洞宗のお寺、今までまったく知らなかったが大きくて静謐で境内を流れる水路の穏やかな水音が聞こえるほど。
鐘撞堂もあったので年末年始には賑わうのかもしれない。
ブルーバックの前でクロマキー合成を試したりして楽しんだ。
渋谷のNHK放送センターにはずいぶん昔に仕事で出入りしたり見学もしたことがあったがここは初めて、無料で入れて夏は涼しいし冬は暖かいだろうからヒマつぶしにしはいいやね。
せっかくだからここでもみなさまのトイレに入って用をたし、デッキ階段を下りてエレベーターの前を通り、お寺やビルの谷間にひっそりとあるお墓の上を歩いて進むと、
東京のど真ん中とは思えないほど静謐で草木に囲まれた「青松寺」に出ると、天上天下唯我為尊のポーズの素っ裸な可愛らしいお釈迦様がお出迎え。
可愛らしいオチンチンもツンと立っております。
この「青松寺」は江戸三箇寺のうちの一つと云われる曹洞宗のお寺、今までまったく知らなかったが大きくて静謐で境内を流れる水路の穏やかな水音が聞こえるほど。
鐘撞堂もあったので年末年始には賑わうのかもしれない。
「青松寺」を出て
神谷町駅のほうへ進み、
せっかくだから麻布台ヒルズへ寄ってみることにした。
神谷町駅のほうへ進み、
せっかくだから麻布台ヒルズへ寄ってみることにした。
前回ここへ来た時にはまだ開業前で工事業者が作業をしていた(「六本木春秋」2023年11月5日 参照)が、今じゃもう外国人やおのぼりさんやお仕事の方々で満員御礼だ。
お昼も過ぎてお腹も減ったけれど、どこのヒルズのcaféやレストランも人でいっぱいだしお高いし、見るだけ見て犬がマーキングするみたいに出来立てピッカピカのトイレで放尿して外へ出て、「外務省外交史料館」の前の信号を渡って六本木方向へ歩き始めると(o_o)‼️
ななな、なんだこの店は⁉️
「ブルー・コメッツ」がまだ存在してる??「ジャッキー吉川」も「井上忠夫」もすでにお亡くなりになっているのでは??? 謎だ????
この辺りはヒルズなんてものができる前の昭和は狸穴=ソ連大使館があって(現ロシア大使館)、夜になると怪しいBARの灯りがともり怪しい男女が行き交っていたイメージがあったが、この「ブルーシャトウ」の看板をみて一気に昭和な気分になってしまった・・・。
飯倉の交差点を渡って六本木5丁目の交差点を左折、去年の11月に看板を見て「六本木でうな重が2千円台で食べられる⁉️」と驚いて入った「インペリアル六本木」のB1にある「鰻の成瀬」でまたお昼にすることにした。
うな重・竹2,200円、ぜんぜん👍親子3人満足、ただこの「インペリアル六本木」ビルはザ・昭和でトイレは共同だし、ロアビル(六本木共同ビル)の建て替えが済んだら今度はこっちって感じだ。
店を出て左に鳥居坂を下りて行き、お嬢様とすれ違いながら「東洋英和女学院」の前を通り過ぎて鳥居坂下から環状3号線をけやき坂の交差点まで進み、右手の芋洗坂を六本木駅方面へ。
六本木に住んでいた昭和の頃は、芋洗坂はもっと商店があって賑わっていたと記憶しているが、今やバブルの頃に建ったビルは古びてテナントもなく、かつて「味の屋」さんがあったビルの周辺はすっかり飲食店がなくなり建て替えを待つばかりという感じ。
かつての賑わいがなくて寂しい芋洗坂を上がって行き、変則的な三叉路の六本木駅前郵便局の坂を上れば六本木ヒルズへ、一方の道を上れば「アマンド」のある六本木交差点へ、もう一方の外苑東通りへ上る坂道を「饂飩坂」と呼ぶそうな、へぇ〜、知らなんだ。
この三叉路に昭和からある公衆トイレには何度もお世話になっているのに「饂飩坂」の謂れはまったく知らず、ただ生理現象を放つだけの昭和の酔っ払いであった。
見よ、この防空壕のようなトーチカのような佇まいの昭和の公衆便所を‼️
こうなりゃ聖地巡礼のごとく昭和の公衆トイレで親子で連れションを垂れちゃうのである。
