あれは今を去ること46年前、昭和51年、西暦1976年のある朝、高校の同級生「アイダ」から譲り受けた鬼ハンにしたYAMAHAのバイクを走らせバイトに向かう途中、明大前の交差点を右折しかけたとき、直進してきたライトバンと衝突して跳ね飛ばされ道路の真ん中に倒れた。
その瞬間、朝の通勤、通学の人から
「あ、死んだ‼️」
という声を聞きながら、
『まだ死なねーよ』
という醒めた確信をもちながらスローモーションのように中を舞ったのを覚えている。
一瞬フルフェイスのメットの中で気を失ったのち、左足に鋭い痛みが走って呻きながら上半身を起こした。
スリムジーンズが左足腿からスパッと切り裂かれ、足は動かなくなっていた。
救急車のサイレンが響いてきて止まり、担架に乗せられ人生初の救急車でほんの近場の日大病院へ運び込まれた。
左足は靭帯欠損で、石膏で固められ松葉杖。
後日、神田警察に出頭し厳重注意を受け、壊れたバイクを見て反省するようにと案内されたのが、当時神田にあった電大のそば。
バイクはフロントが捻れて反対方向を向いた無惨な有様、
「こんな事故で生きてたのは幸運だぞ」
とお巡りさんがしみじみと言った。
阿呆をみるような顔で電大生が通り過ぎる。
後悔先に立たずの19の春から、電大と聞くと苦い思い出が浮かぶ。
あれから幾星霜、北千住に東京電機大学が越してくるとは🤣
そしてこのコロナ禍に構内に入ることになるとは・・・。
かあちゃんと小僧にワクチンの接種券が送られてきて、ファイザー以外は怖くて嫌だというかあちゃんは西新井の病院へ、モデルナで👌という小僧は電大と、それぞれ同じ日時に別々ということになり、小僧の付き添いにオヤジは電大に入ることになったのだ。
それが先日の日曜日、朝9時15分という時間のワクチン待ちはほんの10人くらいで、付き添いのオヤジはちょっと胡散臭い目で見られたが、障害者手帳を見せチェックする所にチェックし確認されすっすと進んだ。
仕切られたブースに入ると、小僧のことをすぐ理解した女医が柔らかい口調で素早く注射をする様子を見て思わず、
「うまい‼️」
と呟いてしまった。
それから15分くらい様子をみて、何事もなかったので電大を後にした。
その夜、かあちゃんも小僧も熱が7度を上回り、腕はだるく倦怠感があり食欲がないとすぐ寝てしまった。
翌日も午後まで熱は7度以下にはならず2人とも自宅待機、食欲はなくポカリスエットがほしいというので買いに行き、夕食はようやくウドンを食べられて一安心。
今日はもう2人とも元気になったが、オヤジの接種券はまだ届いていない。
2回目の接種が去年の11月4日だから、3回目は5月4日以降ということになる。
それまで無事でいられるかね?
我が家で一番の要注意人物なのに🙄
桜も散ってきてしまったぞい。
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