お好み夜話-Ver2

生き証人のいる内に

青梅で行われた伯母のお別れ会で、数十年ぶりに会った親戚と旧交を温めた。

もうみなさん高齢で、それでも外見や話しぶりは変わらず、まだオヤジが小さかった頃のことを鮮明に覚えていてくださり、伯母の思い出と共に語りあった。


98歳で逝った伯母は、我が家の大ばあさんの一番下の妹で、本家の三島の親戚もみんな美男美女の家系だ。

あの大女優「岸恵子」のお母さんが従姉妹だということからも、それは頷ける。

しかし残念なことに我が家の家系は複雑で、ばあさんやオヤジは「岸恵子」さんとは何の血縁もない。

三島の本家筋にも画家のおじさんがいたということだが、そういう才能と美貌に恵まれた血縁だったら、このオヤジももう少しマシな“反省期”だったかもしれない。


その三島から来たおばさんが、バッグからつげの櫛を取り出して見せてくれた。

なんでもその櫛は、38年前当時17歳のオヤジが家出同然で自転車で四国一周の旅に出た途上、三島に寄って泊めていただきご飯をごちそうになって旅立った後、四国からの帰り道で再び立ち寄って、お土産として渡したものだという。

そんなことはまったく記憶になかったが、おばさんがそう言うのだから、たぶん高知あたりで買ったのだろう。

38年も大事に使ってくださっていることに、とても感激した。

17のガキのくせに、イイトコあるじゃんか


数十年前には話せなかったり、聞けなかったりしたことが、オヤジになったらなんでも聞けるし話せる。

複雑な我が家のご先祖様のことを知っている長老が、存命のうちに聞き取り調査をしておかなければと改めて思った。

それは亡きばあさんの意志でもあるし、幕末から明治、そして関東大震災と第二次大戦を乗り切った御先祖様たちの「縁」を辿る旅でもあり、荒川放水路の大工事で結びついた現在の我が家の成り立ちを明らかにするのは、立場的にもこのオヤジしかいないと確信したからだ。

ばあさんの四十九日がすんで落ち着いたら、お礼かたがた三島や長野、新潟にも出かけて昔の写真を見せてもらい、話しを伺うつもりだ。


思いがけずたくさん休んでしまったが、体調もようやく回復して、ふくら脛の痛みも消えた。

先月は過去最低の45.5㎞という走行距離だったから、今月はすこし気合を入れて走らないと、月末の「越後湯沢秋桜ハーフマラソン」で辛い思いをすることになる。

だから、今夜から月末まで
ぜったい
禁酒 !!

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