スッキリさわやかになって六本木の交差点を乃木坂方向へ。
もはや連れ込みに堕ちてしまった「ホテルアイビス」もなく、防衛省の向かいのビルの地下にあった芸能人御用達のステーキハウスもなく、髭のマスターの「水曜日の朝」もなくただ威圧するように東京ミッドタウンがそびえ建っている。
もはや連れ込みに堕ちてしまった「ホテルアイビス」もなく、防衛省の向かいのビルの地下にあった芸能人御用達のステーキハウスもなく、髭のマスターの「水曜日の朝」もなくただ威圧するように東京ミッドタウンがそびえ建っている。
左へ行くとまだ入ったことがない「国立新美術館」の交差点を右へ渡り、昭和の佇まいとはすっかり様変わりして「ミッドタウン・ガーデン」と名を変えた広々とした庭園に足を踏み入れた。
はて❓ここはもしや檜町公園ではなかろうか❓
朧げな記憶を頼りに多くの人が遊んでいる芝生の公園を進んでいくと池が現れたので、やはりここは毛利家の下屋敷跡、そして歩兵第一聯隊の跡地でもある。
こんなに様変わりしてしまったらちょっとわからんぜよ、三井のすずちゃん。
でもそうするとはるかな昔、六本木の素敵な大人の人と仕事終わりに夜桜見物をした三河台公園は無くなってしまったのかと気になって調べたらまだあったので、今度行ってみようと思い、裏道を進んで広々とした檜町公園よりもさらに広いと思われるアメリカ大使館宿舎の前を通って「赤坂氷川神社」へ。
古く由緒ある神域はさすがに三井のすずちゃんもアメリカさんも侵せないだろう静謐さを保っている。
巨大な「江戸型山車」も間近でみることができた。
古く由緒ある神域はさすがに三井のすずちゃんもアメリカさんも侵せないだろう静謐さを保っている。
巨大な「江戸型山車」も間近でみることができた。
そして「勝海舟」により「四社を合祀」した「四合稲荷(しあわせいなり)」もあり、
近くにはかつて走って探しに来た「勝海舟邸」跡もある。
近くにはかつて走って探しに来た「勝海舟邸」跡もある。
都会のど真ん中に深山幽谷の風情、なんだけど、よく見ると木の枝が右の狛犬に当たりそうだぞ。
ほうらやっぱり、このまま枝が育って伸びると狛犬の鼻っ面に当たっちゃうからバッサリ切ってありますな。
神域を保つのは大変なことだとお察しいたしますです。
神社を後にしてさらに裏道を進んでいくと、出ました「南部坂」。
そうですここが「忠臣蔵」の名シーン、吉良邸討ち入りを胸に秘めた「大石内蔵助」が主君「浅野内匠頭長矩」の正室「瑤泉院」に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」の舞台であります。
神域を保つのは大変なことだとお察しいたしますです。
神社を後にしてさらに裏道を進んでいくと、出ました「南部坂」。
そうですここが「忠臣蔵」の名シーン、吉良邸討ち入りを胸に秘めた「大石内蔵助」が主君「浅野内匠頭長矩」の正室「瑤泉院」に暇乞いに訪れた「南部坂雪の別れ」の舞台であります。
まあ史実では南部坂の屋敷は幕府が接収してしまうのでこのシーンはあり得ないんだけれど、それじゃあまりに味気ないし観客の涙を誘う名場面があったほうが「ナンブ坂47」のセンター「大石内蔵助」も映えるってもんでしょう。
それにしてもこの坂は、雪が積もったらさぞや難儀でありましょう。
虎ノ門ヒルズ駅から歩き出して愛宕、麻布台ヒルズ、六本木、東京ミッドタウン、氷川神社ときて、溜池から特許庁の前を通って虎ノ門で本日の旅は終了。
総距離は13.8㎞、歩数にして20,853歩なり。
やっぱり東京=江戸は坂道が多い、昔の人はよく歩いたもんだと感心する。
帰りは地下鉄銀座線に乗って、おっとその前にトイレトイレ、乗る前に出すもん出さなきゃね😁
今回も行き帰りの電車賃と自販機の水と麦茶、昼メシ代だけの安上がりの旅でありました。
明日は間違いなく筋肉痛だろうなぁ(^^)/~~~